動き出すもの

 突如目の前で苦しみ始めた太陽からの予想外な言葉に、千絵は動揺を隠そうともしない。

 震える手と瞳。手の甲には汗が滲み出て、噤む様に唇を合わせる。

 するりと千絵の手から滑り落ちた携帯は地面に真っ逆さまに落下し、壊れたのではと思う程の音を鳴らして転がるが、千絵は携帯を拾うどころか一瞥さえもしない。


 沈黙の空気が流れる。


 太陽と千絵当事者ではない弦太と彩香は状況が分からず困惑してか2人を交互に見るだけ。

 無言だった千絵はキュッと太陽に腕を強く掴まれた事で我に返ったのか。

 はっと息を呑み、暫し口を黙らした後にふぅ……と息を吐く。

 そして、乾いた笑みを浮かばした後に、何とも複雑そうな微笑を浮かべ。


「思い……出しちゃったんだね」


 千絵のその一言に太陽の眼が大きく見開かれる。


「それじゃあ……これは本当に」


「うん。なんか少し複雑だな。思い出して欲しかったのに、思い出さられるとそれはそれでやるせない気持ちになるんだから」


 千絵は一瞬深く眼を瞑ると、ゆっくり瞼を開き。


「そうだよ。多分、太陽君が思い出した事が本当の記憶。私が、昔太陽君と約束をした女の子、なんだ」


 ハニカミと苦笑を入り混じった微笑みをする千絵だが、太陽は未だに信じられなかった。

 それもそうだ。もし本当に、自分が今思い出した記憶ことが本来の記憶なら、これまでの太陽を根本から覆す事なのだから。

 

 太陽と千絵2人の間だけで会話が進み、置いてけぼりの弦太が割って入り。


「な、なあ。結局太陽兄ちゃんは大丈夫なのか? さっきめちゃくちゃ苦しんでたけど……」


 弦太に太陽の安否を尋ねられ、太陽は力が抜けたように千絵の腕から手を放す。

 

 複雑怪奇に乱れていた記憶が正常な形となった事で、いつの間にか踠く様な激痛は煙の様に消えていた。

 痛みが奔っていた違和感と吐き気は若干残っているが、次第にそれらも消えるだろう。

 太陽が滲み出ていた汗を強く袖で拭うタイミングで太陽に尋ねる。


「太陽君、大丈夫?」


「あぁ……さっきまでの痛みが嘘のようにない。大丈夫だ」

 

 そう、と太陽の返答を聞いた千絵は弦太に心配ないと笑い。


「大丈夫みたい。弦太君と彩香ちゃんが心配しなくて大丈夫だよ」


「本当に……だいじょうぶ?」


 彩香は千絵の背後から少し顔を出して心配そうに太陽に尋ねる。

 先の事故未遂が原因なら彩香じぶんに責任があると子供ながらに負い目を感じてるのだろう。

 太陽は立ち上がり、元気アピールと陽気なポージングを取り。


「あぁ! この通り元気元気! だから彩香ちゃんが心配する事はないから安心しろ」


 実際には頭痛の後遺症で頭がふらふらするのだが、子供に心配されたくないと気丈に振る舞っている。

 しかし、子供は良い意味でも純粋だからか太陽の言動を鵜呑みにして、胸を撫でおろし。


「良かった…………」


 安堵する彩香の頭を千絵が優しく撫でた後、千絵は子供2人に言う。


「弦太君と彩香ちゃん。悪いんだけど、今日はここでお別れでいいかな?」


 お別れ、つまりは遊びの終了と言う意味。

 遠回しであるが大体の意味を察したのか弦太は頷き。


「うん、まあ、いいけど。なにか用事でもあるのか?」


 弦太に聞かれ、千絵は横目で太陽を見た後に弦太の方を向いて頷き。


「ちょっとね」


 と誤魔化す様な愛想笑いをした後に、千絵は思い出したように2人に念を押す。


「今日あった事は家族の人とかには内緒にしておいてね。車の事だったり、太陽君の事だったり、心配されるといけないからな」


 口に人差し指を立てる千絵に弦太と彩香は互いに顔を見合わせた後に分かったと頷く。

 2人からすれば、親の心配よりも怒られる方を危惧しての事だろうが、どちらでもいい。

 

「気を付けて帰るんだよ。特に車とか車とか」


「分かってるよ、そんなに何度も言わなくても。ほら彩香。俺が手を繋いでやるから、気を付けて帰ろうぜ」


「う、うん……分かった」


 弦太の無意識のたらし行為に頬を赤めらす彩香。

 遠ざかる2人の背中を手を振りながらに見送る千絵。

 そして2人が見えなくなると、上げてた手を下ろし、くるりと踵を返して太陽を見る。

  

 太陽と千絵の目が合い。気まずそうな空気が流れるも、意を決した千絵が長めに息を吐き。


「それじゃあ太陽君。場所移動しようか。あの公園に」


* * *


 自宅とは別の方角且つ距離も伸びた事で移動時間が増し、時刻は夕暮れ間近になっていた。

 燃える様な茜色の夕焼けの西日を浴びながらに公園に辿り着いた太陽と千絵の2人。

 

 千絵は夕暮れ前の街灯の点いてない公園に入ると、懐かしむ様に中央の砂場へと足を進める。


「本当に懐かしいね。あの時は太陽君が頑張って貯めたお小遣いで漫画を買って、ここで読んでいた所を私が声を掛けたんだよね。あの時太陽君は嫌がってたけど、最後は太陽君の方がムキになって砂のお城を作ってたっけ」


 勝手に1人で話を進める千絵の後ろを歩いて追う太陽の表情は険しかった。

 砂を一握り拾う千絵はにぎにぎと砂を握った後に、パッと砂を地面に投げる。


「当たり前だけど、砂はあの頃と変わらないね。サラサラしてて造り辛いや。よく幼い私はこれで砂のお城を作れたものだ」


「…………なあ、千絵。本当なのか……? あの、夕暮れの公園で約束した相手が……光じゃなくて、お前なのか」


 表情を歪めて確認を取る太陽に千絵はクスリと笑い。


「信じられないかな?」


 千絵の笑みが太陽の胸を締め付け、苦しくなって太陽は答えずに顔を逸らす。

 だが、無言な反応は肯定とも取れ、千絵は言葉を続けた。


「それはそうだよね。信じられないのが当然。少し前まで思っていた事が本当は違っていたなんて。普通なら直ぐには信じられない。……けど、本当なんだよ、太陽君。あの夕焼けの公園で約束した相手は光ちゃんじゃなくて……私なんだ」


 分かっていた答えだが、その言葉に太陽は自身の前髪を掴み、割れんばかりの歯噛みをして屈み。


「なんだ……なんだよそれは……。なんでそんな風になってるんだよ……。普通、忘れるなら兎も角、なんで相手を間違えてるんだよ」


 理解が追い付かず、先に込み上げる怒りに近い感情を吐き出す太陽。

 千絵は居た堪れずに目線を太陽から外すも、逃げては駄目だと思ったのか再び太陽の方へと向き。


「ごめんね……太陽君」


「どうしてお前が謝るんだよ千絵……。悪いのは記憶を履き違えてた俺の方だろ」


「違うんだよ。違うんだよ太陽君……。悪いのは私の方……。これは罰だったんだ」


「……罰ってなんだよ……」


 前髪を掴み手の隙間から覗く太陽の目が千絵を突き刺し言葉を詰まらすが、千絵は目尻に溜まった涙を指で払うと真実を話す。


「これは、友人を出し抜こうとして、想い人の夢さえも壊した馬鹿な女の罪——————ちょっと昔話をしようか、太陽君」

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