千絵の伯母
明日から日本最大の大型連休である
高見沢千絵は学校を終えて、一人自宅の帰路を歩いていた。
千絵は軽音部に所属をしているが、軽音部に部室が無い為に基本的には自主練が主で、時折近くのスタジオを借りて音を合わせるのだが、自主的なおかげで基本的に学校が終われば直ぐに帰宅をする。
「うぅ……流石に昨日遅くまで復習してたから辛いな……。今日の授業の内容、頭に残ってるかな……?」
千絵の進路は公立の医大で学力が大きく試される。
少しでも学力を上げようと昨晩その日に習った内容を復習したのだが、思った以上にのめり込んでしまい、寝たのが今日のもう少しで日が昇ろうとした時刻。
そのため睡眠不足で、午後の授業は危うく眠ってしまいそうだったが、ギリギリの所で踏ん張って黒板の書き写しもこなした。
「流石に最近根詰め過ぎかな……? 今日は帰って夕食まで寝よう……。どうせ明日から休みだし、今日ぐらいゆっくりしよ……」
ふわぁ……と大きな欠伸をする千絵。
今日は疲れた脳を休める為に一旦睡眠を取ろうと思ったが、千絵にとって最悪かどうかは分からないが、街角に差し掛かった所で一人の影が飛び出す。
「よっ、チー! 久しぶりだな!」
夏間際にしては厚着をする女性。
まるでタイミングを計ったかの様に千絵が通ろうとした瞬間に飛び出し驚かす。
……だが、千絵はそれをスルーするかの様に無言で通り過ぎ。
「―――――――無視するんじゃない!」
「痛ッ! え、なに!?」
千絵に無視され激昂した女性はすれ違いざまの千絵の後頭部にチョップを叩きこむ。
突然の背後からの奇襲に千絵は叩かれた頭を押さえながら振り向き、
「あっ! 優香おばさん、ひさしぶっ!」
笑顔で女性の名前らしき名を言った千絵の額に、唐突なデコピンが叩きこまれる。
「ど、どうしてデコピンしたの優香おば――――」
今度は千絵の頬をぐにゅと握り、女性は千絵の口を遮り。
「お・ば・さ・んっていうなって昔言わなかったか? お姉さんだろ、チー?」
「え? だって優香おばさんはお母さんのお姉ちゃんだから、もう40過ぎ――――――」
「それでもお姉ちゃんって言えって言っただろ、優香お姉ちゃんって!」
千絵の頬を解放してがなる優香と呼ばれる女性。
この女性の名は三好優香。千絵の母の姉、つまりは千絵からして伯母である。
「それにしても、チー。お前、よく私だってわかったな? 正直、誰ですか?みたいな反応されるかと思ったぞ。お前と最後に会ったのは小学の低学年の頃だったよな?」
「だって優香おば―――お姉ちゃんは昔とあまり変わらないから、直ぐに分かったよ」
又してもおばさんと言いかけたが、優香の怒気の眼光に気づきギリギリ躱す。
セーフだったようで、優香は少し上機嫌に。
「そうだろそうだろ。これでも健康とかには気遣ってるんだぜ。女性の賞味期限は早いというが、努力次第では伸ばす事も可能なんだ」
ふんすと胸を張る優香。
優香は40を超える年齢であるが、本人曰くの努力の結果で中々に若く見える。
それが功を成してか、暫く会ってなかった千絵も相手が伯母である事を一目で分かった。
「それにしても優香お姉ちゃんは、どうして
優香の旦那は海外で働くビジネスマン。結婚を機に優香も旦那に付いて日本を離れて、今まで日本に帰って来てなかったはずだと千絵は記憶している。
優香はその質問に、あぁーと気まずそうに頬を掻き。
「それは、なんだ……離婚したんだ、私」
どうやら地雷を踏んだらしいと千絵は察する。
ハハッと乾いた覇気のない笑いをする優香は後頭部に手を当て。
「いやー。本当に参ったよ。まさか仕事先の外人さんと出来ちゃったらしくて、なんか子供も出来たらしくて離婚してくれってせがまれて、仕方なく離婚したんだ」
幸いに子供がいなかったのが救いと、ハハハッと笑う優香だが、千絵は笑えなかった。
それ処かなんて声をかけていいのかさえ戸惑ってしまう。
「お前がそんな暗い顔をするなって、チー。元々行き遅れだった私に母さんたちが結婚しろって言ってきてのお見合いした相手だし。離婚してくれって言われて直ぐにハンコ押せるぐらいだからさ、別に好きでもなかったようだ」
千絵に気遣いをさせた事に罪悪感を感じたのか、優香は自分は全く気にしてないと語る。
だが、
「……それでもやっぱり、辛くないはずがないよ。好きでもなくても、結婚した相手だったんだから……」
千絵の本心を突く一言に優香は大人ながら自分が情けないと頬を掻き。
「まぁ、そうだな。辛くないって言えば嘘になるが……。それでもやっぱり、昔のあの失恋と比べれば、どうって事ないと思う」
千絵は顔をあげ、悲し気な表情の優香を見上げ。
「それって……昔に私に話してくれた、優香さんの恋愛話……?」
「覚えていたか……。そうだ。私が本気で好きになったにも関わらずに、後悔しか残らなかった恋」
優香は昔を耽る様に一旦目を閉じ、そして開いて千絵の顔を見据える。
「チー。昔にも言ったが、恋愛で一番後悔する失恋ってのがなんだったか覚えているか?」
千絵は頷き。
「……想いを伝えずに身を引く、でしょ」
