春の桜の夢を見る

@yohafis

現代①

10年後のこの日に、タイムカプセルを開けよう――今思えば、ガキっぽい約束だったと思う。


高校生の時に恋人だった彼女、櫻田華は漫画家志望の女の子だった。名前の通り、花のように淡い笑顔を今も覚えている。


放課後に図書室で小説を書いていた俺に声をかけてきたのがきっかけだった。


彼女はスクールカーストも高めのキラキラ女子で男子からの人気も高く、一方で俺はというと特に目立たず交遊範囲も広くなく、どちらかと言えば彼女たちに一方的な劣等感を抱いているタイプだった。


「もしかして、何か創作してる?」


特徴的な問いかけだな、と思ったものだ。


何を書いているの、勉強してるの、或いは小説書いているの。そういう問いかけなら分かるけれど、創作をしているかという問いかけは、まるで彼女も何かをそうしているかのように思えて、今までに俺が彼女に抱いていたイメージかではなかなか出てこない表現であった。


別に、書いていることを隠していたわけではない。けれども、何だか彼女のような所謂陽キャに対してそれを公開するのも、イジリのネタを提供してしまうような気がして、肯定もしづらかった。


そんな俺の空気を感じたのか、彼女はニっと楽しそうな表情を浮かべたかと思うと、僕の耳元に口を運んで囁くように言葉を漏らした。


「私はね、漫画書いてるの。だから、もし米村くんがそうだったら嬉しいなって、そう思って」


先ほどとは打って変わって、少し恥ずかしげな表情は、今まで見たことの無いものだった。それだけで、彼女のその言葉は冗談ではなかったと察することが出来るような照れ方で、つい言葉を返してしまった。


「ああ、そっか。うん、そう、俺ね、小説書いてるんだ。ガキの頃から小説家になりたいって、それが夢でさ」


今思うと、不意打ちにやられたのかもしれないし、或は華のような綺麗な女子と話す機会なんてそう無かったから、これをきっかけに仲良くなりたいなんて下心があったのかもしれない。俺が書いていることを伝える必要なんて、それこそ全く無かったから。


それでも俺はそれを口にしてしまったし、彼女はそれを知ってしまった。秘密の共有というには小さなことかもしれないけれど、同志になるには十分だった。


曰く、普段よく話す友達にはオタクっぽく思われそうなのが嫌で、そこまでは話せていないだとか。漫画や小説を読むのが好きだから図書委員にはなったけれど、クラスのオタク集団とはうまく関われないから隠しているだとか。図書委員として放課後図書室にいるうちに、同じクラスの俺が本を借りもしないのに来ていることに気がついただとか。


テスト期間でもない放課後の図書室なんて、華と俺の二人しかいないことが殆どだった。


その日から、俺たちの距離はぐっと縮まった。俺が図書室に通うのはいつものことだったし、彼女が当番の日は下校時刻までそこで語り、一緒に帰り、気づけば恋人なんて関係性にもなっていた。それはもしかしたら「似た夢を追いかける人が近くにいたから」という偶然を運命と勘違いしたのかもしれないし、或はただ単に仲良くなれたからそうなったのかもしれないし、もしくは高校生の恋愛なんて理由も無く一緒にいるやつを好きになってしまうものなのかもしれない。


それでも俺は、彼女と仲良くなれたおかげで十年経った今まで書き続けることができたし、それは彼女もそうであったと思いたい。


高校を卒業しての進路は、二人とも全く違うものだった。彼女は少し離れた地域のデザイン専門学校に進学したし、俺はといえば、更に離れた都心の文学部に進学することにした。対して成績が良かった訳でもないのに背伸びをして受験をすることにしたのも、華の言葉がきっかけだった。


「学が無くても小説家にはなれるけど、偉大になるには往々にして有名校を卒業しているものだよ」


当時流行だったweb漫画の名言をもじって、彼女はそう悪戯っぽく笑った。別に、どんな進路であっても小説を書くことは出来たし、勉強をする時間を書く時間に充てたかったということもあるけれど、その言葉を否定できるくらいには、俺は世間のことを知っているわけでもなかった。


だからこそ勉強も一生懸命にしたし、彼女は彼女なりに考えた進路を選び、お互いにその道に進むことが決まったのが、三月上旬のことだった。


肌寒い、春と呼ぶには少しまだ早い季節ではあったけど、卒業式も受験も終えた俺たちは、もう別れの予感を覚えていた。お互いに離れた進路で、学生でいる期間も違って、それでもずっと一緒にいられると思えるほど子どもでもなかった。華のことは好きだったし、それが距離や時間で変わるものではないと思ってはいたけれど、それがずっと続くという確信も無かった。


タイムカプセルを埋めよう、という提案をしたのは、それでも変わらないことがあって欲しいと思ったからだった。ガキっぽくて恥ずかしいなと当時でも思ったんだから、更に十年経った今では尚更、顔から火が出るほど恥ずかしい。それでも、それがあるということも心の支えでもあった。


未来の自分と相手に向けての手紙を書いて、それを近所の公園に埋めた。学校帰りに青いベンチに座って話していた公園で、十年後までここが残っているのかも、タイムカプセルが誰かに掘られないのかも、何の保証もなかった。


