第35話 手斧の男ガルボ・クランツ

==ヴァルトール帝国・郊外ブリスブルク・露店街宿屋屋上==



時は少しさかのぼり、ニアとメリーが二手に分かれた直後のこと。



「獄雷閃!」



日が傾き始めた空に緋色の雷撃がほとばしる。

その後二体のアンピプテラを撃墜したが早くも打ち止め、屋上から見える範囲に獲物の姿はもう見えない。


それでもまだ十体近くの邪竜が露店街を襲っているはず。



「こうしちゃいられない…………けど」



空を飛べるメリーと違って、僕には移動手段が乏しい。

かと言って下は逃げ惑う人々で溢れかえっており、まともに身動きが取れないだろう。



「残りの選択肢は……」



僕はそうつぶやいて隣の建物を見下ろす。

今立っている建物は周囲と比べても背が高く、隣の住居の屋上がよく見えている。


ーー多分、飛び移ることは出来る。出来るだろうけど……



「単純にめちゃくちゃ怖いし……!」



ゴクリと音を立てて生唾なまつばを飲み込む。

屋上のふちから景色を眺めているだけでも足の震えが止まらないのに、そこからさらに跳躍ちょうやくするなんて自殺行為以外の何物でもない。


しかし、こうして迷っている間にも街に被害が出てしまう。

それを証明するかのように、すぐ近くから子供の悲鳴が上がる。


ーーその時自分でも驚くほど、考えるより先に身体が動いていた。


跳躍して初めて見えた景色、西を向いた太陽が遥か遠く地平線の運河をきらびやかに照らす。視界の端に一瞬映っただけのその光景が何故だか永遠にも感じられた。



「今の僕に出来ること、過去の僕が積み上げてきたこと」



そんな言葉が頭に浮かんで、無意識に口から溢れ出る。

ダンジョンに挑んだ時にもまして格段に向上した身体能力、そこに追いつかんとする精神力はまだ完璧とは言いがたい。


ーーそれでも着実に成長してる。


幾許いくばくかの心配をよそに拍子抜けするほどあっさりと着地。

片手を地につき、もう片腕を空に。格好良くスーパーヒーロー着地を決めたに思えたがーーーー勢い余って一歩、その足を踏み外してもう一歩。


よろけ、もつれて両手を地に着く。



「はは……相変わらず決まらないなぁ」



焦りたかぶる気持ちを冗談でまぎらして、もう一歩さらに強く踏み込んだ。


ーー叫び声が聞こえたのはこの辺りのはず!


二、三軒の家屋を跳び越えて階下かいかを見下ろす。

すると一人の大男が三人の少年をかばうように邪竜アンピプテラと対峙しているのが見えた。



「なんか見覚えがあるんだけど……」



それもそのはず、彼らは先程まで敵対していたゴロツキの不良集団ではないか。

肩で息をしながら手斧を構える大男、必死に虚勢を張っているが今にも倒れてしまいそうな様子だ。



「さっきまで気絶してたから逃げ遅れたのか」



それで責任を感じた訳ではない。

彼らの生い立ちに同情したわけでもない。


そこに襲われている人がいる。


ーー助けに入る理由なんてそれだけで十分!



「炎撃!」



黒杖から放たれた火球は今までと比べても大きく、迅速にアンピプテラを襲う。その邪悪な一つ目がそれをとらえるより速く邪竜の黒い身体へと着弾した。


しかし、僕の炎撃では邪竜の分厚い装甲をただれさせる程度。

致命傷どころか、ほぼ無傷と言っていい。さすがは竜種とたたえるべきか。


ーー大丈夫、自分の弱さは自分が一番よく分かってる!


僕は炎撃の魔法を発動したのち、すぐさま飛び降りていた。

身の丈以上にまで大きく出来るようになった火球、その影に隠れて邪竜を急襲したのだ。


飛び降りたままの勢いで凶々まがまがしい独眼に剣を突き立てた。


ーーやったか⁉︎


しかし、邪竜はすぐさま霧散するわけでもなく長い首をブンブンと振り回し始めた。

その独眼は邪竜アンピプテラの最も目立つ特徴であり、弱点のように見えたが実際は違うのかもしれない。


眼から顎にかけて剣で貫かれているにもかかわらず、邪竜はしぶとく暴れて僕を振り落としにかかる。



「うぁあああああっ!」



まるで振り子のように揺さぶられ、以前の僕なら一秒ともたなかっただろう。小さな成長を感じつつ僕は吹き飛ばされないよう必死で剣を握りしめ、足を使って邪竜の首にしがみつく。

幸いにして細長い首や尻尾に比べてその手足は短く、鋭利な爪がこちらに届くことはない。


ーー僕が振り落とされるか、その前に邪竜の命が尽きるか。あとは単純な力比べだ!


そんな僕の覚悟を知ってか知らずか、邪竜も少しずつ衰弱し首を振る力にかげりが見え始める。

その隙をついて剣を引き抜き、今度は炎でただれた部分を狙って突き刺した。



「ーーーーーーーーーー!」



ひときわ大きな唸り声を上げる邪竜。

これだけ至近距離だと耳がおかしくなりそうだ。


ーーでも、ちゃんと効いてる!


