がらがらがらがらどんどんどん
逆塔ボマー
雷鳴は遠く鳴り続ける
「……はぁ?
山深い寒村の、村の入り口。角つき兜も勇ましい戦士は大声を上げた。
見るからに貧相な体つきの村の若者は、怯えつつも説明を続ける。
「戦士様には遠路はるばるいらして貰って申し訳ないのですが……討伐を依頼した、『橋を遮る
「何者かに、ねェ……」
「良かったじゃないスか大将。楽ができて」
「馬鹿が、良いことなんてあるもんかい」
軽口を叩いた荷物持ちの小姓の頭に、戦士は軽く拳骨を落とす。武者修行の一環として、熟練の戦士の付き人、細々とした雑用役をしている若者だった。それなりに目端の利く小僧ではあるが、しばしば余計なことを言うのが困りものだった。
「戦士が戦わなくてどうするってんだよ。仕事がねぇことを喜んだら御終いだ」
「へぇ、大将、すんません」
「まあともかくだ、相手が居なくなったからって、前払いで受け取った金は返さねぇぞ。こっちも商売なんでな」
戦士は周囲を見回しながら己の立派な髭を撫でつける。厳しい山に囲まれた、粗末な小屋が肩を寄せ合うような小さな村である。山肌に張り付くような段々畑だけでは、この規模の村は維持できまい。遠くに見える斜面には草をはむ羊の群れ。なるほど、半農半牧、羊飼いたちの放牧の拠点にもなる村か。戦士は瞬時に前払い金の出どころを理解する。貧しくとも現金収入のある村なのだ。
「はい、それはもちろん、返せとは申しません。しかし……」
「しかし?」
「どうやら、
「どういうことだ」
村の若者の言葉に、戦士は首を傾げた。
既に倒された、橋の
何者かに。
つまり。
「見てもらった方が早いかもしれません。こちらにどうぞ」
☆
「なんすかこれ。大将これなんなんスか」
「騒ぐな小僧。……まあ、
村人に連れていかれた河原で、戦士は並べられた肉片に首を捻った。
長々とした毛に包まれた、腕や足、だったモノ。
それが十個ばかり、水の流れから引き揚げられ、並べられていた。
「昨日からひとつふたつと川を流されて来たんですよ。拾いそびれて流れてったモンもあるかもしれませんがね。んで……戦士様に退治をお願いしようとしていた
「
戦士は首を捻りつつも肉片を手に取り検分する。傷跡をまじまじと観察する。
「剣じゃねえな。斧でもねぇ。鈍器だ。手足が千切れるほどの強さで、何度も、何度も」
「ひえぇっ。いや大将、それマジですかい?」
「こんなことでホラ吹いてどうすんだよ。んで、これは頭か。目玉が潰されてるな。両方ともだ。なにか鋭いモノで貫かれてやがる」
「最初に目を潰して、抵抗できなくなった所をタコ殴り?」
「そうかもしれねぇし、そうじゃないかもしれない。……こっちは胴体か。なんだこの跡は、蹄か?」
「こんなバカでかい足の生き物っていますかねぇ」
「俺もそう思うが、大きさを別にすりゃあ……山羊だな、これは」
戦士たちの分析に、村人は悲鳴を上げた。
「『雷鳴』だ! 山の主だ!」
「なんでぇ、『雷鳴』ってなぁ」
「あ、その、誰からともなくそう呼ばれるようになった馬鹿でかい山羊が、この辺の山には住んでまして」
「ほぅ」
「見上げるほどの体躯に、一回転してまだ余るほどの巨大な角。口を開けばまるで落雷のような大きなしわがれ声を上げて……」
「それでついた渾名が『雷鳴』か」
戦士は考え込む。自然の獣が、時に信じられない大きさにまで育つことは確かにある。しかし、
村人はそして、手を合わせて戦士に拝みこんだ。
「いままで『雷鳴』がヒトに悪さをしたという話はありませぬが、しかしこうして
☆
「これが
「よくもまあこんな所に橋をかけたな」
目の前に延びる細い橋を前に、戦士と小姓は顔を見合わせていた。
村から丘を越えて進むこと小一時間ほど。切り立った峡谷に、その橋はあった。なるほど迂回する道などない難所である。
「越えた先は良い草場になってると聞いたが、なるほど、橋のこちら側はろくに草も残ってないのに、向こうは青々としている」
「
どこからか流れてきた
羊飼いと羊の群れであれば、通るたびに羊一匹。あまりに法外な要求ではあったが、泣く泣く支払わざるを得ないこともあったという。
「しかし、
「どういうことです、大将?」
