第11話 自宅へ
様々な弊害を乗り越え、長閑の姿は一人自宅に向かう電車の車内にあった。
(よし、とりあえずは自分の部屋に行って、自分の姿を確認してから色々と考えよう)
胸の高鳴りを鎮めようと、早急な自答を頭の中で反芻しながら電車のリズミカルな喧騒に身を任せる。
白い化粧板は角が剥がれ、中身である貧相な板が顔を出している。その真ん中に扉の口のようにも見える郵便ポストには、何かの請求書だろうか、封筒が数枚差し込まれていた。
一階の自分の部屋の入り口であるが、今の自身の容姿を考えると、やはりノックをせざるを得ないとコンコンと控え目なノックを敢行する。
しばらくして音沙汰がないと判断して、ノブをゆっくりと回すもガチャっと回せない。ちゃんと鍵が掛かっていて、少しだけ胸を撫で下ろし、
「だよな……仕事に行く時は絶対に鍵はかける」
そう呟くも、あとは彼女の瑠璃ん家しか今の状況を把握する手掛かりはない。そうやって思案していると、廊下の一番端のドアが勢いよく開いた。
「あら、どちら様? 河辺さんは今は居ませんよ」
そう言ったのは恰幅のいい年配の女性で、このアパートの大家である上田さんだ。
「あ、はい。あのぉ……こちらの住民の方は今、どちらに?」
「あん、なんだか入院してるらしいよ! それがね……」
上田さんはこの辺りでは有名なワイドショーおば様で、雨の日以外は表で誰かと必ず噂話をしている人だった。
このアパートに住む長閑は、ゲーム時間を奪う上田さんに捕まることをいつも恐れていて、彼女を避けながら急いで部屋に飛び込む毎日だった。
「なんか河辺さん意識不明だか昏睡状態だかで、今は病院で寝たきりなんだってぇ……その上ね、倒れてた時に女子高生と一緒だったらしくて……なんでも援助交際とかのもつれで心中したとかって噂になってんのぉぉ」
話の始まりは囁き声だったが、会話の終盤にはむしろ大声と言っても過言ではないほどの話し声になっていた。
(おい! 待て待てぇ……そんなデマが浸透してるのか?! これはヤバイ!)
「う、上田さ……す、すみませんおばさん、か、河辺さんはどちらに入院なさってるんですか?」
「ああ、そこの丸井病院って聞いたけど……でもね、その女の子が女子高……」
「あ、ありがとうございます! では!」
長閑は大家の会話を遮るとともに、すぐさまそう言って一礼。口をパクパクさせるワイドショーおばさんをその場に残し、急いで丸井病院へと進路をとった。
「これはヤバイ……ヤバイぞぉ……やっぱ犯罪者的な扱いになってる! 俺ピンチなんじゃねぇか?! はやくはやく!」
長閑の大き目の独り言は車の排気ガスのように吐き出され、そうすることで前進している乗り物のように道を全力疾走していた。
丸井病院に着いた頃にはすっかり日も暮れかけていた。夕暮れの病院は長閑にとって、居心地の悪い場所でもある。理由は、自身の家族がこの世から居なくなったのがこの時間帯ばかりで、目の前の光景が橙色に包まれ始める現象に不安感を覚えてしまうからだった。
「あの! えっとその……面会」
受付の女性にかぶりつきそうな勢いで、カウンターに身を乗り出したものの、言葉を整理できないまま音を発した。
「はい? 落ち着きましょう。ご家族の方ですか?」
年配の看護師が物腰柔らかくそう言って長閑の眼前に掌をかざす。
「あの、河辺、河辺長閑……さんの病室は何号室でしょうか!」
息も絶え絶えに早口で言いきってから、長閑は大きく息を吸う。
「ああすみません、もう面会時間が過ぎてますんで、また明日にでもお願いできませんか?」
「いや、えっとですね、河辺さんの容態は? 今どんな状況でしょうか?!」
「今は落ち着いてますが……あ、すみません、ご家族でないのなら……やはり明日にでもお願いします」
「あ、でも……お願いします、河辺さん……今、どんな状態かだけでも教えて下さい!」
長閑のその声は、病院の一階ロビーの大理石に反響して広く轟く。
「でもね、そんな風に来られる人も多くて……実際、何度も訪ねてくるけいさ……すみませんまた明日に」
(けいさ……警察か……どうしよう)
長閑が項垂れ、ロビーに並べられている長椅子にドサっと股を開いて腰を落とした時だった、
「す、すみません河辺って? 河辺長閑のことですか?」
長閑はゆっくりと顔をあげて声の人物を見た。そこに立っていたのは彼女の〝瑠璃〟だった。
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