第4話 おもてなしを受ける
朱実はまた、先ほどの部屋に戻ってきた。
慌てふためく朱実に、落ち着いた様子で男は話し始める。この男、あまり表情が変わらない。
「混乱するのも無理はない。ここが我が
「まだ他にお部屋があるんですか」
腰が抜けた朱実はふかふかな布団の上にへたり込んだまま問いかけた。
夢であろうとなかろうと、受け入れざる得ないのは理解したつもりだ。
「うむ。では案内しよう。娘、名はなんという」
「
「わたしは
「土地神⁉︎ えっ、ええええ」
自称、泰然という土地神は朱実を再び抱き上げると、広間を出て廊下を悠々と歩き始めた。朱実は落ちないように泰然の首に捕まった。
この男、背も高いが体格もいい。一体何をしたらこんなにムキムキになれるのだろう。朱実の脳はそんなことしか考えていなかった。朱実にとって全てが、あり得ないことだったから。
「ここは客間、ここは茶室、この部屋は物見の間、ここはわたしの執務室だ。それからこの先をいくと風呂場がある。後で入るといい。病も怪我もすぐに治る薬湯だ。そして、向こうに台所、それから」
「あの、あなたはこんな広いお屋敷に一人で住んでいるのですか? 人の気配がまったくしないですし、お食事はどうされているのですか」
「身の回りの世話ならば、
泰然がそういうと、ぽわんと煙のようなものがたって人の形をした影が二つ現れた。
「泰然様、ご機嫌いかがでしょうか」
「泰然様、御用命をなんなりと」
一人は見た目が男性で、茶色の着物に袴の裾を絞っての登場だ。いかにも動きやすそうな服装だ。もう一人は女性のようで、萌黄色の着物姿で淑やかないでたちだった。
「うそ……」
朱実は二人の登場の仕方に驚いて口をあんぐり開けていた。
「見よ朱実。この者たちがわたしの
「初めまして朱実さま。ご紹介に預かりました。わたくし、開運と出世運を運ぶ狸のマサ吉でございます。以後、お見知りおきを」
「わたしは戌のお加代。子宝と健康、家内安全をもたらしますわ。本来は風師様の神使なんですけど、行方不明なので泰然様にお仕えしております。よろしくお願い申し上げます」
二人からちょこんとお辞儀をされ、朱実は慌てて泰然の腕から飛び降りた。そして、自分も頭を下げる。
「賢木朱実です。よろしくお願いします」
マサ吉とお加代は驚いたように顔を見合わせて、再び振り返って朱実に笑みを見せた。泰然は相変わらずの無表情であったが、それが標準なのかもしれない。
そんな朱実の態度が良かったのか、お加代がぴょんと前に出て朱実の手を握った。
「こんなこと初めてです。よかったぁ、気立ての良さそうなお嬢さんで。泰然様も隅に置けませんね。ささ、お召し物を変えましょう。あらあら、ここ怪我をしているではありませんか。あっ、ここも」
「えっ、本当だ。気づかなかった」
「でも大丈夫ですよー。薬湯につかればすぐに治りますから。では、まずはお風呂ですね。こちらです」
「あの! お風呂だなんて!」
「朱実。入ってきなさい。いなりの礼だと思えばいい」
「いなり寿司の、お礼?」
そう言えば朱実は助けてもらったお礼にいなり寿司をその場しのぎで差し出していた。そのいなり寿司のお礼がお風呂だという。
(お礼にお礼で返されるの?)
「難しく考えすぎるな。土の汚れがひどい」
「ああっ、ごめんなさい。わたし、あちこち汚してますよね! お言葉に甘えてお風呂だけいただきます!」
「うむ」
「さぁ、参りましょうね。朱実さま」
「さまは、いらないですよ。お加代さん」
「そうですか? うふふふ〜」
戌のお加代は口元に手を当て笑った。なぜかお加代からパタパタ音がするので朱実はチラリとそちらの方を見てみる。
すると隠しきれていない尻尾が嬉しそうに上下左右に揺れていた。
「しっぽが……」
思わず口にして驚く朱実を見た狸のマサ吉は、お腹を抱えて笑い出す。
「ぬははは! お加代は未熟者だのう。尾っぽも隠せぬのかぁ。ぶははは」
「マサ吉! そんなに笑うな。あんたのその腹だって、油断したらポッコリでてくるじゃないのさ。それにほれ、大きな尾っぽ」
マサ吉は先ほどの人の体型と打って変わって、まさに置き物の狸だった。お腹はポッコリ、太くてもふもふした尻尾がでろんと垂れている。
「わぁ……本当に狸さんが化けてるんですね」
「ぬわんと!
