第58話 おじゃま虫

==ヴァルトール帝国・針林ダンジョン・最奥==



僕が目を覚ました時、そこは天国だった。

天国と言っても死んだわけじゃない。


日はかたむあかねさす馬車の中、僕は座席に横たわっている。


後頭部の柔らかな感覚を堪能し、前頭部を撫でられながら僕は仰向けで横たわり続けているのだ。そう、それはいわゆる膝枕である。



「そ……そろそろ僕たちも手伝わないと……」



この状況を手放すのは惜しいが多分そうも言ってられない。

僕は彼女、メリー・ロゼットに何度も訴えかけた。


なぜなら馬車の外から何か大がかりな準備を進める慌ただしい声が聞こえているからだ。



「メ……メリーさん?」



しかし返答は無し。


メリーはこちらを見るわけでもなく、話しかけてくるわけでもなくただ僕の頭を撫で続けている。

夕日に照らされた物憂ものうげな顔に、僕はそれ以上何も言えなかった。


実際、体調が万全ではないのも確かだ。

全身がヒリヒリするし、まだ頭も痛い。


ーーもう少しだけ甘えよう。もう少しだけ……


あの後どうなったのか、リップは無事なのか、色々と聞きたいことは山積みだけど、今はこの時間を壊したくない。


メリーと二人きりでゆっくり出来るこの時間を。


いつぶりだろうか、最近はずっと避けられていたから彼女と二人きりの時間なんて全くなかった。すごく落ち着くし、自然と口元が緩む。



「メリー、また迷惑かけちゃったかな……?」



その問いかけに彼女の手が少し止まって、何も答えてはくれないまままた優しく僕の頭を撫でる。



「メリーがここまで運んでくれたの?」



依然として答えはない。

それでも僕は話し続ける。



「最初に会った時もメリーが家まで運んでくれたんだよね、また格好悪いとこ見せちゃったかな……」



だけどやっぱりメリーは目を合わせてくれなくて、前のように微笑みかけてくれなくて、モヤモヤが胸の奥に溜まっていくみたいで苦しい。やばい、泣きそうだ。


ーーメリー笑ってよ、返事をしてよ、前みたいに一緒に笑い合って話したいよ。


そんな言葉は口には出せなくて、僕はゆっくり目を閉じる。

泣かないように、これ以上格好悪いところは見せないように。


ーー僕はどうすればよかったのかな……メリーはどうして何も話してくれないんだろう。


考えても考えても分からない。

きっと答えは僕の中には無いのだろう。


ーー僕にはどうしようもないまま、このままメリーと離れ離れになるのかな。それだけは嫌だ。何も伝えられないままさよならなんて絶対に。


こんな気持ちになるのはきっと夕焼けのせいだ。

こんな言葉を言ってしまうのも夕焼けのせいなんだ。



「メリー、いつもありがとう。大好きだよ」



不思議と恥ずかしさなんて無かった。

いつもの僕なら絶対に言わないようなクサい台詞せりふ


少しやけになってるのかもしれない。

でも伝えずにはいられなかった。


本当にメリーが僕から離れていってしまう前に。


少しの達成感が寂しさをより助長じょちょうする。

心の底から彼女のことが好きなんだと今一度実感して、僕はそれを隠すように微笑んだ。


そんな僕の頬に涙の雫が落ちた。

一つ、二つ、ポタポタこぼれ落ちるそれは僕の涙じゃない。



「…………だから」



つまりそれは少女の涙。



「私はおじゃま虫……だから」



メリーの顔は夕焼けで見えなかった。

それだけ言うと、彼女は風で僕の頭をふわりと浮かせて馬車を飛び出した。



「メリー!」



急いで飛び起きようとした僕の身体が痛みで悲鳴を上げる。

一瞬意識が飛んで馬車の天井を力無く見上げた。


ーー早く追いかけなきゃ……!


そう焦れば焦るほど、身体に力が入って激痛が走る。

座席から落ちて、いずってそこから出ようとすれば、ふいに心も身体もコントロールが効かなくなった。


バチバチと赤黒い雷が全身を伝う。


ーーなんだこれ……? これはまるで……


獄雷撃、つまり地母神の寵愛。


ーーこのままじゃ、暴走…………する。



「失礼するぞ、ニア・グレイス」



聞き覚えのある男の声だ。

しくも突然話しかけられたことで暴走しかけていた感情に理性のブレーキがかかる。



「アルフ……さん」



桃髪の魔法使い、アルフレッド・スティンガー。

それが彼の名前だ。


倒れた僕を見て彼は一瞬戸惑いながらも目を閉じて言った。



「無様だな、やはり貴様は彼女の隣に相応ふさわしくない。これ以上痛い目に遭いたくなければさっさと身を引け」



突然何のことだと思ったけれど、「彼女」がメリーだというのは分かる。

メリーが泣いて出て行ったことに腹を立てているのだろうか。



「ご助言……ありがとうございます。けど絶対にあきらめません」


「けっ…………相変わらずだなニア・グレイス。本当なら今すぐその鼻をへし折ってやりたいが、まぁいい。今にその態度を後悔することになる……ふはははは」



彼は憎たらしい顔でそう言って馬車を去って行った。

突然嵐が来て、そして過ぎ去ったように閑散かんさんとした車内で僕は小さくため息をつく。


脱力感に支配されてしばらくそのまま床に転がっていた。

もう何が何やら、出来事が多過ぎて感情の整理が追いつかない。


ーーおじゃま虫……って、一体なんのことだったんだろう。


メリーは泣いていた。

僕は追いかけることができなかった。


このままダンジョン遠征が終われば、もう二度とメリーと会うこともないのかもしれない。


ーー大切な人を守るために、力をつけるためにここへ来たのに僕は何をやっているんだろう。


先程まで必死にこらえていた涙が自然とあふれ出す。

するとまた一人の女性が急いでこちらに駆け寄って来た。



「ニアさん……! だ……大丈夫ですか⁉︎ すぎゅ……すぐに治癒魔法をかけましゅ!」



怪我をしている僕より焦った顔で現れたのは治癒魔法使いのリヨンさんだ。


ーータイミング的にアルフさんが呼んでくれたのか……? あの言いようでそんなはずはないか。



「もうしばらくは安静にしていてくだちゃ……ください! うぅまた噛んだ」


「はい、すみません」


「メ……メリーさんのことは心配いりり……いりませんよ! ニアさんは自分の身体のことだけ考えててください!」



リヨンさんに肩を借りて座席まで戻る。

そして、治療を受けながらあの後のこと、リップのことも聞いた。



「あの子、もう拠点の設営に参加してるんですよ! 治癒魔法を一回かけただけなのにピンピンしてて、ほほほ……本当にびっくりです」


「あはは……それはすごいですね」


「ニアさんは真似しないでくださいね! これからまた戦うことになるんでつ……ですし」


「はい、気をつけます」


「あとは、その…………メリーさんのことですけど」



彼女の親身な言葉と態度に僕はつい聞き入っていた。

メリーの名前を出されるまで先刻までの焦りを忘れるくらいに。


そして、彼女は突然言葉を濁したと思うと辛そうな声でこう言った。



「やっぱり好き……なんですよね?」


「えっと…………はい、好きです」


「そそ……そうですよね。けど、まだ会ってひと月も経ってないわけですし、今ならまだ傷も浅いですよお互い。それに皇子様と孤児なんて釣り合わないですし」


「それってどういう……」


「早く忘れてあげてください、見ているこっちが辛いので」



ブラウンがかった彼女の瞳がまっすぐ僕を見ていた。

僕は訳もわからないまま目を逸らした。

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