バレンタインデーの贈り物

ヘイ

バレンタインデー

 バレンタインデー。

 ウァレンティヌスの処刑の日、彼を祭るための日である事は一般教養にも思えるが、殊、日本においては男性が女性からチョコレートを受け取る事に特別な意味のある日という認識が世間一般のものである。

 

「それで?」

 

 例えば、日本においてバレンタインデーと言えば男の子が浮き足立つ日と言うのもおかしくはない。

 男子中高生等は一欠片もの可能性もないはずだと言うのに「もしかしたら」などと淡い幻想を抱き、放課後を迎えいつもと変わらない日常を過ごすのが大半だ。

 

「あれ、俺ら付き合ってるよね?」

 

 ただ、今年の春島はるしま咲良さくらは違う。

 念願の彼女ができたのだ。恋仲といった方が分かりやすいか。

 

「きょ、今日ってバレンタインデー……です、よね?」

 

 勘違いではないはずだ。

 今日は確かに2月14日。

 

「そうね」

「だ、だよね!」

 

 やはり、間違いではなかった。

 ほっと息を吐き咲良は目の前の少女に目を向けた。すっきりとした顔立ち、青い瞳の美少女。

 美少女なのだ。

 コレは別に咲良が恋人贔屓な訳ではない。純粋に彼女、ひいらぎ冬紀ふゆきが『美少女』と称するに相応しいのだ。

 

「時に咲良くん」

「は、はい!」

「あんまり気張らなくていいけど……」

「わっかりましたぁ!」

「チョコレートを渡して、はいおしまいって味気ないでしょ?」

 

 ゴクリと咲良は唾を飲む。

 それはつまり。

 

「デート?」

 

 ということで間違い無いでしょうか。

 

「そういうことよ。遠出なんて出来ないし、明日も学校だけど近場で、ね?」

「そっか。冬紀からデートの誘いなんて嬉しいな」

 

 今、思い返してみても咲良の記憶には冬紀からデートに誘われた覚えなどない。

 

「嬉しいって……まあ、これからもっと嬉しくなるけど」

「自分でハードル上げたけど大丈夫?」

「それは勿論。だって咲良くん、私と一緒に過ごせたら嬉しいでしょ?」

 

 何を当然のことを。

 彼女はそう思っているのかもしれない。実際、彼女が言う通りで咲良は彼女といる時間が増えると言うだけで舞い上がってしまう。

 

「まあ、それは」

「ほら、行きましょ」

 

 冬紀は咲良の手を取って歩き始める。

 放課後、教室を出て廊下を抜け階段を降りていく。

 

「ねえ、咲良くん」

「ん?」

「私、あなたと付き合う事になるなんて想像した事なかったわ」

 

 冬紀はクスクスと笑う。

 

「俺は嬉しかったよ、冬紀と付き合えて」

 

 高嶺の花のような存在だったから。

 咲良にとっては彼女は憧れだった。別に彼女と付き合えば箔がつくとかの下心などはなく、彼女の美しさに一目惚れしたのだ。

 よくある様な恋の落ち方。

 

「ねえ、咲良くん」

「ちょっと待って」

 

 下駄箱から靴を取り出し、しっかりと履いてから顔をあげる。

 

「で、咲良くん」

「はい!」

「私はどうしてあなたの告白にオーケーを出したか、分かる?」

 

 突然の質問に咲良は言葉に詰まる。

 咲良にしてみれば「貴方の魅力はなんですか?」と聞かれているのと変わりない。

 外してしまっていたのなら恥ずかしいにも程がある。とは言え、異性が感じる『魅力』を自らには感じられない。

 

「ひ、ヒントを……」

「そう言うところ」

「え? いやいや、それがヒントなの?」

「ま、咲良くんはそのままで良いわ。いえ、そのままが良いのね」

 

 彼女の中で答えは出ている様で、一人で納得してしまっている。

 だが、咲良には何のことだかわからない。追求しても良い物かも分からない。

 

「むぅーん……」

「ほら、咲良くん。道端で考えてたら危ないわよ」

 

 彼女に手を引かれながら咲良は横断歩道を渡る。

 

「あ、冬紀。今からどこ行くの、これ」

「今日、寒いから喫茶店に行くのよ。それに喫茶店なら家で晩御飯食べられるでしょ?」

 

