第30話 秋の神に仕える(1)
朱実は蒼然の仕事を手伝うと言ったものの、急に泰然と引き離されたことに不安を隠せなかった。
それに、泰然はとても怒っているだろう。力ずくでこの場から消されたのだから。彼ひとりが家に帰されたとなれば、今ごろ神使のマサ吉やお加代は大騒ぎしているに違いない。もしかすると、轟然や龍然を巻き込んでいたりはしないだろうか。
(どうしよう……。神さま同士の喧嘩になってしまったら)
「あなたにそのような顔をさせてしまい申し訳ありません。泰然と離れてさぞ心細いでしょう」
蒼然は朱実にお茶を注ぎながらそう言った。
「そう、ですね。不安ですし、寂しいです。でもそれよりも、泰然さまが荒れていないかが心配で……。土地神さまが荒ぶったら町の皆さんに迷惑がかかっちゃいます。なんていうか、プライドが傷ついてないかなって」
「わたしに摘み出されてしまいましたからねえ。でも、泰然なら荒ぶることはないでしょう。土地神がその土地から離れると力が落ちるのは仕方のないことです。それはあの方も分かっていると思いますよ」
「そうなんですか! 知りませんでした」
神としての力が消えるわけではないが、土地神はその土地を守ると契約をしている。その土地で最大限の力が発揮するようにとの取り決めだそうだ。
「我々は大国主様との約束を守らなければなりませんから。それに、泰然の性格は真面目で責任感が強いように見えました。多田羅のこともあなたのことも、どちらも守りたいと頑張っておいでですね」
「泰然さまは、わたしのために力が弱まるのを知った上でここに……」
「なぜ、力が弱まるのか知っていますか?」
「それは土地神はその土地でしか力を発揮できないと」
朱実がそう言うと、蒼然は首を横に振った。
「違うんですか?」
「彼は責任感が強いですから、自分の
「霊の半分を多田羅に残して来ていたなんて、知らなかった」
朱実は神に仕える巫女として神社の経営を手伝ってきた。それなのにそんな大事なことを知らぬままにいたのだ。泰然はただそこに居るだけではなく、命をかけて多田羅の町を守っていたということになる。
(何も知らないかもしれない……泰然さまのこと。わたしはただ、守られていただけだったんだ)
狐の舞を奉納したことで、自分も神社と多田羅の町を守っていると思っていた。
「わたしが、あなたにお教えいたします」
「蒼然さまが、わたしに?」
突然押しかけて来ただけで失礼なことをしているのに、なぜ蒼然は朱実にそんなことを言うのだろうか。
「人と神が夫婦になるということは、本来簡単なことではありません。どちらかが自分を変えなければならないのです。例えば、神は己の寿命を捨て人として生きていく。もしくは、人が永遠の命を得て神と共に生きていく」
「えっ、人が神さまと同じように生きることができるのですか! だったらわたしは」
朱実はついテーブルに両手をついて体を乗り出してしまう。そんな選択肢があったことを初めて知ったからだ。ならば、自分は迷わずに後者を選ぶのにと。
(お母さんは、知っていたのかな……)
「先ずは、わたしの仕事を手伝ってください。今夜からここで生活をしましょう。泊まるはずだったお宿はわたしの方で取り消しました。荷物はここにあるだけですか?」
蒼然が小さく
「は、はい。これで全部です」
「ではこれに着替えて、台所に来てください。夕食の準備をします。そのあと、あなたの部屋に案内します」
蒼然から渡されたのは巫女が着る装束だ。
「よ、よろしくお願いします」
蒼然は朱実に神の務めを教えてくれようというのだ。泰然は神社のこと以外の神としての仕事をしているところを見せてくれたことがなかった。
(泰然さまばかりに負担をかけていられない。わたしにもできることを見つけなきゃ)
◇
蒼然は神使をつけずに一人で住んでいるようだ。掃除も洗濯もお料理も全部一人でこなしている。朱実は巫女装束に着替えて、襷で袖を縛った。すると襷を手に蒼然が朱実の隣にやってきた。紐の端を口で咥えて、見事な速さで狩衣の袖を襷で縛る。その所作は美しく、蒼然の腕が空気を斬るたびに金木犀の香りが朱実の鼻を掠めた。
(わぁ……きれい)
蒼然が動くと金色の煌めきが降ってきそうだと、朱実は思った。
「では先ず、これで削っていただけますか? カツオ出汁をとりたいので」
「はい、了解しました!」
朱実は蒼然から木の小箱を渡されて反射的にそう返事をした。しかし、見たこともないおしゃれな小箱に戸惑いは隠せない。引き出しまでついた可愛らしい小物にしか見えないのだ。
(削る……箱を? なんのために⁉︎)
了解したと言った手前、今更聞くのは気が引ける。でも、どんなにその小箱を見つめても答えは出ない。朱実は蒼然に背を向けてカチャカチャと分解するように小箱に触れた。
(蓋を開けてみたらいいのよ。そうよ!)
「刃が、ついてる。え? これは……!」
蒼然は背後で妙な動きをする朱実を不思議に思い、肩越しに覗こんだ。朱実が箱の蓋を開けたまま固まっているではないか。
「朱実さん? もしや鰹節を削ったことがなかったですか?」
「は、あっ!」
(鰹節を削る道具!)
勢いよく振り向いた朱実は顔を真っ赤にして今にも泣きそうだった。自分の無知さが恥ずかしくて言葉が出なかった。
「おやおや。大丈夫ですよ。では、お手本を見せましょうね、こうやるのですよ」
蒼然は鰹節削り器の刃の部分に、ブロックのままの鰹節を斜めに当てた。
「こちらが尾です。尾を向こう側に向けて、両手でしっかりと押さえて上下に動かすんです。そうですね、少し尾を高くして角度をつけてあげると削りやすいでしょう。さあ、どうぞ」
「えっと、こう……ですか?」
「はい。そんな感じでよいですよ」
大工さんが
「では、そこの引き出しを開けてみてください」
「これですね。……わぁ! 鰹節ができてる! そっか、削ったものが下に落ちるから、だから引き出しがついてるんですね。かわいい!」
引き出しを覗くと、削りたての鰹節がひらひらと踊っていた。
朱実にとって出汁とは、お湯かお水にスーパーで買ってきた昆布を入れたり、スライス済みの鰹節を入れたり、煮干しを入れたりするものだった。いや、ほとんどが小袋に包装された即席のお出しを使っていた。
「かわいい、ですか?」
「はい! あ、すみません」
すぐに朱実は後悔をした。かわいいなどという安易な言葉を選び、鰹節も削れない無知な娘だと呆れられたかもしれないからだ。そう思うと、顔を伏せるしかなかった。
「ふふっ。まあ普通は知りませんよね。今は便利なものがたくさんありますから。忙しい世の中にはあまりこういった方法は効率的ではありません」
「すみません」
「なぜ謝るのですか? あなたは煩わしさよりも、可愛らしさを見つけました。よいことです」
蒼然はほんの少し目尻を下げてそう言った。それでも朱実は緊張を隠せなかった。なぜならば蒼然の優しい雰囲気の中にある、冷たさをどうしても感じとってしまうからだ。
「ありがとう、ございます」
「次はお出汁をとってお味噌汁を作りましょう。材料はこちらから――」
褒められているのに蒼然との間には見えない壁がある。そんな気がしてならなかった。
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