第182話


 戦場に吹く風にローブが踊る。


 生臭い臭いと焼け焦げた臭いが残る風は、故郷のものと比べるまでもなく鼻に付く。


 狂乱の宴を盛り上げろとばかりに再び上がる怒声が、近くに落ちた木製の人形に向かう。


 横槍に次ぐ横槍で、テウセルス側の冒険者はやや混乱をきたしている。


 本来の相手である冒険者が引いていくのを、後回しと見送っているのがいい証拠だろう。


 冒険者を叱咤する指揮官が、後方というには近過ぎる程に近寄ったテウセルス軍との、連携を取るべきなのかどうかと思案している


 攻めているというのに……何もかも後手だ。


 叩かれ斬られているのに動かない木偶人形。


 しかし破壊までに至らないのは頑丈さ故か……。


 それとも時間を稼いでいるのか。


 魔力は残すところ五割と少し。


 ここからは先は…………。


「アン」


「は、はい! あれ? はい……」


 握り潰された剣の柄を未だ持っているお転婆娘が立ち上がるのを待って声を掛けた。


 腕の痺れが抜けていくのを確認するように手を開いたり閉じたりと繰り返す。


「生き延びるのに集中しろ。俺がチャノスを連れてくるから。絶対に無理すんな。そんで……皆で村に帰ろう」


「あ…………れ? あ……」


 口を開いたり閉じたりとするアンは、何かに勘付いているのか目を白黒とさせている。


 確証を持てないでいる幼馴染に、ふとイタズラを思い付く。


 ちょっとした意趣返し。


 大斧を持ち上げて肩に乗せると、ニヤリとしながらアンに話し掛けた。


「大丈夫。畑仕事をサボって帰りにくくなってる時だって一緒におばさんに謝ってやったろう? 手伝いが倍に増えたって泣きついて来た時も協力してやったじゃないか? テッドが居るからトイレに行きたいって言えないでいる時に抜け出す言い訳も作ってやった……今回だってそうさ。ターナーとケニアには一緒に謝ってやるよ、おばさんにも一緒に怒られてやる」


「え、ええ?! レ――――」


 両強化を四倍に引き上げて感覚を極限まで研ぎ澄ます。


 量産型パペットマンは、叩かれようが刻まれようが構わずに、右手と左手を突き出していた。


 聞こえてくるのは……嫌な高周波音。


 パペットマンの右腕と左腕の側面が開き、スリットのようなところから金属製の棒が飛び出した。


 刹那に広がったのは魔力。


 発したのはパペットマンではない、砦からだ。


 どっかの赤い眼をした黒ローブのように、ソナーのような魔力が戦場を……テウセルス軍をスッポリと覆った。


 何をしようとしてんのか知らんが……。



 ――――させねえよ。



 鼻の奥へと饐えた臭いが届くのと同時にドロリとした血液が垂れた。


 ピシピシという音を立てて眼球に添った血管が爆ぜ視界を赤く染めていく。


 確かに感じていた大斧の重さが頼りない小枝のように変化する。


 僅かな光すら通さない空間へと落ちていく――――


 大地を踏み鳴らし、目標へと跳んだ。


 モグラ叩きのように木偶人形を壊す。


 大斧は刃の部分だろうと側面だろうと、もはや関係なかった。


 当たれば潰れ、壊れ、千切れていく。


 流れ作業のように、短くなっていく限界までの時間をタイマーに見立てて木偶人形を潰していった。


 戦場に黒い粒子が舞い踊る。


 いつの間にかローブには薄くて黒い靄が掛かっていた。


 長時間使用に依る弊害だろうか?


 今はいい、捨て置こう。


 体の何処かが裂けた。


 腹を沿うようにして流れる血がローブに染み込んでいく。


 関係ない。


 全部潰せ。


 大斧を持ち上げていた右手首から鈍い音が響いた。


 だから左手に持ち換えて人形潰しを続けた。


 踏みしめた爪に亀裂が入る。


 脹脛ふくらはぎからピンピンと何かが千切れる音がした。


 構わない。


 全部壊せ。


 何処を蹴り、何処を踏み越えていくのかすら意識に残らず。


 空気すら足場に変えて、残る木偶人形へと多角的に迫る。


 頭が割れるように痛かった。


 高速で移動する頭が固い壁にぶつかったような衝撃すら感じた。


 塵と化せ。


 消え失せろ!


 薙いで、圧して、斬って、殴って、蹴って、潰して、爆ぜて、壊して――


 戦場を右から左へと舐めた。


 喉が渇いていた。


 腹が減っていた。


 深く深く潜っているようで、とにかく息をしたかった。


 呼吸の仕方が分からない。


 吐きたいのか、吸いたいのか……。


 テウセルス軍の左翼を抜けて距離を取ると同時に、強化魔法を解いた。


 突然湧き上がった酸素への渇望に、抵抗する気も起きずに身を任す。


 掘削音のような音を鳴らす喉が、限界を報せんとして血を吐き出した。


 耐えられないとばかりに膝を突き、痛みから逃れようと転がり回る。


 ……………………どうだ? 粗方……潰した、ぞ?


 思い出したように汗を噴き出しながら戦場を観察する。


 僅かに残ったパペットマンの、腕のスリットから覗く金属棒がアルミニウムが燃え上がる時に似た発光を生み出す。


 微かに香るオゾン臭。


 しかしバチバチという音の割に、その効果の程が知れず――――燃え上がった残りのパペットマンが火の中に沈んでいく。


 まるで『話が違う』と言わんばかりに。


 恐らくは数が必要なのだろう。


「ハッハッハ! 見よっ! アゼンダ王国の戦力など何するものぞ! 苦し紛れに案山子を投げ入れてきただけではないか? だけでなく、勝手に燃え上がりおったわ! まさか火攻めではあるまいな? フッハッハッハ!」


「……い、今……黒い……風?」


 これ程おかしいことはないと指を差して笑う左翼側の指揮官に、僅かに残った黒い粒子を追う副官。


 だから終着点とも言える黒ローブの不審者と目が合ったのは必然。


「ヒッ?!」


 フラフラとよろけながらも立ち上がった。


 逃げなくては。


 この上、テウセルス軍の相手なんてしていられない。


 ……熱いし……暑いし……いってぇ、な……。


 熱に浮かされるように、それでも残る体力を絞り出して前進する。


 戦場の右翼側へとアンを残してきた。


 ここから合流するよりも、砦を目指した方がいいだろう。


 ターニャの予測が確かなら、ここに驚異はもうないのだから。


「むむ? なんだお前は……間者か?」


 しかし見逃されるということも無さそうである。


 チラリと視線を流せば、指揮官へと報告している副官の姿があった。


 残り魔力は三割……。


 限界を越えて魔法を励起する。


 

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