第4話



 諸君、俺はおっぱいが好きだ。


 知っているって?

 ああ、構うものか。それでも俺は声を大にして宣言しよう(心の中で)。


 諸君、俺はおっぱいが大好きだ。


 さて、現在俺の目の前には一組のおっぱいがある。

 より正確に表現するならば、一組のおっぱいの持ち主がいる。

 場所は教室。俺は自分の席に座っており、前の席に問題のおっぱいの持ち主が座っている。

 先日、昼休憩の時間に俺と親友が声を掛けたら失神した女子だ。

 バレー部に所属しているこのバレー女子は、170cmを越える長身に鍛え上げられたふとももと見事なおっぱいの所有者である。


 そして諸君、俺はこのおっぱいの感触を知っている。

 我が背中と魂とに甘美なる感触を記憶している。

 何だろう、この優越感は。

 まるで蒙を啓かれたような心持ちだ。

 遥かなる双峰を越えた先には新たな地平が広がっていたということか。

 ここがアヴァロンか。


 とまあ、俺史上最高に気持ち悪いことを考えながら、俺はバレー女子との雑談を楽しんでいた。

 以前は特に仲が良かったわけではない。

 よく話すようになったきっかけは失神した彼女をおんぶして保健室へ運んだことだった。

 後日、バレー女子はわざわざ俺にお礼を伝えてきてくれた。

 その時の、頬を少し赤らめて恥じらう様子にまんまと胸を撃ち抜かれた俺は、恋というものを自覚した。


 可愛い。

 好き。

 もっと話したい。

 おっぱい。


 それしか頭に浮かんでこない。

 元からさほど褒められたものじゃない知能に深刻な障害が見受けられるが、多幸感に包まれた俺は気にしない。

 恋は病というが、それよりも麻薬だなこれは。

 ずぶずぶに浸っていたい。


 そんな風に俺とバレー女子がキャッキャウフフしていると、まるでモーゼが海を割るようにクラスメイトたちに道を開けさせながら、我が親友が近づいてきた。

 普通に歩いているだけなのに、なんか後光が差してるんだよな。圧に負けたようにクラスメイトたちが後ずさりするのが割と洒落になってない。美少年って怖い。


「楽しそうだね。何話してるの?」


 我が親友がキラッキラの笑顔を浮かべて尋ねてくる。

 ああ、心の底から楽しんでたよ。なのに何でお前は邪魔をするんだ。空気読めよ。

 などとケツの穴の小さいことを俺は考えたりしない。

 親友を歓迎するようにこちらも笑みを浮かべ、バレー女子と話していた他愛ない内容を説明しながら、ふと彼女の表情を窺った。


 完全に蕩け切っていた。

 とろっとろだった。

 頬は上気し、口元はだらしなく緩み、潤んだ眼差しは我が親友の憎たらしいほど綺麗な顔へまっすぐに向けられていた。

 俗に言うメスの顔って奴だ。

 これはひどい。


 バレー女子の表情を見た俺は、失恋というものを自覚した。

 まあ、初めての経験じゃないが。





 昼休憩だ。

 いつもの屋上、いつもの場所で俺と親友は隣り合って腰を下ろしていた。

 うむ、今日も我が母ちゃんの弁当がうまい。


「あの写真、どうだった?」


「どうもこうも、お前妹にちゃんと注意しとけよ」


 朝からあの下着写真の真相を聞こうとしてもはぐらかされ続けていたのだが、唐突に親友から感想を求められた。

 だが、勃起したけど罪悪感で抜けませんでしたなどと説明できるわけがない。

 俺は良識人ぶって苦言を呈した。

 いや、本当に妹ちゃんに注意しろよ。そもそも兄貴の親友に下着姿を送りつける神経が理解不能だし、何かの間違いでネットに流れたら永遠に消えないぞ。


「妹?」


 首をこてっと傾げる親友。

 なぜにそんな不思議そうな顔をしているのか。


「だからお前の妹の写真だろ。下着だけの格好をした」


「妹じゃないよ。あれ僕」


 そう告白する親友のくちびるがやたらつやつやしているように見えるのは、俺の目がお腐りあそばしているせいか、それとも親友のママン謹製コロッケの油のせいだろうか。

 そんな下らないことを脳裏に浮かべる一方で、肝心の親友の告白については脳が理解を拒絶していた。


「え?」


「え?」


 お互いに疑問の声を上げて顔を見合わせる俺と親友。

 何とも言えない沈黙が俺たちの間から零れ落ちて、お互いの脚でピンボールみたいに跳ね返ってどこかに飛んで行った。


「……よし、分かった。服脱げ」


 ようやく先ほどの告白の意味を咀嚼して理解した俺は、あり得ない事実を確認するため親友に命令した。


「な、何でそうなるんだよ」


 親友よ、なぜ両腕で胸を庇うんだ。


「お前が男だってことを確認するためだよ。いいから早く脱ぐんだ」


「そんなの服着てても見たら分かるだろ。僕は男だよ……まだ」


 最後に付け加えられた不穏すぎる言葉から全力で耳を塞ぎつつ、弁当箱を置いた俺は両手を胸の前に掲げて言った。


「自分でシャツのボタンを外すか、それとも俺に外されたいのか」


 たぶん、この時の俺はやり過ぎていたと思う。

 でも極度の混乱で気が狂いそうだった俺には親友を気遣ってやる余裕はあまりなかった。

 まだ男だというなら、なぜあの写真の女の子が親友だということになるのか。

 どうしても目の前で親友が男だという証拠を確かめて安心したかったのだ。