 家族の心配に関しても冬紀は考えている様だ。彼女の立てたデートプランに咲良は文句など付けない。彼女が咲良の為に考えてくれたと言うだけで、何よりも価値があるのだから。

 

「俺、喫茶店とかあんまり入らないなぁ」

「静かで良いところよ」

 

 彼女は嘘を好まない。

 だから、良い場所であると言う事に嘘はない。

 

「冬紀がそう言うなら、心配はないか」

 

 咲良が呟いた。

 

「あそこね」

「思ったよりも学校から近いね」

 

 距離は1キロメートルもあるかどうか。

 信号が変わるのを待つ。

 

「静かで良い場所ってことは冬紀は何回か行ったことあるんだ」

「ええ」

「おすすめとかある?」

「今の季節だとホットブレンドね。でも、咲良くん苦いの苦手でしょ?」

「ま、まあ、そうなんだけど」

「ココアもあるわよ」

 

 自らの好みを知られているのならわざわざ背伸びをしてコーヒーを飲む必要はない。

 少しだけおもばゆい気がして咲良が視線を斜め下に向ければ、冬紀はクスクスと笑う。何か愛おしい物を見るように彼女の目は柔らかく、表情も緩やかだ。

 

「何がおかしいんだよぉ。そっちだって辛い物、苦手だろ?」

 

 歩行者信号が青に変わる。

 車が完全に停止したのを確認してから横断歩道に踏み出した。

 

「ふふ。お互いの事、分かってきた感じがする」

 

 言われてみれば。

 お互いの苦手な物でもこうして理解し合えているのだ。仲は深まっているはずだ。

 少しずつ知っていくことのできている現実に満足感を覚えながら、咲良が喫茶店の扉を開けばカランコロンとドアベルが入店を知らせる。

 

「いらっしゃい」

 

 咲良たちを出迎えたのは落ち着いた雰囲気のある中年男性だ。

 

「……ぉぉ」

 

 初めての雰囲気に咲良の口から感嘆の声が漏れた。淡い照明、シックな木製のテーブル。耳に届くのは心地の良いジャズミュージック。

 何とも居心地が良さげで落ち着いた場所ではあるのだが、空間に踏み込む事自体が背伸びをしたような感じもする。

 

「テーブル席にどうぞ」

 

 案内を受けて冬紀が先に進む。

 その後を咲良が付いていく。

 

「お冷をお持ちします」

 

 にこやかな彼がカウンターの奥に戻っていく。

 

「メニュー、いる?」

「俺はココアで……」

「まあ、おうちで夕ご飯もあるだろうし。飲み物くらいね」

 

 メニューに目を通す冬紀の姿を、咲良がぼけっと見つめていると右手が伸びてきて。

 

「えいっ」

 

 鼻がつままれた。

 

「んぷっ! お、おい、何すんのさ」

 

 何をするのだろうかと言う好奇心から観察することを選んだ自分も確かに存在しており冬紀を強く攻めるつもりもない。

 何よりこれも彼女とのスキンシップであると思えば、気にするほどのことでもない。

 

「ふふっ、ちょっとね」

 

 彼女は口元に手を当てて微笑んだ。

 

「お冷、お持ちしました。ご注文はお決まりですか?」

 

 先程の男性が水の入ったグラスカップを二つ持って現れテーブルの上においてから尋ねる。

 

「ホットブレンド一つとココアを一つ」

「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

「はい」

「かしこまりました」

 

 注文が済み、冬紀はグラスカップを手に取り水を口内に流し込む。

 

「ふう」

 

 一息ついて、テーブルにカップを戻す。

 

「そういえば、冬紀くん」

「ん?」

「よくお店でお冷が出るでしょ?」

「ああ、そう言えば」

「何でお冷が出てくるか分かる?」

「あれ? 確かに出てくるけどあんまり気にした覚えないな」

 

 レストランでも出てくるが特に考えたことはなかった。食事前に出されるのは当たり前の事で、大して疑問にも思っていなかったのだ。

 

「喫茶店だとね、水で口の中の状態を正すのが目的らしいの」

「成る程ね」

 

 自然と咲良の手がグラスカップに伸びた。

 

