井の水は冷えている
百能の凡才
第1話 立派すぎる狼煙
暑い。
4月に入り、気温は段々と上がってきたけれど、それは寒さが和らいだというに過ぎない。今日の天は快晴であり、日光が直射してくるというのも、それだけでは暑いというほどでも無い。
火だ。
10m強離れた所で業火が揺らめいている。熱気と共に煙と灰を撒き散らして、勢い良く燃えている。最早、悪魔じみた大きさになっているが、それは「まだ足りない」とばかりに、周りに拡がろうとしていた。
「もう、いきますっ!」
待機する私に、後ろから若々しい声が届いた。
2秒後、グッと抱え込んだ管鎗が急激に重くなると、その先から燃え滾る炎に向かって白いアーチが架かっていく。
やはり、凄まじい。
これまで幾度も体験してきた事だけれど、本番というのは今が初めてだ。全身に受ける反動が、緊張のせいか前より強く感じられる。
「大丈夫ですか?蓮花さん!」
声がすると同時に、反動が軽くなる。
思わず振り返ると、右後ろに少年が管を支えて立っていた。
「大丈夫!ありが――」
「前を見ろ、前を!喋るときも前向いたままって教わらなかったのか?」
お礼を言いかけた私を、厭味ったらしい言葉で殴ってきたこの少年の名は、徳山 湧。私が運転するスクールバスで温森義務教育学校に通う新7年生だ。
「なんかさあ、湧君、学年上がって性格悪くなった?」
「失礼な!世界広しと言えど、これほど性格の良い人はそうはおらんぞよ。」
性格はともかくとして、私は彼を良い人だと評価している。
学力・体力・発想力・行動力・集中力・協調性・美貌・・・・人を評価するポイントというのは、沢山あるだろう。
私が彼、徳山 湧という人物を評価したとき、最も高く評価するところは、『郷土愛』だ。
「故郷を守りたい」という至ってシンプルな想い。だから覚えた、と話した初期消火の知識と技術。それは、現在大いに役立っている。
学校の始業式帰りの送迎中に遭遇した火災。消火栓の操作を知っているのが私だけだったなら、きっともっと緊張していた。
「そうだ、あの転校生の子達はどう?大丈夫そう?」
ここ古住市温森地区はド田舎だ。周りは空き家だらけで、付近の希少な住人も出掛けているのか、この事態に集まってくる人はいなかった。
余計な野次馬がいない事は良い事だけど、流石に二人では人手が足りない。そのため、スクールバスに乗っていた姉妹に手伝いを求めることになった。新しく古住に引っ越して来た一家の子らで、苗字は“四方“といった筈だ。お姉ちゃんの方は、湧君と同い年だという。
「教えた通り、ちゃんと出来ていました。かなり、おっかなびっくりって感じでしたけど。」
「それは仕方ないよ。私だってちゃんと出来てるかって言われたら、まだ違うと思うし。」
初めて消火栓の操作を教わった時の事を思い出す。その時、私はまだこれが一般人に扱える物だとすら認知していなかった。
得体の知れない物を扱う恐怖。彼女らもそれは同じだろう。
「さっき、振り向いてましたもんね。」
何故だろう。私の背中に目は付いていないけれど、後ろにいる人物が私を笑ったのが分かる。
「ところでなんですけど、右隣の今にも燃え移りそうな家。沼田さん家では?」
あの家は、空き家では・・・・・・・・・
「あ。走野君が立て籠もっている家やん!」
沼田 走野君。高校生になった後、何故か引き籠もりになったという子。私も2年前まで送迎していたが、すっかり忘れていた。
「そうです!気付かず寝ている可能性が・・・。」
「でも、火災報知機で・・・」
言いかけて最悪のパターンに気付く。開かずの間に報知器がついているのか?あったとして作動するのか?ヘッドフォンなどしていないか?・・・不安が膨らむ。
「まずいね。ここはいいから、報せて来てくれる?」
「了解です!離します!」
再び管鎗が重くなる。
炎は、衰えるどころか激しさを増している。
快晴の蒼に灰色が一筋引かれている。
今年度は、波乱の予感を漂わせながら始まった。
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