第8話 お見合い相手があの人で
仲居は桜の間の前で止まった。
戸に手をかけてゆっくりと引きながら、「お相手様はすでにお待ちでございます」と言った。朱実は口を閉じたままうんと頷いた。
ドキドキする自分の胸の鼓動を聞きながら顔を上げると、ちょうど父柊二が出てくるところだった。
「朱実。ああ、母さんの着物だね。よく似合ているよ」
「お父さん」
「わたしはもう挨拶をすませたから、あとは二人で話をしたりお茶を飲んだりしたらいい。あちらは両親を早くに亡くしているようでね、わたしがいないほうが話しやすいだろう。心配することはない。落ち着いたいい人だったよ」
「そうなの? わかった。ありがとう、お父さん」
朱実は思わぬところで父に見送られ、部屋に入ることになった。
まず最初に目に入ったのは、スーツを着て正座をした男性の後ろ姿だ。見ただけで背の高い体格のよさそうな人だと分かった。
朱実は畳の縁を踏まないように注意しながら、案内されるがまま男性の目の前に腰をおろした。まだ、顔を上げる勇気が出ない。大きなテーブルの木目模様を見ながらどのタイミングで言葉を発しようか悩んでいた。
(どうしよう。まずは、初めまして……だよね。顔顔をあげないと)
そうこうしているうちに、男性の方から声をかけられてしまった。
「恥ずかしがることはない。その着物、とても似合っている。顔を上げぬか」
「あっ、すみません。は、初めまして。賢木朱実ともうしっ。あーっ!」
男性の顔を見た朱実は驚きすぎて妙な高い声をだしてしまう。なぜならば朱実はその男性に見覚えがあったからだ。慌てて手で口を押さえたがもう遅い。
「うむ。息災でなによりだな」
「あの! 今からわたしはお見合いをするんです! なので、申し訳ないですがすぐにお帰りいただけませんか。あっ、まさか! わたしのお見合い相手を例の術で飛ばしてないですよね!」
「朱実の頭はめでたいな。まあ、そこも良いところだとわたしは思うが」
そこにいたのは神を名乗る泰然であった。相変わらずの薄い表情である。朱実は慌てふためいた様子で立ち上がって窓の外を見たり、廊下の様子を伺ったりしている。もしもこのことを誰かに知られたら説明のしようがない。
「朱実は落ち着きがないな」
「だって、まずいでしょ。神様がこんなところにいたら!」
「なにがまずいのだ。わたしは多田羅町の土地神だぞ。こそこそする必要がどこにある」
「それはそうなんですけど、誰が信じるのですか? あなたが神様だなんて」
「信じる必要はない。氏子たちがわたしの
「えっ……いま、なんて?」
「うん?」
「おみっ、お見合いって」
「ああ。わたしと朱実のお見合いだろう? 先ほど父上にも挨拶をさせてもらった。気の優しい男子であったな」
「本当に、泰然様がわたしのお見合い相手なのですか? だって、神社本庁から人がくると」
「それがわたしだ。本庁の人間なんぞわたしから見たら下っ端も良いところだ。様子を見に行ったら案の定、つまらん輩を朱実に押し付けようとしていたのだ。そもそもわたしの印がついた者を奪うなど笑止千万」
初めは穏やかに話していた泰然だが徐々に怒りを含ませ、とうとうテーブルを叩いてしまった。
―― ドンッ!
「失礼いたします。お茶とお菓子をお持ちいたしました」
タイミングよく中居が入ってきた。しかしよくみるとその中居……。
「お加代さん!」
「お久しぶりですね、朱実さま〜。もう聞いてくださいよ、泰然様ったら待ちきれなくてスーツなんて着て降りてきちゃったんですよ。もっとかっこよい登場の仕方があったでしょうに。うふふ」
「おい、お加代。尻尾を隠せ」
「あら! 嬉しくなると隠しきれなくて。失礼しました」
「ねえ、ということはマサ吉さんも……」
「はい! このお菓子はマサ吉がこしらえたものですよ。わたしたち、松乃屋で働くことになりました」
「ええ!!」
神社本庁は実際に多田羅神社に新しい職員を配置すると決めていた。その職員を朱実の将来の婿にするための算段だったのは間違いない。しかし、泰然が言うにはその職員は前代未聞の女癖の悪い男だったそうだ。本庁に勤める経理部の女性をたぶらかし、あろうことか本庁の金を横領をさせていた。それで得た金で、なんと違う女性と遊んでいたのだ。
普通ならば辞職勧告をし刑事告訴を行うだろう。しかし、その男は庁長の息子だったものだから大変だった。事件の揉み消しに連日会議が開かれるしまつ。
その結果、使い込んだ本庁の金は庁長が個人的に穴埋めをし、経理部の女性は本庁管轄の神社に異動命令を出した。最後に残った馬鹿息子を跡取りのない多田羅神社へ事実上の左遷で落ち着つかせようとしたようだ。
「ひどい。そんな人とわたしを」
「だからわたしが来たのだ。朱実の不安も日に日に強まるし、じっとなどしていられるはずがない」
「わたしの不安?」
「そうだ。わたしがつけた千里香の香りは隠せない」
「あっ……」
泰然が腕を伸ばすと、その指先が朱実の首筋に触れた。不意の行動に朱実は赤面してしまう。
「かわいいな」
「えっ」
どんな顔をしてそういうことを言うのだろうか。朱実はちらりと泰然を見上げる。
(ポーカーフェイス!)
