ピンクタクシー
燈外町 猶
アリスと、一度だけ。
×
大学三年生に上がってすぐ、現段階の取得単位から計算して四年では卒業できないことを知り、私は躊躇いなく中退を選んだ。
半年後小さなホテルに就職するのだが、それまでの期間はフリーターとしていくつかのアルバイトを掛け持ちしていた。
これはその時の――私が宙ぶらりんだったからこそ体験できた――凍てつく夜の話だ。
×
「今、暇ですか?」
深夜一時を回って少し、ゲームのしすぎで目がシパシパしてきたのでいい加減寝ようとしたところ、滅多にならないスマホの着信音が響いたので慌てて取るとアリスは涙声でそう言った。
彼女からこうして何の脈絡もなく連絡が来るときは必ず、『(男がつかまらなかったので)飲みに行きましょう』又は『(男がつかまらなかったので)迎えに来てください』ということを私は理解していたので、「また~?」なんてごねるふりをしてさっさと出かける支度を始めた。
聞くとアリスは相席居酒屋で出会った男と飲んだあとにホテルへ行ったが、ゴムを付ける付けないで喧嘩になり飛び出してきたらしい。
その後近くの駅まで歩くも終電がなくなっていたのでホトホト困っているとのこと。
どこまでが嘘なのかわかったものじゃないけれど、惚れている女が迎えに来いと言えば行くしかなかった。
一月の末だったと思う。昼間ですら冷気が頬を突き刺すように寒かった。だのに、迎えに行くと言っても私が所持している車と呼べるものはバイクしかない。
125ccの、ナンバープレートがピンク色のバイク。
もともと免許なんて取るつもりはなかったが、取ったらバイクをくれてやると父親に唆されそのお古を貰い受けた。
電話をしながら調べたところ、アリスがいる駅までは電車でも車でも私の家から20分程の距離があった。いつも使う道路や路線とは反対方面にあるので、土地勘もゼロで不安しかない。それでも行くしかなかった。彼女が私を呼んでいる。理由はそれだけで十分だった。
なぜ彼女にここまで魅せられているのだろう、と、エンジンを吹かして寒風を切り車通りの少ない国道を邁進する最中、ふと思う。
出会いは彼女が高校三年生で私が大学二年生の時、ドーナツ屋のアルバイトで同じシフトだっただけ。大してドラマチックでもない。
アリスは金持ちの父親と愛情たっぷりの母親がいて、男受けする顔立ちをしていてスタイルが良くて、良いスタイルを活かせるファッションセンスがあって、甘え上手で、狡猾で、残酷で、男や、自分に惚れている存在を無意識に見下しているような女だった。無邪気な暴君というのだろうか。
なにせ彼女のラインには【タクシー1】【タクシー2】【タクシー3】と表示される男共が存在するのだ。
さしずめ私は【ピンクタクシー】とか命名されているのだろう。でもそれでいい。
私はそういう、美しさと傲慢さが比例している女から良いようにされるのがたまらく好きだった。
×
何度も路肩で止まりながらスマホのナビを使ってアリスのもとに着いた頃には30分が経過していて、気まぐれな彼女はすでにもういないかもしれないなんて不安があったけれど、シャッターの下りた駅の前で
半分泣きながら半分寝ていた彼女に近づいて抱きしめると、少し、酒臭かった。
私は自分のコートとマフラーを彼女が既に着ているソレらの上からさらに装備させて、「帰るよ」とだけ告げる。アリスも「うん」とだけ返す。『迎えに来たよ』も『ありがとう』もない、いつものやりとりだった。
まず私がバイクに跨ってから、彼女は慣れた動きで後ろに乗り腰に手を回してきつく私を抱きしめた。これがたまらない。
私がバイクの後ろに人を乗せるとき、好きな人には掴まる場所を教えない。自然と腰に手を回してくれるのは、そういうことなんだと浮かれるようにしていた。(抱きつきたくない人はシートの近くにある持ち手に掴まるし、抱きしめられたくない人には私から持ち手の位置を教える。)
ルートはなんとなく頭に入っていたためスマホのナビは起動せずに走り出す。
自分のマフラーがなくなったので顔面が凍りつきそうになりながら、それでも彼女を早く届けたくてひたすらにエンジンを吹かせた。