次に会うときは十年後のこの日、夢を叶えてここで会おうと約束して、俺たちの道は別れた。


最初のうちは面白かった作品の話や、書いていて悩んでいることなんかを連絡し合ってはいたけれど、それも一年も続かなかった。気がつけば彼女と連絡を取る頻度も減って、気がつけば全くなくなってしまった。大学では新たに恋人もできたし、小説を書くこと以外に楽しいこともいっぱいあった。だけども、書くことはやめなかった。やめられなかった。


他の誰かと付き合うことや遊んでいること以上に、書かなくなるということが、それだけが華に対しての背信になる気がして、俺は書くことだけはやめられなかった。


大学を卒業して社会人になり、周りは結婚や子持ちも増えてきたけれど、俺は華に出会う前の高校時代のように、誰かにそれを知られることはないままに書き続け、そして十年目の今日を迎えた。


結局小説家にはなれていないし、胸を張って会えることもなければ、伝えられることもない。それでも、今日が来ることは待ち遠しかった。


もしかしたら俺が知らないだけで彼女はもう有名な漫画家になっているのかもしれないし、或は結婚もして育児に仕事に忙しい日々を過ごしているのかもしれない。今日は来られないのかもしれない。電話番号から登録されるメッセンジャーアプリに連絡先は入っていたけれど、「待ってるね」と連絡をするのも無粋な気がして、俺は一日中青いベンチに座って待っていた。公園はあの頃と変わらずにあったけれど、ベンチの塗装の剥げに時代を感じさせられた。


一時間が経ち、二時間が過ぎ、少しずつ日が落ちて来た。春が近い季節とはいえ、暗くなるのはまだ早い頃でもある。


これ以上待ってもきっと彼女は来ないだろうと諦めて、リュックに入れていたスコップを取り出した。いい年した大人になって、しゃがんで木の根本を掘るのは何だか恥ずかしいけれど、幸い誰も公園にはいなかった。しばらく掘り起こすと、スコップの先が何かとぶつかって、それはお目当ての手紙を埋めた缶であることに気がついた。


もう少し頑張ってそれを掘り起こすと、穴を丁寧に埋め戻した。あの頃は二人で行った作業を一人でしていることは寂しかったけれど、同じくらいワクワクした。自分に宛てて書いたことは何となく覚えていて、作家になれているか、夢は叶ったか、叶ってなくても頑張っていられているかとか、そんな問いかけだったと思う。それよりも、彼女が自分宛に何て書いていたかが気になって、それを知りたいと言う期待感がいっぱいだった。


ベンチに戻って缶を開けると、封筒が四通入っていた。自分が自分に宛てた封筒を開けるとそこにはやはり覚えていたままの内容があって、少し残念な気もした。少しくらい、覚えてないような内容を書いていても良かったのにと思いつつ、続いて彼女が自分に宛てた封筒を開けた。


**********


未来のハルくんへ


改めてこういう風に手紙を書くのって、ちょっと恥ずかしいね(笑)


小説家になりたいって夢を持ってる人が近くにいてくれたのって、私にとって凄く幸せなことだったと手紙を書きながら思っています。


私だけじゃもう漫画を描いていなかったかもしれないし、ハルくんがいてくれたおかげで私は高校生活でも夢を諦めずに描き続けられられました。


冗談みたいな煽りにも負けずに進路もしっかり決めて、言葉にするのは照れるけど、尊敬してます。きっと未来の私も、それは変わらないと思う。


同級生だけど憧れだし、ハルくんに負けない自分でいたいなって思ってる。付き合ってて、ずっとそう思ってました。


この手紙を読まれる時に私たちがどんな関係性で、どんな風に夢を叶えて、どんな大人になってるか分からないけど、あなたと会えて本当に良かった。


願わくば、笑顔でこの手紙を読めていますように。


大好きです。


**********


何だか胸が締め付けられて、言葉にできなかった。今までに聞いたどんな言葉よりも甘くて、酸っぱくて、そして痛い。


そんな風に思われるほど立派な人間ではなかったし、今もそうではないのだけれど、それでもそう思われていたことは嬉しくて、照れくさくて、でも恥ずかしかった。


これが青春というのなら、今が人生で一番の青春なんだと思う。


彼女に何かを伝えたくて、でも彼女は隣にはいてくれなくて、どうすべきか迷って携帯電話を取り出した。


メッセンジャーアプリを立ち上げて、彼女にメッセージを送って良いかを少し逡巡した。それでも、衝動は収まらなくて、メッセージを打って送信した。


『こんにちは、お久しぶり。今日、タイムカプセルを開けに来てるんだけど、つい送りたくなって』


既読の反応がつくかどうかの自信は無かったけれど、送信してすぐにその表示がついたことに安心した。


『え、久しぶり! そしてごめん、今日行けなかったんだ』


あの頃もよく使っていた泣き顔の絵文字を文末につけて、彼女は返信をくれた。


『いや全然、予定もあるだろうし。最近はどうなの、描いてる?』


軽い気持ちで送った雑談のつもりだった。いきなり本題の「手紙が嬉しかった」と伝えるのは、何だか照れくさくて、雑談をしてから伝えようと、そんな気持ちで送ったメッセージだ。


『いや、もう数年は描いてないよ。もう描くことはないかな』


そんな絶望を告げられたのは、全くの不意打ちだった。

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