二人の様子を見ていたお加代が口を開いた。
「お二人様? お庭を散歩してきたらどうですか。せっかくのお見合いですもの。それらしいことをしませんか」
「それもそうだな。人間が言うお見合いとやらを堪能しようではないか。行くぞ朱実」
「え、うそ」
泰然はいつのまにか朱実の隣にやってきて、あっという間に朱実を横抱きにしてしまった。まさかこのまま庭に出ようとしているのだろうか。
「一緒に歩かないと散歩になりませんよ!」
「それもそうだな」
朱実は大慌てでそう言うと、泰然の腕から無理矢理飛び降りた。
(すぐ抱き上げるんだからっ)
◇
朱実と泰然は綺麗に手入れされた中庭を歩いていた。立派な日本庭園を管理するのは時間もお金もかかるものだ。風がよそぐ度に草木々が揺れ、一定の間隔で動くししおどしが風情を掻き立てた。
しかし、朱実はそれどころではない。
(どうしてわたしなの? この神様はどうしてわたしに決めたの? いなり寿司をあげたから? それだけでこんなことになるの? まって、その前に神様と結婚したらどうなるの? 分からないっ)
「分からないよ」
「朱実。何がわからないのだ」
「えっ」
「とても難しい顔をしている」
泰然は朱実の顎に手を添えて顔を覗き込んだ。近くで見ると、無愛想な顔なのにいつも以上にイケメンに見える。
添えられた手に力は入っていないのに、顔をそらすことができない。泰然の瞳の奥があまりにも美しかったからだ。
「千里香がどんどん濃くなってゆく。言ってみよ。何が怖い、何をそんなに不安がる。わたしは朱実に不自由はさせない。神としてこの町を守り、夫として朱実を愛することを約束する」
こんなにロマンチックな告白があるだろうか。それでも朱実には疑問だけが残る。
「どうして、わたしなんですか」
神社の宮司の娘だから。男を知らない無知な女だから。考えれば考えるほどネガティブな思考になってしまう。あのいなり寿司だって隣町の米で作ったものだし、特別なものではない。
すると泰然は朱実の手をとってゆっくりと自分の口元に近づけた。あまりにも自然で抗う暇がなかった。泰然はそのまま朱実の指先に口づけをしたのだ。
「わたしは朱実と狐の舞を舞うと決めたのだ。朱実の舞は美しい。妖艶な女狐に魅入られたと言ったら理解してもらえるか」
「そんな、普通の舞でしょ」
「いいや。普通ではないからあの日、朱実は妙な男に襲われたのだぞ。朱実の狐の姿にあてられたのだ。おまえの
「わたしに色香はありません」
「知っているか。あの狐の舞は女の狐だけが舞うものではない。本来ならば男の狐も存在する」
「え! そうなの!」
「地域でいろいろと差はあるが、少なくともこの多田羅町では
「でも、お母さんはずっと一人で舞っていたのよ。お父さんは笛を吹いていたって」
「朱実の母は風師という神と舞を奉納していたのだ。それは朱実の父も知っていたと思うのだが」
「えっ、どういうこと」
何も知らない。何も聞かされていない。
父は魔物と勘違いをして神様を祓ってしまったのではないのか。
「朱実? 朱実」
「頭が、混乱する……」
朱実は強い眩暈と頭痛に襲われて、泰然の腕へと倒れこむ。不安なく受け止めた泰然は小さくため息をついた。
「しばし、刻限を止める。マサ吉、お加代、帰るぞ」
「承知!」
「あいよ!」
泰然は朱実を抱き上げ、神使と共に煙のようにその場から姿を消した。
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