正解と優香は人差し指を立てて振る。
「本当にあの頃の私は馬鹿だったよ。マジで好きだったのに、相手に最後まで想いを伝える事は出来なかった。そんでそいつは、別の奴と付き合い、今では結婚もして子供もいる。好きだった相手の好きだった奴とも知り合いだったが、結局私は、二人の間に割って入る勇気がなかったんだ」
昔に何度も聞いた叔母の学生時代の恋愛話。
最後は結局、叔母の恋を成就せず、後悔しか残さない悲運の物語。
昔は子供になんて話を聞かすのって母も怒ったりもしたが、千絵はこの話が好きだった。
……だが、今は辛く胸を締め付ける。
「私が割って入ってあいつらの関係が崩れるのが怖くて、なら自分の恋心を押し殺して、あいつらの親友でいる事を決めた、そして私は、結局好きな奴に好きって二文字を言えずに終わった」
けど、とここから優香の目つきが鋭くなり眼光に怒気の色が混じり。
「そんな私の気持ちを知らずにあいつらは! 結婚しました、子供が出来ましたって手紙を送って来るし! もう、あの時は割って入ってぐちゃぐちゃにしておけばよかったって思ったよ!」
「……いや、その人たちはお姉ちゃんの恋情を知らないだけであって、傷つけたいってわけじゃないと思うんだけど……」
「……まあ、そうなんだけどさ」
千絵の指摘に怒りを彷彿とさせていた優香は冷静になる。
ワシャワシャと髪を掻き、一旦落ち着いた優香は半眼で今度は千絵に尋ねる。
「そんで。終わった私の事はどうでもいいけど。チーの方はどうなのさ?」
「私の事……」
そうだ、と優香は幼き頃の事を掘り返す。
「お前、確か好きな奴いたよな? 名前は……スマン、忘れた。けど、そいつの事が好きで、どうすればいいのかって聞いて来た事あるよな?」
千絵は苦い顔で鞄の紐を強く握る。
そうだ、千絵は昔、まだ小学生の頃に優香に恋愛相談をした事がある。
クラスメイトの中で好きな相手が出来て、その人ともっと仲良くなれるにはどうすればいいのか、と。
そして、優香が放った言葉が、
『恋は当たって砕けてなんぼだ! ウジウジと人に相談する前に、全力で体当たりしろ!』
と粉骨砕身の精神を説かれ、それを真に受けた千絵だったが、
「そんで。結局お前、その好きな奴に告白したのか?」
グイグイと姪の恋慕に入り込む伯母に千絵の表情は歪む。
だが、優香の眼は真剣だった。
しかし、千絵は、ふぅ……と軽く息を零して、
「ううん。してないよ」
作り笑いで千絵が答えると、優香は胡乱な眼を千絵に向けていたが、その目を閉じ。
「そうか。じゃあ、もう一つ聞く。お前、まだそいつのこと、好きなのか?」
叔母だからと言ってここまでグイグイ堪えると流石に嫌な気分になる。
しかし、優香も優香で過去に恋愛で辛い想いをしたからという、気遣いでの質問なのかもしれない。
千絵はチクチクとする胸の鼓動を必死に抑えながら、口を噤む。
言わない。そう決めたはずだが、相手が自分の好きな相手を知らない優香だからこその気の緩みか、閉じた口は開かれ。
「……うん。まだ、好きだよ、昔も、今も」
「…………そうか」
優し気に微笑む優香は見ない内に成長した千絵の頭をそっと撫で。
「千絵。先ほども言った通り、恋で一番してはいけない終わらし方は、相手の事を気遣い身を引く事だ。友の為に身を引いたは傍から見れば美談かもしれない。けど、当事者は辛く、あの時に告白すれば、今が違っていたのかもしれないって後悔する。それが大小あるが、必ずな」
「優香お姉ちゃんは、あったの?」
「……あった。つか、今でも少し未練があるよ。もし、あいつよりも早くに告白していれば、もしかしたら、私が隣にいられたんじゃないかって。そう思っている内に、もう40超えたおばさんだ。子供も望める年齢じゃない」
優しく撫でる優香の手だが、気丈に振る舞っているとは裏腹に悲しみで震えていた。
「だから千絵。恋ってのは成功するか、砕けるかの二つしかない。逃げるって選択肢は、何処にもない。あったとしても、その先は後悔しか残らない。……その事だけ肝に免じておけよ」
伯母である優香は千絵にとって姉であり、もう一人の母親的存在。
子供がいないからこそ、同性の千絵を母よりも気遣う優しい人物。
最後に優香は千絵の頭をポンと一回叩くと、千絵の横を通り過ぎて行く。
「どこに行くの?」
千絵は振り返り優香に尋ねる。
優香は顎に指を当て、先ほどまでの悲哀の満ちた表情から一転して、まるで子供が悪戯をするかの様な愉快な笑顔を浮かばせ。
「ちょっくら私を失恋っていう悲しみを与えた野郎をぶん殴って来る」
「…………へ?」
千絵は目を点にする。
失恋の悲しみ。つまり、先ほどまでの会話に出てきた優香の元想い人の事だろうか……。
唖然とする千絵に優香はケラケラと笑い。
「冗談冗談、ただの同窓会だ。だけど―――――慰謝料払う事になったら、ごめんな」
とんでもない爆弾発言に我に返った千絵は顔を真っ赤に染め。
「不倫駄目! ゼッタイ!」
千絵の絶叫が朱色の日差しが包む街に轟く。
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