競技場からの聞こえる熱狂を背に太陽は1人歩道を歩く。

 日光を遮る雲がない晴天の空に夏という事で高い外気温で少し歩くだけで汗が滲む。

 選抜テストが開催された競技場から自宅までの距離はそこそこあり、この夏の日差しの中を徒歩で帰るのは苦行だった。


 暫く歩いていると、信号機がある交差点のガードレールに腰掛ける女性が太陽を見るや手を振り。


「太陽君も帰るところ? なら、途中まで一緒に帰ろ」


 千絵だった。

 途中で御影と会話する為に別れた事もあり、まだ競技場にいると思っていた千絵がここにいて太陽は少し面食らう。

 帰路も途中までは一緒だからと誘いを断る理由も無く。

 断れば後が怖いという事もあり一緒に帰る事となる。


「それにしても、光ちゃんと晴峰さんの勝負凄かったね! 私、最後ら辺とか息をするのも忘れてたよ」


「まあ、晴峰本人は不服だったみたいだけどな。労いの言葉を言ったら嫌味かって怒られたよ」


「まぁ……なんとなく気持ちは分かるかも……。けど、太陽君って女性を不機嫌にさせる天才だね。この朴念仁」


「またそれかよ。俺は心から思ったことを言っただけなんだけどな……」


「だから質が悪いんだよね。たまに違う意味でムカつく事あるけど」


 そんな他愛もない会話をしながら帰路を歩く2人。

 恋人の様な距離感で並走して歩く2人だが、残念ながらただの親友同士である。

 しかし、昔からこの様な距離感故に2人は全く気にする素振りも無く、太陽が冗談を言えば、千絵が拗ねた様に強めに叩き、太陽が謝る。千絵が冗談めかしに太陽をからかえば太陽は強く言葉を返す。

 昔から変わらない光景。これが2人の日常だ。


 会話を途切れさせずに暫く歩く2人だったが、


「ちょ……ちょっと待って太陽君……つ、疲れた……」


「お前……。最近勉強勉強で運動してないんじゃないか? 流石に疲れるの早いだろ」


 元々千絵は体力がある方でもない引き篭もりインドア派で、小さい頃もいつも先にへばっていたのを太陽は思い出す。

 ぜぇ……ぜぇと疲労で表情が蒼白の千絵は嗚咽ではないと信じたいぐらいに頬を膨らまし。


「し、仕方ないじゃん……。昔みたいに外で遊ぶのって無くなったし……それに、私たちは来年受験なんだから勉強しないと後で痛い目に遭うよ?」


 受験に力を入れる進学校での将来の不安を太陽は華麗に流し、周りを見渡す。


「どっか休める場所は……っと、運良く公園が、ベンチもあるな。そこで少し休憩するか」


「さ……賛成」


 まるでご年配を引率する様に千絵の手を引いて太陽は近くの公園へと赴く。

 

 この公園には何も思い出はないが、外で遊ぶよりも中でゲームに興じる時代の流れか、休日にも関わらずに公園は閑散としているのは何処か物寂しかった。

 

