第3話 ディナー

 大学の外は思った通り、まだ明るい。夏も終わりきっていないからか、クーラーのない講義室より外の方がいくらか暑いように感じる。さっきまで降っていた雨が水たまりを残している。パシャ、とそれをつま先でつついている彩葉いろはを、いずみはスマホをいじりながらしっかり見ていた。

「そんなことして、靴の中まで入ってきたらどうすんの」

「いずみちゃん、スマホ見てんのにこっちも見えてんの?」

「そりゃ、直線上にあるものは見えるでしょ」

「てか、雨やんだね。良かった」

 言われてから空を見上げる。やんだとはいえ、また降り出しそうな空模様だった。何をそんなに悲しむことがあろうか、いずみは雲を哀れんだ。

「帰るときにまた降りそうだけどね」

 彩葉も視線を上げる。

「ん、そうかも。嫌な天気」

 そんなこともない、いずみは思っていた。だって雨というものは何か良いことが起こる予兆なのだから。他の人にとってはどんより心を暗くするものであっても、いずみにとっては心を晴れやかにする要素のひとつだった。

「どこにするか、決めた?」

 彩葉は当然のようにいずみのスマホを覗き込む。開いていたのは大学付近のレストランのレビューサイトだったが、さほど良い情報は載っていなかった。どれも決め手に欠ける。

「……イタリアンかハンバーグ、どっちが良い?」

「んー、いずみちゃんの好きな方で良いよ?」

 それはこっちの台詞だ、思いつついずみは手の中にある情報をもう一度見比べる。本当は彩葉に選んで欲しい、けれど彩葉は優柔不断だから。

「じゃあ、イタリアン」

「さんせーっ!」

 入ったのは、イタリアの国旗が連想される色彩感の割と新しそうな外観のレストランだった。扉を開くと、カランカランと軽い音が鳴り、店員の穏やかな「いらっしゃいませ」がそれに続く。あまり大きくはない店内には木製で揃えられたテーブルと椅子が並び、キッチンへと続く奥の方にはカウンター席もある。いずみと彩葉を含め、四組ほどの客しかいない。黒いエプロンの女性がふたりを認めると、「ご自由な席へどうぞ」とにこやかに対応してくれる。

「どこいこっか」

 こんなときでも彩葉はマイペースだ。後ろから他の客が来ていないから良いものの、これがあと一時間ほど後だったらどうなっていたことだろう。いずみはとっさに彩葉の腕を掴んで出入り口に近い窓際の席に座った。向かい側にゆっくり座る彩葉は何やらにこにこしている。それを見ていずみは少し顔を崩す。が、何かそれ以上の反応をすることはない。ただ、テーブルの端に立てられているメニューを開き彩葉に渡す。

「え、いずみちゃんもう決まってんの?」

「そんな訳ない、まだ見てもいないし。彩葉決めるの遅いだろうから、先に見せようと思って」

 彩葉は、ですよねぇ、と呟きながらペラペラとメニューをめくっていく。本当に中身を見ているのかはわからないが、珍しく決断が早かった。はい、と渡されたそれを眺めながら、いずみは密かにこの後の展開について考えを巡らせていた。

 ――注文をしてから、ふたりは高校の話を始めた。

「こんなところで会うとはね」

「だね」

「いずみちゃんは、他に誰かと会った? 私、話したことない男子くらいしか見てないんだけど」

「うん、同じ感じかな。彩葉が初めて、みたいなもん」

「だよねぇ」

 運ばれてきたのは、いかにも写真映えを狙ったようなものではなくて、自然な美しさを持つ料理だった。ぱあっと笑顔を輝かせた彩葉は、すぐさまスマホを取り出して構える。写真を撮ってSNSにアップするらしい。少し先にあるいずみの皿を見切れさせるのがポイントなのだと、誇らしげにいずみに話している。

「あ、あれ、いずみちゃんはさ、何部だったんだっけ」

 ボロネーゼを頬張り始めてしばらくすると、彩葉は首を傾げてそう言った。

「部活は入ってなかったよ」

 いずみは持っていたフォークとスプーンを皿に置き、水を飲んでから続ける。

「ただ、趣味でピアノやってただけ」

「あー、そっか、そうだった気がする。私が全然知らないオシャレな曲ばっかり聞いてるんだよね」

「それは知らないけど。彩葉は、帰宅部だったね」

「うん。中学ではサッカー部やってたんだけど、あんまり合わなくて高校では入らなかった。てか、男子サッカー部しかなくて入るも何もって感じ」

「そうだったんだ」

 言いながら食器をテーブルの端に寄せているいずみを見て、彩葉は目を丸くする。

「食べ終わったの? 早くない?」

「彩葉が遅いだけ」

 いずみは頬杖をついて、それでもゆっくり食事を続けている彩葉を見つめる。その口角が上がっていることには気付いていない。

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