するといつの間にか高速道路に入ってしまって大わらわ。(高速道路を走っていいのは126ccから。)(これ、阿呆かと思われるかもしれないが、一般道と高速道路の境目が初見ではわかりにくい道だった。本当に申し訳ない。)背後に迫ったポルシェが深夜なのをいいことに煽り散らかしてくるので「すみません、すみません」とヘドバンしながら走った。
ようやく辿り着いた料金所にはおっちゃんが駐在してくれていた。罰金でもなんでもとられていいから早くこの道路から出たくて声をかけピンクナンバーであることを告げると、おっちゃんは怒りもせずに「大変だったね」と言って、普段は解放していない道をわざわざ開いて「ここから出てまっすぐ進めば帰れるよ」と教えてくれた。これほど見知らぬおっちゃんに感謝したことはない。
帰路がはっきりしたことで安心した私は、しかし途端に先程まで以上の戦慄に襲われる。アリスが私を抱きしめる力が弱くなって、というか、無くなっていた。——そう、脱力していた。あろうことかこの女、バイクの後ろで寝ていたのだ。 曲がる際は彼女の腕を強く掴んで片手で運転する他なかった。
けれど私は、焦り以上の喜びも感じていた。
彼女は意識していないかもしれないけれど、私に命を託して睡眠を摂ったのだ。アリスが人生で最後に味わうのは私という人間の感触かもしれないのだ。そう思うと無性に嬉しかった。
×
「お疲れさまでした」
「あい。またのご利用をお待ちしてます」
やっとのこさ彼女の家の近くにある公園に着き、バイクから降りサイドスタンドを立てた私にマフラーとコートが返される。
それから彼女は微睡んだまま、とろんと妙にいやらしく蕩けた瞳で私を見るものだから、いい加減やってやると意を決して唇を奪った。するとアリスは私の予想に反して怒りも突き飛ばしもせず、そっと包み込むように私を抱きしめた。
そんなわけないのに、全てが許されたような気がして、彼女の後頭部に左手のひらを回して逃げられないよう固定したままキスを続ける。
唇が触れている時間よりも、舌が絡まっている時間の方が長かった。 彼女は静かに私を受け入れていた。
たまらなくなって右手をアリスの衣服の中へ忍ばせた私は、彼女の素肌の柔らかさと滑らかさに驚く。適切な脱毛と高級なエステにより手入れの施されたアリスの体は、
荒くなった手付きがガウチョの中へ滑り込んでもアリスは抵抗しない。どころか下着は笑ってしまうくらい濡れていて、私は安心して彼女を快楽へと導いた。
下着の中に手を入れても、彼女の中に指を入れても抵抗はない。ただ困惑混じりの嬌声がきつく閉じた口元の隙間から漏れる程度だった。
むしろまずいのは私の方だった。普段はそこにあることも忘れるくらい存在感のない薬指が、愛しい人に触れている間はどこよりも敏い性感帯となる。彼女がきつく締めるその圧迫感だけで達してしまいそうだった。
どれくらいそうしていただろうか、ようやくアリスの足腰から全ての力が抜け切ったとき、溢れ出た粘液は私の手を覆い尽くさんとしていた。下着から抜き取った手指を私が舐めとろうとすると彼女は必死に制止した。
私はスイッチが入るとサディスティックになる性質らしく、そんなに嫌なら自分で綺麗にすればいいと手を差し出す。しかしアリスはそれに舌を伸ばすことはなく、近くの水道まで引っ張って水で洗い流した。
私の右手を、赤面の彼女が両手を使って洗うその光景があまりにいじらしくて二回戦へもつれ込みたくなったが、ふいに零したアリスの可愛らしいくしゃみ一つで、そんな全部がどうでもよくなってしまった。
ハンカチで水を拭ってから彼女のマフラーを巻き直し衣服の乱れを整え、マンションのエントランスまで連れ添って送った。
エレベーターに乗る前に、アリスは一度だけ振り返ってくれた。
その時の照れているような、拗ねているような表情を思い出す度に、私は如何ともし難い幸福感に見舞われる。
×
今ではめっきり減ったものの、たまにバイクに跨ることがある。オンボロになった、125ccのピンクナンバーに。
もう誰も後ろに乗せることはないため、走り出すといつも『こんなに軽かったか』と驚いて、その後すぐに切なさがやってくる。
きっと私は今でも求めているのだ。彼女のわがままな重さを。
今か今かと待っているのだ。都合の良いピンクタクシーの出番が、再び訪れるその時を。
ピンクタクシー 燈外町 猶 @Toutoma
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