「いくら大きな山羊といえども、よもやこの渓谷を飛び越えたということもあるまい。ならばこの橋を渡ったということだ。この橋を渡れる程度の大きさということだ」
「あっ」
「蹄の大きさから見当はついていたがな。
二人は橋を渡り始める。ぎしぎしと揺れるが、完全武装の戦士と荷物を担いだ小姓、二人分の体重は余裕で支える橋だった。
遠くから狼の遠吠えが聞こえる。小姓は一瞬足を止めるが、戦士は構わず歩き続ける。
「
「う、うっす!」
こういった野を生きるためのちょっとした知恵もまた、小姓が戦士から学ぼうとしていることだった。周囲への警戒を怠ることなく、二人は山へと分け入っていった。
☆
「お前が『雷鳴』か?」
「メエェェェェェ……」
「聞いた俺が悪かったが、お前が『雷鳴』のはずがない。嘘をつくな」
「大将、山羊の言葉が分かるんスか?」
「いや、分からん」
「分からねぇのかよ!!」
山を進んでしばらくして。草を食んでいた小さな子山羊の前で、男たちはくだらないやり取りをしていた。一声応えた後は、子山羊は興味なさそうに草を食べ続けている。
「まあこんなチビが
「角すらもロクに生えてないしな。まあいいや。おいチビ山羊。お前よりデカい山羊がどこにいるか知らないか」
「大将、山羊と会話できるんスか?」
「いや、出来ない。ダメ元だ」
「ダメ元なのかよ!!」
「メエェェェェェ」
男二人のやり取りをよそに、子山羊はぷい、と顎先をしゃくる。指した先は山の、より高い方。
「そっちか。行って見るか」
「大将、本気っすか」
「他にアテなどないだろう? まあ、ダメで元々だ」
「へいへい……」
男たちは山を登っていく。子山羊はなおも草を食べ続ける。
☆
「お前が『雷鳴』か?」
「メ゛エ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛……」
「聞いた俺が悪かったが、お前が『雷鳴』のはずがない。嘘をつくな」
「大将、やっぱり山羊の言葉が分かるんスか?」
「いや、分からん」
「やっぱり分からねぇのかよ!!」
山をさらに進んでしばらくして。草を食んでいた、先ほどよりは一回り大きな山羊の前で、男たちはくだらないやり取りをしていた。一声応えた後は、山羊はやはり興味なさそうに草を食べ続けている。
「まあさっきのチビよりはマシとはいえ、こんなどこにでも居そうな山羊に
「こんなんでもお前と同じくらいのパワーはあるはずだがな。おい、山羊。お前よりデカい山羊がどこにいるか知らないか」
「大将、やっぱり山羊と会話できるんスか?」
「いや、出来ない。ダメ元だ」
「やっぱりダメ元なのかよ!!」
「メ゛エ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛」
男二人のやり取りをよそに、山羊はぷい、と顎先をしゃくる。指した先は山の、さらに高い方。
「まだ登るのか。まあ、行って見るか」
「大将、本気っすか」
「どうせ他にアテなどないだろう? ダメで元々だ。それこそ山頂にでも行けば何か目に付いたりもするだろ」
「へいへい……」
男たちは山を登っていく。山羊はなおも草を食べ続ける。
☆
「…………お前が『雷鳴』か」
「GOOOOOOOOO……!!」
「聞くまでもなかったか。お前が
「大将、山羊の言葉が……」
「分かる必要もないだろう。下がってろ小僧。流石の俺でも、お前を守りながら戦えるような相手ではない」
山の頂点近く、広く開けたちょっとした自然の広場のような場所で。
二人の男は、草を食んでいたその怪物と対峙していた。
大柄な戦士が、なおも遥か高くに見上げるその体格。
男の腕よりもなお太い、ねじくれた角はぐるりと一回転してさらに横に張り出し。
貫禄たっぷりの長い髭に、燃えるような力を感じさせる深い瞳。
大地を小さく蹴るその足の先には、巨大な鉄塊のような蹄が備わっている。
耳朶を打つそのガラガラ声は、なるほど遠雷の音にも似て。
果たしてそれが尋常の山羊の範疇に収まる存在なのか。
こんな巨躯であの細い橋を渡ってきたとでもいうのか。
丸盾と戦斧を手に、戦士はじり、じりと間合いを測る。
「『雷鳴』よ、お前に恨みはないが……こちらも戦士として、退け」
退けぬのだ、と言いかけて、戦士の言葉と足が止まる。
いや、止められる。
何に?