その隙を逃すことなく追撃、モンスター相手なら臆することはない。邪竜の首に何度も剣を突き刺し、まさしく首の皮一枚つながった状態となったところでようやくその動きが止まる。


そして、まるでそこに何もなかったかのように霧散むさんし消えていった。

大通りの石タイルに黒剣と少年一人が投げ出された音をもって激闘は終結。



「や……やっと終わった」



思わぬところで一気に体力を消費させられた僕はそのまま倒れ込む。

そこへ先程の子供達と手斧の男が駆けつけ、一瞬警戒したものの彼らに敵意は既に無かった。

僕は男が差し伸べてきた手を取り、ゆっくりと立ち上がる。



「間違いない……あんたは風の戦乙女ワルキューレと一緒にいた冒険者!」


「あ……ああ、僕はニア。ニア・グレイスです」


「俺はガルボ・クランツ、本当に助かった……ありがとよ! それからニアあの時はすまなかった!」



大男ガルボに続いて三人の子供達も頭を下げ、思い思いの感謝や謝罪を告げる。

胸中複雑な気持ちが入り乱れていたが、気恥ずかしさが何よりまさって苦笑がこぼれた。



「まぁ……結局何も盗られてないし」



ーー気絶してるところを何度か殴っちゃったし……まぁお互い様ということで。うん、これは黙っておくとしよう。



「そう言ってもらえると助かるぜ……! ところでニアの旦那、今この街で何が起きてやがるんだ?」


「あの後、突然襲ってきた黒づくめの男を倒したら、立て続けに竜が現れて、そのうちの一体が男を連れて逃げたから多分その仲間で、それで…………」



そこまで言ってからようやく気付く。



「も……もしかして、あなた達もあの男の仲間だったり……します?」


「いいや、それは違う! ゴロツキの言うことなんざ信じられねぇとは思うが、俺たちはその男に利用されたんだ! “脇の甘いガキが大金持ってる”って情報にまんまと釣られてな……!」



ーーなるほど、現にこうして邪竜に襲われていたわけだし。現状を把握していないことにも一応筋が通る。


もちろん切り捨てられただけの可能性、とっさに口から出まかせを言っている可能性も十分にあるけど、今はそれ以上にやるべきことが残ってる。



「分かりました。これ以上疑ってもしょうがないし信じます。それじゃあ」


「かたじけねぇ! あっ……そうだ、女だ! 女がいた!」



すぐに走り去ろうとしていた僕を呼び止める形でガルボが続ける。



「黒い男の影に居て姿はよく見えなかったが確かに女の声だった! そいつらが“気になる言葉”を言ってたんだ!」



僕が振り返れば、何故かガルボの背中には“黒い翼”が生えていた。

否、それはどう見ても彼の背後から迫り来る邪竜アンピプテラのものだった。



「ーーーーーーーーーー!」



けたたましい鳴き声が露店街の大通りに響く。

まだ距離はある、しかし猛烈な勢いとスピードで突進して来るそれは今すぐ対処しなければ手遅れになる。


彼らを押し退けて剣で迎え打つには技量も時間も足りない。

ここから炎撃を撃とうにも彼らに当たってしまう。


ーー考えている時間はない!



「獄雷撃!」



幸い避難が進んでおり僕と彼ら四人しかここにはいない。十分なスペースもある。

次の瞬間、大通り目いっぱいに広がった紅の魔法陣から地獄の雷撃が上空めがけて放たれる。


対するアンピプテラは勢いを殺すことが出来ず、自ら獄雷撃の中へ突っ込んで消滅。



「…………………!」



少年達の悲鳴と尻餅をつく音が四人分。すぐ真後ろで赤黒い光の柱が立ち昇れば、腰を抜かすのも無理はない。ガルボはただただそれを茫然と見上げていた。



「えっとその……四人とも、だ……大丈夫……ですか?」


「か………………かっけぇ」



彼らに怪我はない様子、ひとまず危機は脱したようだ。

安堵から自然とため息が出る。


ようやくひと息つける。


そう思った矢先ーーーーすぐ左手に凄まじい炸裂音が響いた。


何か重たいものが落ちて来て、石タイルを割ったのだ。

それを認識した時には既に、頭に“大剣”を突き付けられていた。


かつてハイコボルトと対峙した時のような重圧と緊張感。いや、それ以上かもしれない。



「君はいったい何者だ?」



土煙が晴れ、視界の端にとらえたのは白銀の鎧を身にまとった男。高い身長に精悍せいかんな顔付き、そして何より目を引くのは黄金の大剣だ。


男はそれを片手で構え、こちらへ突きつけている。

圧倒的な強者の風格に全身が震え、上手く息が出来ない。



「はぁ……言葉が分からないのか? 質問を変えようか、先程の魔法は君が放ったもので間違いないな?」



質問に答えられないうちに次の質問が飛んできた。

ガルボと子供達も異様な空気に口出し出来ずにいる。

なんとか呼吸を整えて、僕は言葉にならない声をひねり出す。



「え……えっと…………ぼきゅ……は」



やっぱり上手く言葉が出ない。

それに答えを間違えれば僕は殺されるのかもしれない。


人を守るためとはいえ、街中で凶々しい地獄の雷撃を放ったのは事実。かと言って嘘でごまかせるような気もしない。


ーーきっと、ちゃんと話せば分かってくれるはず……!


ものの一瞬で乾き切った喉に生唾を通し、なんとか気を取り直そうとしたその時ーーーー吹き荒ぶ旋風とともに聴き慣れた天使の声が僕の全身を潤す。



「ニア!」



文字通り飛んできたメリーの剣を受け止め、男は微笑みを浮かべた。

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