第322話 *第三者視点


 心胆寒からしめる――


 ネルが叩き付け、砕け散った石から噴出した『闇』が体に纏わり付くと、まるで世界に一人だけになったような孤独を、その場に居た殆どが感じていた。


 温度ではなく、心の底から来る寒さ。


 どれだけ鍛えようとも、感じずには……考えずには生きていけない『死』に直面した時のような。


 我知らず身震いが走り、思考には恐怖が根付き、無力感と虚無感が意識を支配する。


 対抗出来たのは僅かに数名。


「――――闇の魔晶石でしょうか? 初めて経験します」


 その筆頭とも言える体に『光』を纏うリーゼンロッテが、ネルが居た辺りを警戒しつつをあげるべく更に剣へと魔力を注ぎ込む。


 僅かに高まる光が闇を食い荒らす――――


 その、少し前。



「――だから、『クロちゃん』。あのね、クロちゃん。皆怖がってるから、まだ夜にはしないであげて――」



 結ばれた契約に、気付けたのは一人。


 闇の中、その瞳に魔力を宿し、未だ成人に達していない幼馴染の行いに、細々とした溜め息を吐き出した――ターニャだけだった。


 訪れと同じく、去るのもまた一瞬。


 唐突な暗転は、唐突に塗り替えられ…………一瞬前の闇が本当にあったのかどうかを疑問に思う程、当たり前の風景がそこにはあった。


 確かな証拠は体に残る痺れのような怯えのみ。


 それも暖かな光を放つ剣が傍にあるだけで和らげられていく。


 最初に声を掛けたのは、リーゼンロッテに一番近かった騎士団の代表者だった。


「た、助かり申した。助力を感謝します、騎士殿……騎士殿?」


「……いえ、感触が予想とは違ったので…………失礼しました。ディラン領の騎士団の方ですね? お初にお目に掛かります。陛下より七剣を賜りし一人、リーゼンロッテ・アンネ・クラインと申します」


「これはしたり! 戦場故、簡略で御容赦を。ご領主様よりディラン領騎士団の副団長を拝命しております、バドワン・テノーサと申す。……やはり名高い『七剣』でありましたか。とすると、そちらがかの勇名な聖光剣……闇を一瞬で切り裂くという噂は真であったか」


「未だ若輩なれど、七剣の名に恥じぬ持ち主に成れるよう精進を重ねていくつもりです」


「う〜む……今の風格からして既に大器。貴方のような方が、歴史に名を残すのでしょうなあ」


「いえ……私などまだまだです。…………本当にまだまだ」


 最後の言葉は口の中だけで呟かれた。


 ネルが居た場所――既に無くなってしまった光の檻があった所を見つめながら。


 忸怩たる思いを抱えるリーゼンロッテにターニャとテトラが乗った馬が近付いてきた。


 これにはリーゼンロッテも気持ちを切り替えて笑顔で振り向き――ターニャの有り様に固まった。


 馬に抱き……いや、しがみついているのだ。


 普段通りの表情ながら、雰囲気はどこか焦っているように感じられるターニャ。


 というのも、僅かに体の軸がブレ、落ちそうになっているからかもしれない。


 その手綱を制御しているのが……これまた意外なことに、並走して馬に乗っている幼い美少女だというのだから、どこかおかしさを感じる。


 アンの荒々しいまでに馬に走りを任せる騎乗技術とはまた違い、まるで馬に人語を理解させている説き伏せているかのような従順で柔らかな手綱捌きだった。


 身を乗り出して、ともすれば自分も落ちかねないような体勢のテトラが口を開く。


「どーどー。カッポカッポでお願い。ターナー落ちちゃうから」


「なら止めて」


「カッポカッポ」


「止めて」


 本当に止め方を知らないような遣り取りに、少しばかり違和感を覚えたリーゼンロッテだったが、自分の馬の手綱を受け取り、脚を止めさせた。


「すみません、ターナーは馬を操れなかったのですね? その割には堂々とした乗り方だったので、てっきり……」


「なんでわたしが馬を操れると思ったのか聞きたい」


「…………フッ!」


 いつもより早口で余裕のないターニャに、リーゼンロッテが我慢出来ずに吹き出した。


 リーゼンロッテが笑うのを堪えるべく口に手を当てて震えている中で、隊を整列させていた正規兵は慌ただしく動いていた。


 というのも大隊長の叫びを聞いていたからだ。


 『ネル』という危機は去ったのかもしれないが、未だに昏倒している自称『第二王子殿下の遣い』にトドメを刺すべく残された裏切り者がいるかもしれない可能性を捨てきれないためだ。


「動くな! 慌てるのは分かるが、既に危険は無い! 命令があるまで動くんじゃない! 列を離れる者は厳罰に処すからな!」


 似たような命令があちこちで叫ばれる中、輜重隊の一角でテッドが押さえ付けられていた。


 体格で勝る村のオジサン連中がテッドを上から押さえているのだ。


 自分を押さえつけるオジサン連中に向かってテッドが口を開く。


「離せよ! レンが、レンが……! 俺が行ってやるんだ……! 迎えに行く……!」


「落ち着けテッド! 聞いてやる、ちゃんと聞いてやるから! 今は大人しくしとけ! とにかく様子見を……」


「レンは、今、落ちたんだぞ?! 今すぐ引き上げないと間に合わないかもしれないだろ?!」


 その言葉に含まれる矛盾に、徴兵に応じた同じ村の面々が顔を曇らせる。


 代表者であるオジサンが重々しく口を開く。


「テッド……レンは死んだ」


「死んでねえ! まだ……まだ生きてる! レンのことだから壁にへばりついてるに決まってるさ。そうだ……ほら? レン、井戸の中に隠れてたことがあるだろ。ハルオル、覚えてるか? また今度も同じさ。絶対壁に張り付いてる……絶対だ!」


「…………テッド」


 未だ暴れ続ける村長の子を、徴兵にあった面々がどうするべきかと悩んでいると、森まで飛ばされたアンが帰ってきた。


 ブツブツと呟いているアンには、今の状況を理解している様子は無い。


「……今のは受け流せた。でも引っ掛かりが軽かったから……うーん、剣も。もっと硬いのが欲しいなあ。大きいやつのがいいのかなあ? だとしても取り回しが利く方があたしにと思う…………あれ? テッド?」


 最後尾に付けている輜重隊の騒ぎは、森から戻ってきたアンにとっては見つけやすい位置だった。


 戦場となった本拠地が混沌としていく中で、まるで蓋をするように日が落ちていく――


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