他ならぬ目の前の巨大山羊、『雷鳴』の視線に。
戦士は刹那のうちに想像する。
退けぬのだ! と叫ぶと同時に跳び上がり、『雷鳴』の脳天に斧を振り下ろす――止められる。
少し首を傾げただけの『雷鳴』の太い角、その基部で斧の刃を受けられて、角を断ち切ることは能わず。反対に角の一振りで、空中にあった戦士の身体が独楽のように何回転もする。頭から大地に叩きつけられた戦士の身体の上に、ダメ押しの蹄が降ってくる。
戦士は刹那のうちに想像する。
跳び上がると見せかけて、フェイントで大地を舐めるように飛び出して、『雷鳴』の足を刈る――止められる。
見透かしていた『雷鳴』が少し片足を持ち上げるだけで、刃は岩のような硬さの蹄の底に止められて、そのまま大地へと叩き落される。無様に倒れて動けぬ戦士の頭上から、巨木のような角が振り下ろされる。
戦士は刹那のうちに想像する。
いっそ斧を投げたらどうか――そんな破れかぶれが通じる相手ではない。一撃で仕留められなければ、その時点で自分は終わりだ。
戦士は刹那のうちに想像する。
あえて『雷鳴』の攻撃を誘って後の先を狙えば――先制攻撃を凌げるイメージがない。角も蹄もこの丸盾で受けきれる気がしない。もろともに胴体を貫かれる。
戦士は刹那のうちに想像する。
想像する。
想像する。
過去に積み上げた膨大な戦闘経験から、目の前の巨大な壁への対処法を考える。必死に考える。
『雷鳴』は動かない。
すべてを見通したかのような瞳で戦士を見つめたまま、一歩も動かない。
どんな方法でも戦士を
「た、大将! どうしたんスか、大将!」
「か……勝てない……! こいつには……こんな、大自然そのもののような存在には……!」
とうとう戦士は、荒い息をつきながら、その場に片膝をついてしまった。滝のような汗がその身を伝う。
経験不足の小姓にはまだ感知することのできない、圧倒的な格の違い。それが戦士の膝を、心を折ったモノの正体だった。
その時だった。
遠くから狼の遠吠えが鳴り響き、小さな影がふたつ、山頂近くの広場へと駆け上がってきたのは。
戦士も、巨大山羊も、はっとなってそちらを振り向く。
角もろくに伸びていない子山羊と、よくみる普通サイズの山羊が一匹ずつ。
そしてそれらの背を追って現れたのは、無数の
☆
先に動いたのは、巨大山羊だった。
「GOOOOOOOOA……!!」
山そのものが震えるような大きなガラガラ声を上げて、子山羊の尻に噛みつかんとしていた狼を弾き飛ばす。
傍目にも身体の半ばからへし曲がった狼が、一撃で絶命しているのは明らかだった。
しかし
傍にいた並みサイズの山羊が角を振り立てて威嚇するが、それで止められるのも一匹二匹が精一杯。さらに別の方向から牙をむいた狼が飛び掛かる。
「危ねェッ!」
考えての行動ではなかった。子山羊を守る義理などないはずだった。しかし本人がそうと気づくより先に、戦士の身体が動いていた。横から飛び掛かった戦士の斧によって、その狼は首を刎ねられて絶命した。
「た、大将! 助けて下さい! 大将!」
「しまった、小僧!」
情けない悲鳴に振り返ってみれば、短剣を片手に小姓が逃げまどっていた。
相手が一匹であれば短剣を向けて牽制することもできる、しかし、数匹がかりで素早く周囲を取り囲まれてしまえば。
戦士は咄嗟に駆け寄ろうとするが、それよりも早く、天から飛び降りてきた巨大な影が
