ハリネズミとMT車

蓮恭

ハリネズミとMT車

「相川さん、今日はどちらへ?」


 待ち合わせをしたのは家から一番近いコンビニ。駐車場に停まった車に乗り込むと、運転席の彼は心地よい声で尋ねてきた。


(タクシーの運転手みたいなセリフだなぁ)


 そう思うと、ついつい頬が緩む。


 彼の車は同僚によると最新型のスポーツカーで、今時珍しいマニュアル車だった。私も初めて隣に乗った時には複雑なシフト操作にびっくりしたけど、今ではそれを見るのが密かな楽しみになっている。


「ちょっと遠いんですけど……。いいですか?」

「いいですよ。相川さんの行きたいところへ行きましょう」

 

 職場でも優秀で生真面目な彼は運転も上手で、車内の温度も私の様子を見ながらこまめに調整してくれた。


(このさりげない気遣いが、仕事でも結果を出せている一因なんだろうな)


「今日は赤信号に捕まってばかりですね。すみません」


(どうせならずっと赤信号に捕まればいいのに)


「いえ、運転ありがとうございます」


 軽く会釈をしながら伝えると、なお一層優しく笑いかけてくれた。


(私が信号待ちの度に左手を見てるなんて、思ってないだろうな)


「今から行くのはどんなお店ですか?」

「ハード系が有名だそうです」

「それは楽しみですね」


 信号が青に変わると、心地よい振動と共に車が発車する。左足の動きから始まる滑らかなスタートを、穏やかな笑顔でこなすのが素敵だ。


 スタートからしばらく続く人差し指、中指、薬指をメインに手首の関節を使ったシフト操作は、どこか官能的で。


 決して自分に触れられている訳ではないのに、その動きを見る度にさりげなく何度も膝を擦り合わせた。 


(女性にも、あんな風に優しく触れたりするのかな)


「寒いですか?」

「あ……、いえ……大丈夫です」


 彼に私の行動を見られていたのかと思うと、頬が熱を帯びる。目を合わせる事が出来なくて、つい視線を下げた。


 カチカチ……とウインカーを出すと、また左手を忙しなく使う気配。路肩に停めて車から降りると、後部座席のドアを開ける。そしてまた運転席に戻って来ると、ドスンという重厚感のある音をさせてドアを閉めた。

 

「はい、良かったらどうぞ。この時期、エアコンだけだと助手席は足元が寒いですよね。僕はずっと動かしてるから大丈夫ですけど」


 外が寒かったからか、鼻の頭と頬を赤らめて優しい笑顔を浮かべる彼。

 そう言って差し出されたのは、ピンク地にハリネズミ柄の可愛らしい膝掛けで。


「すみません、ありがとうございます」


(そっか。彼女さんいるのか……。男の人がこんな膝掛け使わないもんね)


 そこから先はシフト操作を見る余裕なんてなくて、ずっと左を向いて窓の外の景色を見ているふりをした。彼も何故か言葉数が少なくなってしまって、車内は気まずい雰囲気になる。


「着きましたよ、相川さん」

「あ、お疲れ様です。ありがとうございました」


(良かった。お店で少し気分転換しよう)


 車から降りようと思って膝掛けを畳んでいたら、彼の手が私の手を掴んだ。


「あの……っ、相川さん!」

「はい……?」


 あの官能的なシフト操作をしていた左手は、今私の右手首を掴んでいる。それだけで胸の真ん中がドクドクと脈打って息が詰まる。


(まさか……告白、とか?)


「良かったら……これからもずっと、一緒にパン屋巡りしてもらえませんか? 相川さんの事、ずっといいなって思ってて……」


(でも、この膝掛けは?)


「あの、でも彼女さんが居たりとか……」


 膝掛けに触れる仕草で気づいたのか、彼は慌てたように口を開く。


「いや、違うんです! それは……相川さんが寒くないようにって思って。ハリネズミ、好きですよね?」

「えっ⁉︎」

「え?」


 彼にとっては私の答えが意外だったのだろう。車内には少しの間沈黙が落ちる。


「あの、ハリネズミがお好きだと以前会社で聞こえた事があって……。違ってたんですね。すみません」


 そう言って軽く頭を下げてから、私の顔をじっと見つめている彼の視線を横目で感じつつ、膝掛けのハリネズミを撫でた。

 

「違わないです。私……ずっと前から、ハリネズミ……好きなんです」


 チラッと彼の方を見ると、すごい直毛で悩んでいると同僚に話していたハリネズミのような髪型が目に入る。


「あの、ハリネズミって……斉藤さんのあだ名でした。ごめんなさい!」


 



 


 



 











 

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