想い願った再会

 練習は一旦区切りをつける為に20分の休憩を挟み、御影は一人グラウンドの隅の水飲み場で水分補給をしていた。

 蛇口を上方向に捻り、ハンドルを回して水を出し、少し勢いが強かったのか放出された水は口ではなく目に当たり、


「………………」


 そんな御影彼女は、水が目に入り、染みた目をバツの悪い表情でタオルで拭う。

 

 今の御影から先ほどまでの畏怖を感じさせるオーラは無く、いつも通りの彼女に戻っていた。

 だが、まるで獲物を狩る狩人の様な眼光を放つ彼女の走りを見て、御影の元に歩み寄る者はいなかった。

 

—―――――一人を除いて、


「よう。凄い走りだったな、晴峰」


 古坂太陽。

 彼は他の者とは少しばかり彼女と関わりが深いからか、少し臆病風に吹かれながらも彼女に声をかけた。

 タオルで汗と水道水を拭っていた御影はタオルを退かすと、その表情は—————優し気な微笑みだった。


「あっ、古坂さん! 部室の前でいるのは知ってましたが、私の練習も見ていてくれたんですか。嬉しいです!」


 ニシッと歯を見せ笑う御影と、練習の最中の修羅の様な形相の御影。

 これほどに御影はオンオフが出来るのかと、恐怖を通り越して感心の念を抱いてしまう。


「凄いな、練習の時のお前。あそこまで人は変われるんだなって、驚いたぜ」


「あーっ、それはお恥ずかしいですね。私、昔から陸上になると性格が変わるって言われてて、何故か陸上をしている時は気持ちが大きくなってしまって……。後で畑さんや他の人に謝らないといけません! 私、凄く無礼な事を言ってしまいましたし!」


「(本当にこいつ、さっきの鬼の様な形相で練習していた奴と同一人物なのか……? 顔がそっくりの双子の姉妹で入れ替わっているって言われても俺信じるぞ?)」


 自分の性格のコントロールが出来ず、失礼な発言をしてしまったと後悔をして、しどろもどろする御影からやはり先ほどまでの怖いまでの覇気は感じられない。

 

「このままだとマズイです……。先輩や皆さんに失礼極まりない事を言って、周りは私を生意気な奴だと思い、いつしか私は部で孤立をして、居た堪れなくなった私は部を去らないといけなくなって、部活を辞めた後でも学校でボッチな学校生活を送り、それが私に対しての虐めに発展して、学校まで辞める羽目になり、高校を中退した私はそのまま転落人生を——————」


「待て待て待てぇッ! どんだけネガティブなんだよ! お前、天然、ドジっ子、天才、そんでネガティブって、どれだけ属性加えるんだ! 悪いと思うんだったら謝ればいいだろ! 先輩たちもそこまで気にしてないと思うしな!」


 彼女と話していると本当に先ほどまでとのギャップの差に頭が痛くなる。

 

 それもそうですね、とうんうん頷き気を取り戻す御影に太陽は当初から気になる質問を言う。


「てか、お前。なんでこの学校に転校して来たんだ?」


「ん? なんですか藪から棒に? 私が古坂さんと同じ学校だったって事が不満だったんですか? あれだけ一緒の学校だったらいいなって言ってたのに」

 

 ジト目で睨む御影に太陽は否定として手を横に振り。


「そういう訳で言っているんじゃねえよ。ここも一応は県で見れば強豪校だ。だけど、この街には私立でスポーツ科もある高校がある。そこの方が練習の環境や施設が整っているはずだが。なんでそっちに行かなかったんだ?」


 この街には都市と比べて高校数は少ないが、幾つか学校はある。

 太陽が口にする学校とは、推薦、特待でのみ入学出来るスポーツ科がある私立。

 鹿原高校よりも全ての部活に対して良い成績を残す有名な学校。


 テレビでも取り上げられるほどの実力を持つ御影に学校から声が掛からない訳がないと、太陽は疑問を投げる。


「私も最初はそこの学校に行くつもりでした。私が父の転勤に付いてこの街に来るって情報が流れたのか、その学校の関係者から是非我が校に来てくれって電話を何本も貰いましたしね。というよりも、私自身は陸上さえ出来ればどの学校でも良かったのですが、私がこの学校に来たのは二つの理由です」


