第24話 拒絶

 異変に気づいて合流した轟然が眉を下げ心配している。泰然はどれくらい朱実を抱きしめていただろうか。しばらくすると朱実が泰然の腕の中から静かに顔を上げた。


「朱実」

「泰然さま」

「大丈夫か。龍然から何を聞いたかは知らぬが、龍然の話が全て真実とは限らぬ。わたしたちは蒼然からも話を聞く必要がある」

「泰然さま。わたしはもう大丈夫です。ちょっと、母の事を思い出してしまって……」


 朱実は泰然と目も合わせず、そよそよしく腕をといて立ち上がった。そして、笑顔を作って振り返った。


「なんだかすみません。里心って言うんですかね。慣れない場所に来ると難しい話がうまく処理できなくって。えっと、神様同士でお話ししてください。わたし、先に地上に帰りたいです」


 すると黙っていた轟然が朱実に同調した。


「おお、そうだな。朱実にはこの薄暗い場所はさぞ怖かっただろう。蒼然のことは我々で話し合いをするから、朱実は上に戻るとよい! 無理することはないのだ。泰然に任せておけ! わははは」


 轟然は豪快に笑い飛ばし、湿った空気を蹴散らした。朱実はここに轟然がいたことに感謝した。轟然のカラッとした物言いが今の状況を回避してくれる気がしたからだ。


「そうだな。上に、マサ吉とお加代を呼んでおく。朱実は先に帰りなさい」

「はい泰然さま。そうさせてもらえると助かります」

「うむ」


 朱実は視線を少し逸らしてそう返事をした。うまく泰然の顔を見ることができないのだ。


「龍然、朱実を地上に」


 泰然がそう言うと、龍然は扇子を開いてひと仰ぎした。すると、神使の乱蛇丸が現れた。


「龍然さま、お呼びでしょうか」

「この娘を地上に送り届けよ」

「承知しました」

「お先に、失礼します」


 朱実は今できる精いっぱいの笑顔を三人の神たちに向けると、すぐに扉の方を振り返った。気まずさは消せないのだ。そんな朱実に泰然は声をかける。


「朱実」

「はい」


 返事はしたものの振り返る勇気はなかった。もう、笑顔を作ることができないからだ。


「遅くならぬように帰るゆえ」

「はい。お待ちしております」


 朱実の声は込み上げる涙を我慢するために、震えていた。それに気づかない泰然ではないが、それ以上は何も言わなかった。

 今は蒼然の居場所を突き止めることが大事であると判断したからだ。



 ◇



 乱蛇丸に連れられて朱実は地上に戻った。口数の少ない乱蛇丸は朱実が確かに地上に戻ったのを確認すると一言だけ告げる。


「お疲れ様でした」


 朱実に形式的な言葉を送り一礼すると、すぐに泉は渦を巻いてその入り口を閉じた。乱蛇丸の姿はもうなかった。朱実はいつもの鎮守の杜に一人立つと安堵のため息をこぼした。何か言葉をもらっても困るし、今は一人になりたい気分だったからだ。


「朱実さまぁー!」


 すると、背中から聞き慣れた声がした。振り返ると手を振りながら走ってくる人影がある。泰然が知らせたのだろう。マサ吉とお加代が走ってやってきたのだ。お加代は朱実を見るやいなや、声をかけた。


「朱実さま、ご気分がすぐれないと聞きました。大丈夫ですか。痛いとか苦しいとかありませんか? さあ、神殿で休みましょう!」


 お加代の心配する言葉に申し訳ないと思いながらも、朱実はどうしても今は一人になりたい。


「あの、お加代さん」

「やっぱり顔色がよくないです。お風呂に入っておいしいご飯を食べて、ゆっくりしましょう。泰然さまからは許可をいただいております」

「お加代さん、あのね」

「さあ、帰りましょうね」


 お加代は朱実の手を引いて今にも神殿に上がろうとする。すると朱実はとっさにその手を解いてしまった。


「朱実さま?」

「ごめんなさい。あの、この後神社の仕事があって、父から頼まれたのを今思い出しちゃって。だからゆっくりしていられないの」

「それならばわたしとマサ吉でそのお仕事を手伝います」


 朱実はお加代の申し出に首を振って断った。その朱実の頑なな仕草に何かを察したマサ吉がお加代に言う。


「お加代、朱実殿を困らせては本末転倒。ここはいったん引こうではないか。朱実殿、何か困ったことがあったらすぐにお呼びください。いつでもわたくしどもは朱実殿を歓迎いたします」

