第4話 公園
レストランを出たふたりは、まだ明るい夕方の中でそのまま何をするでもなく漂っていた。時計を確認してもまだ六時半をすぎた頃だった。まだ時間はある。いずみは次に何をするべきなのか考えていた。
「
「ないけど、どうかした?」
「いや……もう少し、一緒にいたいかなって」
幼い笑顔を浮かべる彩葉を見て、いずみは少し後悔する。いつまでも見ていたいような笑みではあるが、相手は幼くも何ともない彩葉なのだ。すぐに茶化してくるに違いない。そう思ってすぐ、彩葉はそのままいずみの頬を指でつついてくる。
「いずみちゃんてば、かわいいこと言ってくれるじゃん」
彩葉のことを冷たく睨んでみるも、ほとんど効果はない。いつも通りの反応だとしか思っていないのだろう。
と、いずみは彩葉の背後から猛スピードで走ってくる自転車を見つけた。すぐにでもぶつかってきそうで、ぶつかればひとたまりもなさそうで。危機を感じたいずみはとっさに彩葉の腕を強く引いた。
ぶわぁっと自転車が通っていく空気を肌に感じる。いずみが思うより少し道路に寄って走っていたらしいが、事故が起きてもおかしくなかった。自転車であんなにスピードを出して歩道を走るなんて、信じられない。いずみは腕の中の彩葉の顔色を確認する。
「ごめん、いきなり。大丈夫だった?」
「……だ、だいじょうぶ、だよ」
いずみの胸には彩葉がいる。抱き締める形になっている。それに気付いたいずみはぱっと腕から彼女を放し、ぎこちなく一歩下がった。大丈夫ならいい、呟きながらもと向いていた方向にゆっくりと歩き出す。自分の顔に熱が集まってきていることがわかる。今、彩葉に顔を見られたらさっきよりもずっと面倒な絡みをしてくるはずだ。両手で顔を覆いたくなるのを我慢しながら、少し後ろを歩く彩葉の気配を感じる。
「ね、いずみちゃん。あの公園寄ろうよ」
いずみの袖を引きながら彩葉は言う。その声はさっきのことなどなかったかのように、いつも通りだった。いや、そうするように心がけたのかもしれない。彩葉の頬が少し赤くなっていたのが見えた。
「公園?」
「ん、公園」
レストランから出て、しばらく歩いたところだった。古めかしい公園だ。入ってすぐにブランコと滑り台が配置されており、奥には高さ違いの鉄棒三つと回転させられるグローブジャングルジム、その近くには錆び付いた時計と、まだ湿っているベンチ。最近の子どもは公園では遊ばないのだろうか、それともこの辺りの子どもが特にそうだというだけだろうか。公園には誰一人いる様子はなかった。姿も見えず、声もない。正真正銘、ふたりだけの世界になっている。
「でも、ここで何するつもり」
ふたりは少しずつ公園の中へと足を踏み入れていく。どこに向かうでもなく、目的があるわけでもなく。
「ね、何しよっか」
まだ夏の終わり目とは言え、この時間になってくるとさすがに涼しい。いずみは、薄いカーディガンしか着ていない彩葉を見た。少し肩が上がっている。寒くて力が入ってしまっているのだろうか、それとも、元からの癖なのか。
「ねえ――」
いずみは、何の考えもなしに前を歩いている彩葉の肩を掴んで止めた。振り向いた彩葉は驚いた様子で、目を見開いている。何となく、顔が赤く染まって見えたのは、いずみの背後の赤信号が原因だろうか。
彩葉の両手を握る。それからまっすぐに瞳を見つめる。その中に隠されていることをすら、全て透かしてしまうように。
「ど、どしたの、いずみちゃん?」
最初こそびっくりしたように見せていたが、本当は全て見えていて、このあとに続くいずみの言葉も行動すらもわかっていたのではないか。そう思わせるようなあざとい表情を浮かべている彩葉に、耐えきれず、いずみはすぐにでも折れてしまいそうな華奢な腕を強く引いた。
「――いずみちゃん、冷たいね」
彩葉はいずみの腕の中にすっぽりと包まれて、目を閉じた。全身でいずみを、その心の奥底まで感じ取ろうとするように、静かに抱き締められていた。
「彩葉は、あったかい」
いずみは、ささやくように言葉を降らせる。
ふわりと身体を離して、ふたりは目を合わせた。いずみの両手は彩葉の肩を掴んだまま。車が通る音だけが鼓膜を震わせる。ふたりの顔はゆっくりと近付いて行く。ざあっと鳴ったのは、水たまりを大きくはねた音だろうか。目は伏せて、視覚だけは遮断して。永遠にも思えるような、一瞬。ぽと、といずみの頬に一滴のしずくが落ちた。涙のようなあとを作って、消えていく。また、雨が降る。
――これって……そういうこと?
彩葉の声は、膜が張ったみたいに、外側の世界から届いてきた。いずみは目を細めて、小さく頷く。
――えっと、私でいい、のかな。
徐々に膜は破れていく。現実であることが感じ取れる。
「でいい、じゃないよ」
「え?」
「彩葉がいい」
「でも、まだ、久しぶりに会ってから……何時間?」
「それも違う。彩葉にとっては三時間くらいかもしれないけど、違う。三年」
強く目を閉じ、そして開く。いずみは彩葉の瞳を射貫くように、まっすぐに見つめた。
「ずっと、だから」
それは覚悟を決めたような光を帯びていた。ぱたぱた、と顔に水があたる。
「嫌だったら、蹴飛ばして。殴ってもいい」
「え」
さっきより少し強引に、彩葉を引き寄せた。嫌だったら、なんて言ってはみたが、きっと拒否させる気は少しもなかった。もう一度ふたりは唇を重ね合わせる。柔らかく、優しいそれは、雨の味がした。
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