「なにか飲み物でも買って来るか?」


「い、いや……大丈夫。暫く休めば回復すると思うから」


 千絵の元来の体力の無さもあるが、この天気の良さも疲弊の原因だと思われる。

 脱水症状及び熱中症が怖いが、千絵も医者を目指している身。本当にヤバいなら申告するだろう。

 太陽はベンチに座る千絵の隣に腰掛け、自分たち以外に誰もいない公園の遊具を眺め。


「それにしても本当に遊んでる奴はいないな。俺達の頃はよく外で遊んでたのに」


「なにその今頃の若い奴はみたいな言い草は……。太陽君だって高学年の頃からゲームを買って貰って家の中で遊ぶようになったくせに。ゲーム下手な私を嬉々として虐めて」


「凄い懐かしいなそれ。俺と光が先にお前を叩き落して、最後は俺とあいつの一騎…………」


 楽しそうに過去話に花を咲かせていたが太陽自身の無意識の言葉で会話は切れる。

 原因は恐らく…………。


 重苦しい沈痛な空気が流れ、公園の木に止まる蝉時雨のみが響き……太陽は自分の手の甲に爪を立て。


「ハハッ……俺ってマジで、何がしたいんだろうな……」


「何がしたいんだろうなって……どうしたの太陽君。なにか悩み事?」


 思わず零したであろう太陽の言葉に千絵は心配そうに尋ねる。

 太陽は乾いた笑みで空を仰ぎ。


「なあ、千絵……。俺は俺がもう分からないんだよ……」


「それってどういう意味…………」


「言葉通りだ。俺は自分の心が分からない。今日、俺は確かに晴峰の応援に向かったはず。だが、俺が応援したのは晴峰じゃなくて……あいつだった」


 太陽は認めたくないが、客観的にあの時太陽が叫んだのは激励及び声援。

 太陽の言葉が結果的に光を奮起させて御影との接戦に持って行けた。


「確かに俺はあいつが苦しんでる姿を見るに堪えなかった。ましてや、ずっと近くであいつが頑張ってる姿を見て来ちまった所為であいつが諦める姿は見たくなかった。そう思った時……考えるよりも動いちまって、俺はあんなことを言ってしまった」


 陸上を勧めたのは太陽。そして、太陽は頑張る光をずっと傍で応援して来た。

 そんな光が諦めて勝負を投げようとしたのに気づいた時には、まるで自分の事の様に悔しく、怒り、光に抱いていた感情よりも体と言葉が動いてしまった。


「俺はあいつの事が嫌いなはずだ! 俺を裏切り、俺を突き放したあいつが嫌いだ! なのに、俺は未だにあいつに未練がある! あいつを忘れよう、諦めようと思う程に忘れられなくて辛くなる……。もう俺は自分の気持ちが分からないんだ……」


 強く気持ちを吐き出すも最後は消え入りそうな程に小さかった。

 口では何と言おうと、心の奥底から溢れる感情が太陽は分からないでいた。

 太陽は今まで溜め込んで来た自分への疑心や怒りを全て吐き出す。


「俺は本当に何がしたいんだ! あいつの事を忘れたいのか。それともあいつともう一度よりを戻したいのか、昔の様な幼馴染の関係に戻りたいのか……。俺はあいつの事が本当に嫌いなのか……それともまだ好きなのか……分からない、分からない……」


「太陽君、落ち着いて。多分、色々あって心の整理がまだ不完全なんだよ。今はゆっくりでも、自分の気持ちに向き合って……」


「そんなの何度もしてきたよ! あいつと別れてから、夜の数だけ何度も! けど、出来ないんだ……」


 太陽の背中を摩り励ます千絵だが、太陽は心の闇に嵌り抜け出せず、最後にはこう言ってしまった。


「俺ってマジで屑野郎だな……。晴峰を不快にさせて、千絵おまえにも滅茶苦茶迷惑をかける……。こんな屑な俺に出会わなければ、お前らはもっと楽しかったかも——————」


 太陽が言葉を言い終わる時だった。

 2人以外に誰もいない閑散とした公園に、バチン!、と乾いた音が響く。

 頬に奔る痛みと衝撃でベンチに座っていた太陽は転がり、地面に倒れる。

 

「痛ぅ……。テメェ千絵! なにしやが—————」


 太陽は激昂して千絵を見ると息を呑んで言葉を失う。

 太陽を叩いたのは隣に座っていた千絵だった。

 だが、叩かれた太陽よりも、叩いた千絵の方が苦しそうに涙を流していた。


「ふざけないでよ……ふざけないでよッ! なんでそんな事言うの、太陽君!」


「ち、千絵…………」


 千絵は太陽の胸倉を両手で掴み、その涙で潤う瞳で太陽を睨み。


「太陽君に出会わなかったらもっと楽しかったかもしれない? ふざけた事言うのは大概にしてよ! 確かに太陽君に出会ってから面倒なことも沢山あった。迷惑だって沢山かけられた! けど、それ以上に楽しかった! それ以上の楽しさなんて想像もつかないよ!」


