整体院

 千絵から知り合いの整体師の連絡先を貰った光は後日そこに電話した。

 出た相手は女性で少し口の悪い感じだったが、千絵からの招待と告げたら場所を教えられ、その通りに少し街から離れた場所の路地裏を歩くと、辿り着いた場所は古民家だった。


「……ここが言っていた場所かな……?」


 電話越しで言われメモした住所と携帯のGPSで現在地を確認すると一致している。

 別に光は医療場所の見栄えなどで腕前を判断はしないが、少々不安になった。

 

 光は緊張しながら、一昔前のボタンのみのベルを押すと、ピンポンと家の中でベルが鳴る。

 家の中から襖が開く音が聞こえる。

玄関の方に足音が近づき、横開きの扉が開かれると、中から女性が出て来る。


「はいはいどちら様……って、ん? もしかしてお前が、チーが言っていた友達か? 昨日電話してくれた」


「は、はい。渡口光です。千絵ちゃ……高見沢さんの紹介で来たんですが……」


「渡口……もしかして、あいつの……」


 出て来た女性は光の足から頭まで見ると、ふっと笑い。


「おう。聞いてる聞いてる。ささっ、中に入れ。診てやるから」


 中に招き入れられ光は萎縮しながら「お、お邪魔します……」と一礼して家へと入る。

 中も外見同様に和風で玄関上がって直ぐ横の襖を開き、部屋へと入る。

 部屋の中は広く、床は畳。施術ベットが2つに寝そべるタイプのマッサージチェアが置かれた、小規模な医療場所。

 部屋には自分たちしかいなかった。どうやら貸し切りらしい。


「そう言えば自己紹介がまだだなったね。私は三好優香。チー、あんたの友達の高見沢千絵の伯母だ」


「千絵ちゃん……おばさ——————ふぐっ」


 復唱をしようとした光の額に何故かデコピンする優香と名乗る女性。

 威力はそこそこ強く、しかも不意打ちだった為に光は額を押さえて蹲る。


「な、なんで……?」


「私は人におばさんって言われるのが嫌なんだよ。私を呼ぶなら優香さん、又はお姉さん、又は先生と呼びなさい」


 そう言う意味のおばさんじゃないんだけどな……と内心ツッコむ光だが、反論すれば痛い目に遭いそうなので黙って提示した中の呼び名の中で最も呼びやすそうな「先生」をチョイスする。


「えっと、では先生。先生は千絵ちゃんとは親戚なんですよね? 私、千絵ちゃんの知り合いに整体師の人がいたなんて初めて聞きました」


「まあ、私は最近まで海外に居たし、チーもあまり話す必要がないから言わなかったんだろう。人様の親戚事情なんて話してもどうでもいい事だからな」


 一応は医療に携わるはずの優香だが、室内でたばこを吸い始める。

 一応は、アスリートで未成年の光に気を使ってか、部屋に隣接してある縁側で煙を吐いているが。


「海外に居たって事はそちらの方でお仕事を?」


「いーや。結婚”していた”旦那の仕事の都合で一緒に付いて行ったんだ」


「……していた……って事は……」


 光は優香の言う言葉が過去形だと気づき頬を引きつらす。

 優香はニシッと口端を上げ。


「おう。聞きたいか? 旦那が赴任先の外国人と不倫して子供作って離婚した話を」


「…………いえ。なんか聞いたら私の胸が張り裂けそうになりますからご遠慮します……」


 人の不幸話を聞き、表情を暗くする光とは対照的に。当人の優香は気にしてないとばかりにハハハッと哄笑をあげ。


「まあ、そんな訳で出戻りした私は、妹夫婦が住むこの街に引っ越して。昔恩になった人経由でこの場所を借りて、整体院を開き、日銭を稼いでいるって訳だ。開業して間もないが、中々の評判だぞ、これでも」


