第八章 告白

キーボードを叩いていると、モニターに島田の姿が写った。

彼はニッコリ微笑むと、席に戻っていった。 


人なつこい笑顔であった。


告白されたからではないが、男の意外な一面を見た思いがした。

何かホッとするものがある気がする。


あれから二週間が過ぎて、島田の真剣な態度に圧倒される様に数回デートを重ねた。


映画を観て食事するという、ごく当たり前のものだったが、礼子にはかえって新鮮で、青春を取り戻す様な気がして嬉しかった。

口数は少ないが控え目で誠実な態度は好感が持て、次第に自分の心が魅かれていくのが感じられた。


だが、ふと顔を上げた時に目が会う瀬川の視線が女の心に突き刺さる。


遅すぎた・・・。

全ては遅すぎたのである。


やがて訪れる悲しみの不安に怯えながらも、今ひとときの夢に浸っていたい礼子であった。

映画を観た帰りに、礼子のマンションの近くの公園まで島田は送っていった。


ただし、決してマンションまでは送らせる事はなかった。


それだけは出来なかった。


この頃瀬川は礼子がいるマンションに寄る事も無く、会社で顔を会わせても話しすらしてこなかった。


ただ、前程寂しいとは感じないのであった。


島田に対しても好意を持ってる分、傷つけぬ前に何とかしなければと思っていた。

でも真剣な島田の表情を見る度に、いつも言いそびれてしまう。


いや、そうではない。


自分も本気で愛し始めている事に気づくのが恐かったのだ。


早く言わなければ・・・。

今日はその事ばかり考えているのであった。


※※※※※※※※

 

「あの・・・」


男が立ち止まり、訴える様な眼差しで見つめてくる。


「は、はい」


女は澄んだ瞳に心が吸い込まれそうで一瞬、力が抜けていく様に感じた。


男の顔が近づいてくる。


女の長いまつ毛が閉じそうになった瞬間、公園の前に止まった車から下りてきた、幸せそうに笑いあう3人の親子連れの姿が目に入った。

礼子は驚くように表情を凍らせると、あわてて島田から離れた。


そして、目から急に涙を溢れさせたかと思うと両手で顔を覆い、泣き出してしまった。


突然の事に男は戸惑い、どうしていいか分からなかった。

泣きじゃくる女をただ、見つめる事しか出来なかった。


「ご、ごめんなさい・・・。

 わ、私は、お付き合い・・・

 出来る様な、女じゃ・・・

 ないん・・・です」


女は尚も泣きながら、それでも懸命に話し出した。

島田は何も言わず、ジット見つめたまま話をきいている。


女は全てを話した。

瀬川の事も、マンションの事も。


公園の街灯がボンヤリと闇を照らしている。 

月が輪をつけていた。


「もう・・・あの人の事なんか、愛してないと思っていたんです」


やっと落ち着いたのか、二人は公園のベンチに座り話している。


「でも・・・さっき親子連れを見た時、急にあの人の事を思い出して。あの人も、ああして家庭にいるのかと思ったら、嫉妬している自分に気づいて・・・今まで一度もそんな事、無かったのに・・・」


男は目をそらさずにきいている。


「本当にごめんなさい。

 今まで・・・騙していて」


礼子は顔を上げると、男の瞳を眩しそうに見つめた。


(何て、やさしい目をしているの・・・。

 や、やめて。お願い・・・)


再び女の目から涙が溢れ、泣き出した。

静寂の闇の中に女のすすり泣く音だけが、聞こえている。


男は手を膝の前で組み、ポツリポツリ話しだした。


「僕には・・・分からない。

 君の事を・・ずっと、何年も・・・

 想っていたんだ。

 毎日、毎日・・・」


風がそよいで木々の葉を揺らしている。


「確かに、ショックだったけど・・・。僕は不器用だから、もう・・・他の人を好きになる事なんか、出来ない」


男は言葉を区切ると、女の震える肩にそっと手を置いて続けた。


「うま・・・く、言えないけど、少しだけ、ほんの少しだけ、時間をくれないか・・・。今までよりずっと、君の事を好きに・・・なりたい・・・から」


島田の言葉にいつのまにか顔を上げ、涙に濡れた瞳を向けて話を聞いていた。


男はその瞳に吸い込まれていく様な気持ちになった。


「今まで、僕には勇気が無かった・・・。でも今、ハッキリ分かったんだ。君を、愛している。君を奪える強い男になる。それまで、時間をくれないだろうか。少しだけ・・・。僕はもう、何年も待っていたんだ」


女の中で、何かが弾けた。


男が噛み締める様に言った言葉を受けとめると、礼子はその胸に飛び込んでいった。

そうして最後の涙を振り絞るように、顔をうずめている。


女の細い肩が小刻みに震えている。

男は愛おしむ様に艶のある髪を撫でている。


※※※※※※※※


(僕はもう、何年も待っていたんだ)


男の言葉が頭の中でかけ巡る。

長い間貯め込んでいた何かが堰を切った様に溢れ出てくる。


女は、ようやく自由になれた気がした。


シーツから男の背中がはみだしている。

女の白い腕が寄り添うように絡んでいる。


男の動きに合わせながら、女は痺れた頭の中でボンヤリと考えていた。


(そうだわ・・・。

 あの、人形・・・。

 こ、この人に似てたんだ。

 だから・・・。

 ホッとするんだ。私・・・)


二人は昇ろうとしていた。


(きっと、そう・・・よ。きっと・・・) 


男を受けとめながら、女は何度も同じ事を繰り返し考えていた。


頭の中が白くなっていく。


初めての事であった。

愛している、と思った。


今まで、こんなに安らかな気持ちになった事は無かった。

二人は声にならない物を振り絞りながら、同時に昇りつめていった。


あたたかかった。


このしあわせが逃げない様に、力いっぱい男を抱きしめた。

女の閉じた長いまつ毛から、ひとしずく涙がこぼれた。

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