第7話 その縁談、お受けします。
多田羅町の秋の大祭が近づくと、商店街の人々に活気が現れはじめる。たとえ収穫があってもなくても、人が集いものを売り買いすることが経済的には健康な事なのである。
大祭の後援者である町内の代表者と総代たちは、より頻繁に社務所に出入りしていた。
「お茶をどうぞ」
「朱実ちゃん。ありがとうね」
「いえ」
「ああそうだ。聞いたかい? 大祭に神社本庁から多田羅神社に職員が派遣されるんだってよ。本庁からだなんてなかなかないよ。朱実ちゃんも隅に置けないね。イイ男らしいじゃないか。しっかり惚れさせて、この神社を守ってやってよ」
「えっ、本庁から……職員て」
あれから父は朱実にはその件については語らなかった。だからどんなふうに話が進んでいるかなんて知らないのだ。
朱実が広間を出て、給湯室に向かっていると父が誰かと電話で話している声が耳に入る。
「ですから、その件はもう……娘には伝えていません。彼女の人生まで巻き込みたくない。わたしはお役目を退かせていただきたいと。いえ、ですからっ!」
(さっき話していた件だわ。お父さんはずっと断りを入れてくれていたのね。でも、たぶん……無理なんだろうな)
神社は家業とは違い、自分の意思で始めることも終わらせることもできない。きちんとした組織に所属している以上、上からの命令には従わなければならない。そこは民間の会社で働く会社員と似ている。嫌ならば去るしかない。そして二度と神職に関わることができなくなる。
神社庁には全国およそ八万もの神社が加盟している。腐敗の噂が囁かれていても、今や国に影響を及ぼすほどの大きな組織だ。よほどの力がなければ離脱するメリットはない。一度離脱しても、再び加入したなどという話もあるくらいだ。
「お父さん……」
朱実は日々、老けてゆく父の横顔を見ながら苦しい決断を迫られた。
町の人々の大きな期待、父の娘を思う気持ち、そして朱実自身の本音にどこかで折り合いをつけなければならない。
(わたしが、折れるしかないんじゃない? だって、彼氏がいるわけでもないし、この神社も町も人も大好きだし……イイ男だって、言ってたし)
朱実にはこうすることしかできない。町を神社を父を救うたった一つの選択は、縁談を受けることだ。
「お父さん! わたし、本庁の人とお見合いするよ。おじさん達がね、すごいイケメンだって言うんだもん。ちょっと結婚には早いけど、どんな人か会ってみたいな」
「朱実! 何を言ってるんだ。おまえはそんなことを気にしなくても」
「だって、彼氏欲しいのにできないじゃない? 黄昏時までに帰宅しなきゃだめなんだよ? 今回はあちらから来てくれるんだもの、ラッキーじゃない」
「それでいいのか? 会うということは、ほぼ断れないということだよ」
「人間的におかしな人じゃないなら、ありだと思う」
「朱実……」
「セッティングよろしくね〜」
朱実は満面の笑みでそう言ってその場を離れた。父の複雑そうな表情の中には、安堵の色も見えた気がした。これでよかった。父がこの土地を離れたくないのはわかっていたことだ。愛する妻が生まれ育ち、そして永遠に眠るこの町を簡単に離れられるわけがないのだから。
(大丈夫よ。変な人じゃない。だって神に使えるお仕事をしている人なんだもん)
そう自分に言い聞かせ少しでも不安を取り除こうとした。そうしていると、朱実の体からふっと香る沈丁花。神を名乗る男の姿が脳裏に浮かんで、戸惑いと驚きを隠せない。
なぜか朱実が憂いを抱くと、香りがいっそう強くなる気がするのだ。
『何かあったらわたしを呼べ……千里離れていようとも、おまえを見つけてみせる』
(大丈夫! 大丈夫! わたしは人間だもの。人間としか結婚できないんだから)
◇
それからお見合いは、すぐにセッティングされた。
氏子の松永が営む老舗旅館の松乃家で顔合わせをすることになったのだ。
朱実が生まれるずっと前に柊二と舞衣子もこの松乃家で見合いをし、披露宴をしたそうだ。
「朱実ちゃん、似合ってるよ。やっぱり親子だねぇ、舞衣子ちゃんが着ていた着物、とっといてよかった。はい、出来上がり。鏡を見てごらん」
松乃家の
「お母さんもこれを着たんですね。綺麗なまま残してくれて、ありがとうございます」
「いいんだよ。これぐらいしか手伝えないんだから。朱実ちゃん、幸せにおなりよ。うまくいくといいねぇ」
「はい。がんばります」
「じゃあ、後でうちの者が声をかけに来るからね」
「よろしくお願いします」
母親が残してくれた鶯色の着物には、春を呼ぶ縁起の良い梅と鶯の絵柄があった。春は寒い冬を乗り越えて新しい芽が息吹く希望溢れる季節だ。
それなのに、鏡に映る自分の顔は相変わらずの曇り空。
「本当に、よかったのかな……。ううん、大丈夫、間違ってない。この神社を守るためだもん。お母さんもお父さんとお見合い結婚したんだから」
大丈夫だと自分に言い聞かせ己を鼓舞する。まともな恋愛もしたことのない自分にこの縁談をうまく進めることができるのだろうか。
不安はなかなか拭いきれない。
(どうしよう! 緊張する! わたし、大丈夫かな……お母さん)
そう弱気になるのも仕方がない。
「あっ」
そんなとき、突如自分の胸元から沈丁花の香り舞い上がった。それは、いつもより濃くなっている。
「本当に、匂いが……強くなってる」
不安に思えば思うほどそれは、舞うように香る沈丁花。同時にまた、泰然という神を思い出す。
背の高い凛とした、高貴感漂う男だった。狩衣を着た姿は本当に惚れ惚れするほど似合っていた。
「狩衣が似合ってるなんて言ったら、神なんだから当たり前だって叱られそう……ふふっ」
ふぅと深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「朱実さま、そろそろよろしいでしょうか」
「はい。今、参ります」
中居に声をかけられて、朱実は静かに廊下に出た。小豆色の中居服を着た女性の後ろをついてゆく。気持ちを整えたつもりなのにどうしても俯き加減になってしまう。未来に向かって前を向かなければならないのに、やっぱり心は今ひとつ晴れない。
自ら望んで受け入れた縁談なのに、どうやって気持ちを持っていったらよいのか分からない。
それもそう。これまで異性に恋心をいだいたこともないし、彼氏が欲しいなんて気持ちになったことがないのだから仕方がないのかもしれない。
この縁談は、本当に神社のために、多田羅町のためになるのだろうか。
相手に嫌われやしないだろうか。
結婚したら自分の生活はどう変わるのだろう。
その人のことを心から好きになれるだろうか。
考えれば考えるほど、不安しか湧いてこない。
そんな朱実の感情が影響してか、首筋からまた沈丁花の香りがむせ返るほどに強くにおいはじめる。
(だめだめ、笑顔! 笑顔! こんなことじゃ、多田羅の空も晴れないよ!)
朱実は前を向いた。目を大きく開けて口角をあげる。
狐の舞をするときのように自分に自信を持たなければいけない。
―― お母さん! わたしもお母さんと同じお見合いで、お婿さんをもらいます!
「よしっ!」
朱実は小さく拳を作って、ふぅーと息を吐いた。
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