「GOOOOOOOOA!!」
「ヒッ……! ら、『雷鳴』……!」
それはもちろん、あの巨大山羊だった。
混乱する戦場の中で、戦士と巨大山羊の目が合う。互いに言葉は要らなかった。
「小僧! チビ山羊どもと一つにまとまってろ! 中くらいの奴と一緒に、チビを守ってろ!」
「は、はいっ!」
「メ゛エ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛」
「メエェェェェェ……」
狼の群れがグルグルと周りを取り巻いて走り回る中、子山羊を中心とした奇妙な即席の円陣が組まれた。
角と短剣で周囲を威嚇するのは、中くらいの山羊と修行中の小姓。
さらにその外側で狼たちと対峙するのは、戦斧と丸盾を手にした戦士と、天を衝くような巨大山羊。
「おいデカブツ、半分は任せるぞ」
「GOOOAT!」
「へっ、なめるんじゃねぇ! いくぜ!」
そして戦士と大山羊は、狼の群れへと突進した。
狼たちがすべて肉片と化すまで、そう時間は要らなかった。
戦士が一匹倒す間に巨大山羊は三匹を倒していたが、それでも、互いが居なければあり得ない、それは種を超えた共闘だった。
☆
「……『雷鳴』よ」
「GOOOOOOOOO」
「メ゛エ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛」
「メエェェェェェ」
「ああそうか、お前たち全てが、『雷鳴』なのか。なるほどな」
「大将、やっぱりひょっとして、山羊の言葉がわかるんスか?」
「言葉は分からん。だが、共に戦った『
静寂を取り戻した、山頂近くの広場にて。
三匹の山羊と二人の人間は、改めて向き合っていた。
もはや互いの間に敵意はない。ただ静かな尊敬の念だけがそこにあった。
「しかし、こいつら全てが同じ『雷鳴』なのだとしたら、村人からの依頼は実行不可能だな」
「どういうことです?」
「そっちの並みの山羊も、そっちのチビも、草を食って肥って育てば、そっちのデカブツと同じになるのだ。『雷鳴』はそもそも、滅ぼせん。仮に倒せても、いずれ次の『雷鳴』が出てくる。ここにいる三匹からでなくとも、山のどこかから必ず」
「あっ」
「俺も戦士として良い経験が出来た。違約金は支払おう。支払ってでも村人たちを説得しよう。それがおそらく、ここで命を拾った俺の責務だ」
村人から依頼された、『雷鳴』退治。
それが意味のないモノだと知って、それでも戦士の顔は晴れやかだった。
「
「GOOOOA!」
「ふふっ、そうだな。最初から杞憂だったな。いいだろう、約束する。人間からもお前たちに手出しはしないと。少なくとも麓の村の者たちにはそう言って聞かせる」
「大将、やっぱりひょっとして山羊と会話できるんスか?」
「たぶんできておらん。だが、
ぷい、と、不意に子山羊が首を上げると、麓の方に向かって駆けていく。
中くらいの山羊もそれに続く。
大きな山羊も数秒、戦士と見つめあったあと、それらに続く。
戦士と小姓は、山の上から、三匹の背が見えなくなるまで見送っていた。
☆
人と獣の距離が今よりもほんの少しだけ近かった、そんな時代の、ちょっとしたお話。
がらがらがらがらどんどんどん 逆塔ボマー @bomber_bookworm
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