「わ、分かったよ。自分で脱ぐから」


 そう言って、親友は一番上から一つずつシャツのボタンを外し始めた。

 俺が見守る中、すべてのボタンを外し終えた親友はシャツをはだけて、Tシャツに包まれた扁平な胸板をこちらに向かって開陳してみせた。


「ほら、これでいいでしょ」


「……おっぱいがあるようには見えないな」


「ないよ」


「ふむ」


 おもむろに両手を伸ばした俺は、親友の胸に思い切り手のひらを押し付けた。

 伝わってくる感触は薄い筋肉とその下にある肋骨。早鐘を打つような鼓動。人のぬくもり。


 俺は深く息を吸い込むと、安堵のため息を吐き出した。


 間違いなくこれは男の体だ。

 バレー女子のおっぱいの感触を知った俺には理解わかる


 手元に落としていた視線を持ち上げると、そこには羞恥に震える美少年の顔がある。


 同じ男に触られるのがそんなに恥ずかしいものか?

 そんな疑問が頭をよぎるが、どこに羞恥を感じるかは人それぞれだ。

 まあ、これまでも散々俺と親友は年頃の男子として、子犬がじゃれ合うような遠慮のない身体的接触を繰り返してきたので、今さら女子が胸を触られて恥ずかしい的なものではないと思うんだが。


 ちなみに実をいうと俺は口の中を見られるのがなぜか無性に恥ずかしい。

 口を開けて見せてと言われると、ついくちびるの隙間から歯だけ覗かせて誤魔化してしまうくらいだ。

 自分でも理由はよく分からない。


 俺の羞恥ポイントはどうでもいいとして、我が親友の話に戻ろう。

 恥ずかしそうにしている親友の姿に遅ればせながら罪悪感を覚えた俺は、はだけられた彼のシャツを胸元で合わせながら、誤魔化すように口走った。


「お前、乳首がたっ」


 最後まで言う前に返事が返って来た。

 脳天へのチョップという物理的な形で。


「ぐおおおおっ!」


 あまりの痛みに俺は頭を抱えてうめいた。

 我が親友め、思い切り殴りやがったな。

 相手の様子を窺うと、同じようにチョップした手を押さえて痛がっている。


「痛ったぁ……」


 何をやっているんだ、俺たちは。

 親友が衣服を整え、平静を取り戻した俺たちは改めて弁当をつつきながら元の話題に戻った。


「で、結局なんであの写真がお前になるんだよ。どう見ても体つきが違っただろ」


「あれは魔法なんだよ。性別が変わった自分がどんな外見になるのか、見ることができる魔法」


 俺の質問に、親友はようやく種明かししてくれた。

 とはいえ、魔法と言われても意味が分からん。


「何でもありかよ魔法。あ、てことはあれか。今ここであの姿になってみせることも可能なのか。いやでも、お前魔法なんて使えなかったよな?」


 異世界との接触以降、地球人の中にも魔法能力に目覚める者がいる。しかし、それはごく少数に限られた話だ。この学校にも実はいるらしいが。 


「魔法は使えないし、今女の子の姿になるのも無理。あの魔法、というか実際には魔道具なんだけど、あくまでも性別が変わった自分の姿を映像として映し出せるだけなんだよ」


「ほぉ~。よくできたCGみたいなもんなのかね。で、何でそんなもん持ってるんだ?」


「そ、それは」


「うむ、それは? 続けて」


 俺が促すと、親友は躊躇いがちながらもそっと打ち明けた。


「性転換をしてくれる魔法クリニックが貸し出しをしてるんだ。その……セミナー受講者に」 


「セミナー」


「えっと……正確に言うとセミナーを受けて本当に予約を入れたいと考えている人向けに」


「予約」


 さっきから親友の言葉を繰り返すオウムと化している俺。

 その様子に俺が怒っていると勘違いしたのか、我が親友は涙目で三度自分の発言を訂正した。


「実はもう予約……入れました」


 ふむ。

 予約を入れたということは、つまり我が親友は性転換魔法の施術を受けて女の子になる予定でいるということか。

 不覚にも俺が勃起してしまったあの姿に生まれ変わると。


 ……何でや!


「ふざけんな! キャンセルしろキャンセル!」


「駄目だよ、キャンセル料だってかかるんだから!」


「そんなもん俺が出してやるわ! 今からそのクリニック行くぞ! オラ立て!」


「駄目だって! それに午後の授業だってあるだろ」


「授業よりお前の体だろうが! いいから来い!」


「ちょっともうっ。引っ張る力強いって!」


 こんな感じでギャンギャンやり合っていたら昼休憩も終わってしまったので、とりあえず俺たち二人は授業に戻ったのだが、屋上で俺たちの騒ぎを聞いていた連中が何をどう曲解したのか、放課後に神妙な表情をした保険医に呼び出されて何でも相談に乗るから早まっては駄目だと諭されてしまった。

 いかにも『私は理解があります』という表情をした保険医と向かい合いながら、誤解を解くために俺と親友がいわゆるそういう関係ではないことを説明しなくてはならなかった。

 なかなか信じてもらえなかったけどな。

 なぜか我が親友は誤解を解くのに協力的じゃなかったし。


 本当に何でや。 


 




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