「あら、逃げるのは早いのね。さあ、朱実さん。気にせずにお風呂に参りましょう。ささ、こちらへ」
朱実は泰然の方を振り返った。いったい彼はどんな顔をして先ほどのやりとりを見ていたのかと。
(えっ、ポーカーフェイス……)
何があろうとこの男の表情は変わらないのだろうか。そんなことを考えながら、朱実はお加代に手を引かれ、風呂場に向かったのであった。
◇
「朱実さまー。着ていたお召し物は洗濯します。ここに、代わりのお着物を置いておきますのでー!」
「はーい! ありがとうございます」
風呂は朱実が想像していたものよりも立派なものだった。なんと、テレビで見るような旅館の離れにある檜風呂と同じだった。朱実にとってこんなに檜の香りが強いのは初めてで、湯気に包まれながら大きなため息をついた。
「はあ……極楽ぅ」
そう言えば、怪我をしていてのに湯がしみない。先ほどお加代から指摘された肘や手の甲を見てみると、驚いたことに何もない。跡形もなく綺麗に傷が完治していた。
「待って、嘘でしょう。擦り傷がなくなってる!」
まじまじと湯船のお湯を見る。手にすくって何度もこぼしてみる。心なしか、とろみがあるような手触りだった。薬湯と聞いていたけれど、お湯自体に臭いはない。肌もすべすべだし、身体の芯から温まっていくのが分かった。
「御神木の上なのに、なんでこんな温泉が……御神木の、上……あー、考えるのはやめよう。頭がおかしくなっちゃう。夢なのよきっと、だから受け入れるのよ。目覚めたらわたしは御神木のそばにいるのよ。そうよ。ありがたい夢を見ているだけ」
夢と言葉ではいうものの、五感にひしひしと伝わる現実味に朱実は戸惑っていた。
◇
お風呂をいただいて、すっかりリラックスした朱実はお加代に案内されて大広間に通された。
旅館で例えるならば宴会場といったところだろうか。しかも真新しい畳の匂いがする。もしかしたら定期的に張り替えをしているのかもしれない。
「どうぞお座りください。やっぱり朱実さまはお着物が似合いますねぇ」
「そんなことは。わたしなんて世間から見たら普通ですから。たまたま家が神社で着慣れているだけで」
「ご謙遜を! 泰然様は良い方を見つけられましたこと。さあ、マサ吉自慢の料理が出てきます。ゆっくりお召し上がりくださいな」
「え、お料理まで! そこまでしていただく訳にはいきませんよ。お洋服が乾いたらすぐに帰りますので」
「まあ、まあ、そう言わずに。マサ吉が腕をふるったので、味見してやってください」
そこまで言われると断りづらい。どちらにしても夢なのだから、有り難くいただくのもありなのではないか。朱実はお加代の言葉に甘えることにした。
「わかりました。では、ご馳走になります」
お加代がパンパンと手を叩くと、勝手に襖があいてふわふわと料理が泳いできた。これまでがあり得ないことの連続だったとしても、さすがに朱実もこれには驚いた。
目の前で誰の手も借りずにお膳ができあがっていく。最後にマサ吉が入ってきて、朱実に向かってペコリとお辞儀した。
「食前酒は梅ソーダでございます。アルコールは入ってございませんからご心配なく。酔わせでもしたら泰然様から叱られますからね。前菜は下の山で採れる山菜のお煮付けと、地鶏を蒸したものです。それから……」
とにかく豪華なお膳である。全てマサ吉が調理したというのだから驚きだ。朱実はまだ19歳、成人しているとはいえ酒は20歳まで飲ませてはならない。そういった気遣いにも驚いている。
「ごゆるりと」
「待ってください! あの、これをわたし一人で食べるんですか?」
「そうですけれども……もしや足りませぬか!」
「まさか! 多すぎです。こんなに食べられませんよ」
「おやまあ。人間は少食なのですねぇ。泰然様をお呼びしますか?」
「はい。もし宜しかったら、皆さんと一緒に食べたいです」
「まさか我々も?」
「はい。食事はみんなでとったほうがより美味しくなるんです。いつもわたしは、父と二人ぼっちで食べていますけど、それでも一人よりは美味しいですよ。それにこんなに豪華なお料理、わたしだけが食べるのは勿体無いです!」
朱実の提案にお加代とマサ吉は顔を見合わせて何やら考え込んだ。朱実に聞こえない小さな声で相談をしあっている。
しばらくするとマサ吉が朱実にこういった。
「泰然様がお許しくださるか、わたしが聞いて参りましょう」
「はい、是非ご一緒にとお伝えください」
「では」
マサ吉が大広間から出て行った。
すると今度はお加代が朱実に近づいてきて、にっこりと笑いかける。パタパタという尻尾を振る音付きで。
「お加代さん、嬉しそうですね」
「やだ、バレちゃいました? こんなこと本当に初めてですから。神と神使と人間が、同じお膳を囲むなんて! もっとも泰然様がお許しになれば、ですけど。やっぱり朱実さまはいいお方だわ。泰然様の見る目は確かね。あーん、たのしみぃ」
「そんなに楽しみですか」
「ええ。これで多田羅の町もきっと安泰ですわ」
「お食事でそれは大袈裟ですよ」
「うふふ……あははは」
お加代は自分の世界に入って大喜びだ。一緒にご飯を食べようと言っただけで朱実は良い人だというし、泰然の見る目は確かだとか、訳のわからないことを言う。
(お加代さんて、嬉しすぎると尻尾が大変なことになるのね。一緒にご飯食べるだけなのにね)
お加代の尻尾はパタパタからクルンクルンと回転するようになっていた。
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