 千絵の手は太陽を叩いた時に赤く腫れていた。それだけ強く叩いたのだろう。

 今まで幾度も太陽は千絵に叩かれた事はあったが、今日の一撃はこれまでのよりも痛かった。

 千絵は身体を小刻みに震わせ。


「太陽君は私にとっては恩人なんだよ……。覚えているのかな。小さい頃の私は引っ込み思案で、人とどう接すればいいのか悩んで、1人教室の隅で読書して孤独な学校生活を過ごしていたのを……」


 太陽は覚えている。

 いつも1人で誰とも遊ぼうとせずに、寂しく悲しそうな顔で本を読んでいた千絵のことを。


「そんな私を明るく照らしてくれたのは……太陽君なんだよ。友達も作れずに心を閉ざしていた私を、強引に遊びに誘ってくれて、光ちゃんを含めて沢山の友達を作る切っ掛けをくれた……」


 太陽にとって寂しく過ごしていた千絵を放っておけず、もっと楽しい学校生活を過ごして欲しいというお節介な善意で千絵を遊びに連れ出た。

 

「だから……お願いだから、もしもだとしてもそんな事言わないでよ! 私は楽しかった! 嬉しかった! 太陽君と出会えて沢山の思い出を作れて! 太陽君がいなかったら私は、今でも1人で過ごしていたかもしれない……。だから、私の人生までも否定しないでよ!」


 太陽にとってただのお節介だったかもしれないが、千絵にとってはそうではなかった。

 太陽に出会ったからこそ、今の千絵がおり。太陽に出会ったからこそ今までの思い出がある。

 楽しかったことも、悲しかったことも、全部全部、太陽と出会ったからこそ味わう事が出来た。

 太陽が何気なしに言った一言は、千絵の得て来た物全てを否定する言葉だったのだ。


「……スマン、千絵……また俺は」


 太陽は何度千絵に迷惑を掛ければいいのだろうか。

 確かに出会わなければよかったという言葉は反省するが、本質は解決していない。

 苦悩する太陽だが、そんな太陽を千絵は優しく抱きしめ。


「太陽君が気持ちを切り替えられないのも無理はないよ。だって、太陽君は何年も光ちゃんの事が好きだったんだもん。そんな簡単に割り切れなくて当然。逆に、はい振られました、では忘れますみたいに簡単に切り替えられると、1人の人間として太陽君は唐変木から人間失格の屑野郎に格下げするよ」


 おい、と冗談なのか本気なのか分からない千絵の言葉だが、先程までの締め付ける様な胸に苦しみが解放されて温かく太陽の心を癒していた。

 

「恋はそんな物だよ、太陽君。幸せだけど苦しくて、いつ壊れてしまうかも分からない不安定な物だけど、だからこそ愛おしくて胸に刻まれる。簡単に忘れられる物じゃない……忘れられるならどれだけ楽だったのかも分かる」


 まるで千絵は自分に言い聞かせる様に言う。


「だから太陽君。時間が全てを解決するとは言わないけど、私たちはまだ17歳。まだまだ人生はこれからだよ。そんな悲嘆にならないで、私たちの未来はまだ明るいよ。それに、前にも言ったよね。太陽君がどんな風になっても私はずっと、太陽君の味方だって」


 コツンと太陽の額に千絵は自身の額を当て。


「だから、辛くなったら頼って。悩んだら相談して。それだけ私は太陽君に恩を感じているんだから。その恩を返させてよ」


 息もかかる距離で千絵は穏やかに微笑む。

 千絵の優しさが太陽の心に染みたのか、太陽の頬に涙が流れる。


「(お前こそふざけるなよ、千絵……もうそんなの、十分に返して貰ってるよ……)」

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