 優香は吸い終えたたばこを灰皿に捨て、いつまでも部屋の入口に立つ光を手招きする。


「まあ、私の事なんてどうでもいいだろ。まず怪我の度合いを確認するから、そこに座ってくれ」


 光は優香に指示された通りに施術ベットに腰掛ける。

 今日は治療出来易い様に履いてきたジャージの裾を優香は捲り上げる。

 露出した光の太ももを優香は確認する様に揉み始める。


「ふむふむ……なるほどなるほどね。これは、チーから聞いていた通りだな」


 ぶつぶつと呟いていた優香だが、揉む手は止まり、その手で光の太ももにバチン!と響く程に叩く。


「痛っ!」


 不意の暴力に光は脚を押さえて痛みに打ちひしがれる。

 理由が分からず叩かれた事で光は再び涙目で訴えると、光の額を優香は指で小突き。


「怪我は最も治りかけの時が危険で重要だ。だから、しっかりとした治療もリハビリもせずに無茶をすれば怪我を酷くして怪我癖が付く恐れもある。だってのにあんたは、筋肉も靭帯も少し腫れ上げってるじゃないか! それに、それを庇う様に走ってるのか骨も若干歪んでる。触っただけでここまで判るって異常だぞ!」


 触っただけで怪我の度合いが分かった優香は光を叱責する。

 光はぐうの音も出ずに顔を沈ます。

 だが医療に携わる優香はその責務として更に捲し立てる。


「チーから聞いていたけど、あんた、陸上選手なんだって?近々、大会に選出するレギュラーを決めるテストがあるらしいけど、正直、私が医者ならドクターストップをかける程に怪我は酷い」


 優香はほとほと呆れたとばかりにため息を吐き。


「人体の痛みはある意味ではまだセーフな部分もある。本当に危険なのは痛みに気づかないってのだ。痛みが蓄積されると次第に身体が痛みに慣れてしまって痛みを感じなくなってしまう。それは、体が鍛えられたとかじゃなくて、未だに爆弾の導火線に火が点いているのと変わりない。いつかは無茶が祟って爆弾は破裂する。あんたのオーバーワークみたいにな」


 確かに光は去年の夏。

 練習量を増やした最初の頃は筋肉痛や過労で痛みを伴って来た。

 だが、次第に痛みも和らぎ疲れはあっても前よりかはマシだと思い、自分のスキルが上昇したのだと思っていたが、それは必要のはずの休息を全くしなかった為の身体から発せられた危険信号だったのかもしれない。

 光が体の本当の異常を感じた時にはすでに遅く。突然に脚に激痛が奔った。


「なのにあんたは、その時の過ちを又しても犯そうとしている。あんたの身体だからどう使おうがあんたの勝手だけど、私からすれば馬鹿だな。今無茶をして将来、これから死ぬまでの何十年という時間に支障をきたす危険を冒そうとしているんだからな」