「ありがとう、ございます」


 しょんぼりと尻尾を垂らしたお加代はマサ吉に促され、何度も朱実の方を振り返りながら神殿に戻って行った。朱実は二人の好意を無下にしてしまったことを申し訳なく思っている。しかし、どうしても甘えることができなかった。


(本当に、ごめんなさい)


 ◇


 朱実は二人に仕事があると嘘をついて、神社の裏にある墓地に向かった。今の朱実が一人になれる場所は母舞衣子が眠る墓石の前なのだ。

 賢木家之奥津城さかきけのおくつきという墓石の前に朱実は座っていた。墓石には母の名が刻まれている。


「お母さん。わたし、自分勝手なことしちゃった。お母さんが大好きな風師さまとの結婚を諦めてまでして多田羅を守ろうとしたのにね。わたしはそれを台無しにしようとしてる。神である泰然さまの命さえも奪おうとして」


 朱実は母の決心を自分が踏みにじっていると思ったのだ。


「わたしは泰然さまと結婚すべきではなかった。わたしと泰然さまで、神社と多田羅を守れると思っていたことがとても恥ずかしいよ。わたしだけが幸せになるなんて、許されるわけないのに」


 どんなに後悔しても、どんなに涙を流そうとも、もう母はいない。誰も朱実の言葉に答えてくれる者はいないのだ。


「わたし、風師さまに会ってなんて言うの? どうして多田羅からいなくなったんですかって聞くの? 自分は泰然さまと結婚をしておいて、多田羅のために帰ってきてくださいだなんて、言えるわけない」


 朱実は墓石に縋るように泣き崩れた。今となっては自分がしてきたこと全てが後悔の塊となっている。目の前が真っ暗とはこのことかもしれない。何をどうしたら解決するのか分からない。罪悪感だけが朱実を包み込んでいる。


「もう、やだ……」


 夕暮れが迫る逢魔時、朱実は動けずにまだ墓石の前にいた。そろそろ帰らなければいけないのに、立ち上がる気力が湧いてこない。

 このままここで夜を明かしたって構わない。そんなことを考えていると後ろから砂利を踏みしめる音がした。


(誰か来ちゃった)


「朱実、ここにいたのか」


 泰然であった。


「もう日が暮れる。帰ろう、わたしたちの家に」

「……」

「朱実? 何も言わなければ抱えていくぞ」


 泰然は朱実のすぐ後ろまでやってきた。手を伸ばせば簡単に届く距離だ。


「あ、あの。一人で、歩けます」


 朱実は俯いたまま起き上がると、泰然の方を振り返った。しかし、ずっと屈んでいたせいで立った途端に立ち眩みがして倒れそうになった。


「あっ」

「大丈夫か」


 すぐに泰然が朱実の腰を支えてくれたので、倒れ込むことはなかった。腰に回された手は温かで優しい。

 泰然は朱実の手をとってゆっくりと石段を降りた。そして、立ち止まると朱実の顔を覗き込んだ。


「ずいぶんと泣いたようだな」

「み、見ないでください。とても見せられるような顔じゃないから」


 朱実は視線を合わすまいと顔を背けた。泰然はそれでも構うことなく朱実の頬に手を添える。何度もこの手に救われたのに、気づかう泰然に朱実はあり得ない行動をしてしまう。

 その優しい手を払い退けてしまったのだ。


「大丈夫ですから!」


 視界の端に行き先を失った泰然の手が見えた。泰然はどんな顔をしているのだろうか。


「そうか。では、ゆっくりと歩いて帰ろう。足元には十分気をつけるのだぞ。わたしが先を行こう」


 しかし、泰然は叱るどころか朱実の意志を尊重したのだ。泰然のその気遣いに朱実はひどく傷ついた。いや、泰然を傷つけている自分に激しく失望したのだ。

 まるで自分が傷ついたみたいで嫌だった。いっそ、その態度はなんだと叱ってくれたらいいのにとさえ思ってしまう。

 前を行く泰然の背中はひどく傷ついている。沈丁花の香りはいつもより薄く、風に消されてしまいそうだった。朱実は自分から泰然を突き放したくせに、少し距離を置かれただけで不安と寂しさでまた泣いてしまう。とぼとぼと歩く二人の影はしだいに地面に吸い込まれた。


 空は燃えるような赤に染まっていた。

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