「でも、レストランの水の取り替えとかはどうなるんだろ?」

「あれはまた違うんじゃないかしら。ただのサービスだったりとか」

 

 流石に細かい事までを把握しているわけではないのか、冬紀の返答も憶測の混じった物になっている。

 

「そう言えばさ。冬紀からのチョコ楽しみにしてるんだけど……気になったことがあってさ」

「うん?」

「冬紀って今まで誰かと付き合ったりとか……その、チョコあげた事とかあるのかな……って」

 

 気になって仕方がなかった。

 とは言え、聞いてから聞かなければよかったと思ってしまう。別に今、付き合っているのは咲良なのだから気にする必要もない。

 

「どうして?」

「そ、れは……ほら、冬紀って美人だしさ。男の人は放っておかないじゃん」

 

 だから、こうして咲良が告白し恋人という関係になった訳なのだが。

 

「心配なの?」

「や、心配っていうか。単なる……好奇心ってやつだよ」

「そう。なら、先に咲良くんの事を教えてほしい」

 

 真っ直ぐに見つめられて咲良は息を長く吐いてからゆっくりと口を開いた。

 

「別に……俺は彼女いた事ないし。なんならバレンタインデーだって普通の日だったよ」

 

 今までなら。

 

「そうなの? てっきり咲良くん、彼女いた事あると思ったのに」

「いなかったよ」

「咲良くん、可愛いから……」

「ちょっと待って。何、可愛いって」

「愛くるしいってことよ」

「いや、言葉の意味ではなくて」

 

 咲良は筋肉質な身体はしていなければ、高身長という訳でもないが、男であるという性認識からか『可愛い』と言われてしまうのはどこか悔しい。

 だが、好意を寄せる相手から言われるのであれば心地もいいような。

 なんとも言えない感覚だ。

 

「俺ってカッコいい訳じゃない?」

 

 心なしか咲良はしょんぼりしているように見える。

 

「カッコ可愛いわ」

「どうしても可愛いが付くのね」

「だって咲良くん、素直だし……」

 

 パッと咲良は冬紀の顔を見上げた。

 

「も、もしかして」

「……そうね」

「素直だから……オーケーを出したと?」

 

 何だ、それは。

 思いもよらない事だ。

 

「えー、じゃあ俺以外にも可能性はあったって事?」

「かもしれないなんて話は無駄よ。現実に私は咲良くんの彼女でしかないの」

「そう言われると」

「言われると?」

「嬉しい」

 

 ニヘラと咲良は破顔した。

 

「それに告白された事なんてないの」

 

 彼女があまりにも美人すぎて、告白することすら出来ないという状態にでもなっていたからか。

 

「お待たせしました、ホットブレンドコーヒーとホットココアです。では、ごゆっくり」

 

 今度は咲良が先にカップに手をつけた。

 

「あっち……」

 

 ココアは随分と熱かったのか舌先を入れて、一瞬で顔から遠ざけてしまった。

 

「ふー、ふー……」

 

 少しだけココアを冷まして咲良はチビチビと飲み始める。

 

「……飲まないのか?」

 

 ニコニコと笑う彼女に咲良が尋ねれば、彼女もテーブルに置かれたティーカップを徐に持ち上げた。

 

「随分、旨そうに飲むよな」

「そう?」

「俺も飲みたくなってくる」

「私は麻婆豆腐で痛い目見たことあるから、チャレンジする精神はあまりないわね」

 

 食べられない物、飲めない物で無理をする必要はないと言うのが冬紀の考えらしい。

 

「でも、コーヒー飲めたら色々共有できるだろうし」

「時間は共有してるのだし、私がココアを飲めば解決ね」

 

 何のことはない、この程度のこと。

 小学生の問題を解けて当然というように、常識を語るように冬紀は言ってみせた。

 

「ごちそうさま」

「ごちそうさまです」

 

 支払いは咲良が済ませて、先に外に出ていた冬紀の元に向かう。

 

「楽しかったわ。まあ、明日もあるけど」

「そうだな」

「でも、今日はやっぱり特別ね」

 

 彼女はカバンから小さな箱を取り出した。丁寧に包装された箱は特別である事を示している。

 中身は何なのか。

 咲良が聞けば、彼女はふわりと笑い。

 

「秘密」

 

 と、言った。

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