 若い頃の傷は一生の物になる事もある。

 特に生活の基盤でもある下半身は歳を重ねる事にその代償を大きく感じる。

 なら、将来を見据えるなら、今は無理をせずに治療に専念する方が得策だ。だが、


「だとしても私は……馬鹿って言われても、それでも今を後悔したくないんです」


 光の嘘偽りのない覚悟した真っ直ぐな瞳に優香はため息を吐き。


「本当に後悔しないんだな? 最悪の場合、歩けなくなっても」


 再度確認をすると光は躊躇いもせずに頷く。

 光の覚悟を見た優香は後ろ髪を掻いた後に、面白い物が見れたとばかりに笑い。


「ほんと、チーの言っていた通りだ。自分の体を大事にしない大馬鹿だ。それだけ陸上に執着しているって事か……。だが、私はそんな馬鹿が大好きだけどな」


 優香は穏やかな微笑みで光と目線を同じにするべく屈み。


「分かった。あんたの覚悟は見たし、私があんたの脚を治療してあげる。まあ、正確に言えばその大会までは持つ様にするだけどね」


 それでも十分だと光は目を輝かせ。


「ほ、本当ですか!?」


「ああ、チーの友達には嘘は吐かないよ。まあ、最終的には運と、あんたが私の言う通りにするかどうかだけどね。それと、治療はするが条件が幾つかあるけど、いいか?」


 条件という単語に光はごくりと唾を呑み小さく頷く。

 優香は3本の指を立て、その条件を述べる。


「1つ。この治療は保険適用外だ。普通の整体院なら1000円以内で済むのを私の所では3000円以上はすると思え、通院となれば週に2、3回は通って貰うつもりだから。2つ。先程も言ったけど、私の言う通りにこれからは練習しろ。最小限の脚への負担で練習は組んでやる。3つ。確かに私はお前を治療してやるが、責任は取るつもりはない。だから、もし怪我が悪化してもそれは自己責任って事にしろ。この3つが守れるなら、私は受けるが、いいか?」


 光は口を黙らす。

 それは条件に怖気づいてではなく、2つ目と3つ目の条件はいいが、現在学生の光にとって1回の治療で3000円は堪える。

 バイトも学校で禁止されてる上に時間的に厳しい現状で、金銭が一番の鬼門である。

 親に頼む手もあるが、自分の我儘で両親に負担をかけるのは二の足を踏んでしまう。

 その事を察した優香は1つ提案を出す。


「私も別に鬼じゃない。が、慈善活動でこの仕事はしていない。だからタダってのは駄目だが……出世払いで良い。いつかお金が出来た時に払いに来い。チーの親友なら黙って逃げる事もないだろうからな」


「ほ、本当ですか!?」


「だから、チーの友達に嘘は言わないって」


 至れり尽くせりで感謝しかない。

 確かに治療費は高額になるが、千絵も太鼓判を押す程だから腕は確かなはず。

 

「それじゃあ、早速治療を始めるぞ。うつ伏せで寝っ転がれ」


 光は優香の指示通りに施術ベットにうつ伏せで伏せる。

 優香が光の脚を心地良く揉み始め、気持ちよさにうたた寝してしまいそうになるが、睡魔から意識を逸らす為に光は先ほど優香が口にした言葉を拾う。


「そう言えば、先生は先刻さっき、私みたいな馬鹿は好きだって言ってましたが……昔に私みたいな人に会った事あるんですか?」


 光の質問に優香の手は止まる。

 そしてふぅ……と優香が息を吐くと。


「そうだな。私の知り合いに、人の忠告を聞かず、後先考えずに突っ込んで、周りに迷惑をかける。けどそれなのに、周りを笑顔にする様な馬鹿な男が居たんだ。まあ、そいつはあんたと違ってデリカシーがない奴だったが……」


 懐かしむ様に、そして、幸せそうに語る優香の表情は恋する女性の顔だった。


「もしかして先生は、その人の事を……」


「ああ。大好きだった。けど、失恋したけどな。今ではそいつには息子がいて、今では幸せに暮らしてるだろう。前に同窓会で再会した時は凄く幸せそうだったからな、奥さんも一緒で」


 好きだった相手が幸せそうで嬉しい。だが、その伴侶が自分ではない悲しさもあって、優香の笑顔は光にとって胸に響く。

 

「さっきあんた、後悔はしたくないって言ってたけど。その気持ちは忘れるなよ。人間は必ず過去に後悔を残す。だから、人は選びに選んで最小限の後悔を置いて先に歩く。だから、全力で生きるんだ。私みたいに未だに後悔している様な女にはなるなよ。雅人の娘」


「雅人……って、私のお父さんの名前。え、もしかして先生って?」


「やっぱりそうだったか。渡口って苗字を聞いた時にもしかしてと思ったが、世間って狭いな。私はお前の父さんの大学時代の同級生だ。ついでに、私が好きだったのは雅人じゃないぞ。帰ったらお父さんに聞いてみろ」


 千絵の伯母の優香が父である渡口雅人と昔の知り合いだという事に衝撃を受ける光だが、嫌なことが脳裏を過る……。


「(も、もしかして先生の昔好きだった人って…………ないない、絶対にない! 帰ったらお父さんに聞いてみよ……)」


 好奇心と憂慮を抱えながら、光は先のレギュラー選抜に向けての治療を受ける事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る