 二つの理由? と首を傾げる太陽。

 御影は、はいと肯首するとその理由を告げた。


「一つは母の意向です。母は陸上一辺倒では駄目だという考えで。調べるとその私立の学校は確かに部活の成績は栄えある物で素晴らしいのですが、学業の方は乏しいみたいで。母は私に文武両道でいてほしいみたいで、出来れば進学校の方に行ってほしいと言ってました」


「……だからこの街で唯一の進学校のこの学校に来たのか……。母さんの事、尊敬してるんだな」


「それは勿論です。母は私にとって目標ですから」


 頬を指で撫でながら照れ臭そうにはにかむ御影。

 会った事はないが、娘にこんなに慕われるとは相当偉大な人なのだろうとしみじみ思う。


「……まぁ、そうは言いましたが。実際の話では、私がここに来ようと思ったのは二つ目の理由が切っ掛けだったんですが」


「そういえばそうだったな。その二つ目の理由ってのはなんなんだ?」


「二つ目の理由……それは、古坂さんにも話しましたよね? 一人暮らしが出来るにも関わらず、私が転校を決意したある人物のこと」


「………………」


 勿論覚えてる。

 だが、太陽はその名を口にはしなかった。

 

「渡口光さん。中学の時に私が初めて負けた相手。あの時の屈辱と悔しさは今でも忘れません」


「つまりお前が言いたいのは、そいつがこの学校にいるからこの学校を選んだってことか?」


 御影ははいと即答で認める。

 

「良くそのお前が倒したい相手がこの学校にいるって分かったな? 住んでる場所は学校名で大体分かっても、進学した学校なんて分かるものなのか?」


「スポーツ誌の人と関わりを持てば全国の有力選手の進学先なんて嫌でも耳にしますから。と言っても、知ったのはここ最近で、転校をすると決めた時に初めて知りました。その時です。私が渡口さんと同じ学校に行きたいって思ったのは」


「どうしてだ?」


「言いましたよね。ライバルが近くに居た方が成長できるって。同じ地区に住んでても一緒に走れるのは試合や合同練習の時ぐらいですが。同じ学校なら練習の時に競い合いながら走れる……そう思ってました」


 御影は一旦言葉を切って自身の後方に居る、他の部員たちへと振り返る。

 太陽も釣られてそちらの方に視線を持って行くが、御影は数秒周りを見渡した後、再び太陽の方へと向き直り。


「古坂さん。今日、渡口さんは学校をお休みだったんでしょうか? 部室で一切顔を合わしてませんが……」


 心配そうな表情で尋ねる御影。

 太陽はその質問から予測を立てる。


 御影と太陽、そして光は同級生。

 自分の転校理由である人物の登校は今朝の段階で把握できるだろう。

 だが、彼女は転校生な上にスポーツ選手として有名選手でもある。

 

 実際、御影が転校して来た日はちょっとした騒動で、彼女の在籍する教室に学校中の生徒たちが集い、多くの質問責めにあっていた。

 恐らく、それが原因で目的の人物を探す時間が取れなかったのかもしれない。


 それに、彼女の口ぶりから、無理して休み時間に探すよりも、結局は陸上部の部室で出会うからと高を括っていたのだろうが、その目論見は外れたらしい。

 

「折角渡口さんとまた走れると思ったのに、今日はお休みだったなら残念です……。ですが、少しおかしいんですよね?」


「……おかしいって、なにが?」


 しょぼんと肩を落す御影の疑念に、太陽はワンテンポ遅れて聞き返す。

 そして御影は人差し指で自分の頬を突く仕草をしながら少し前の出来事を話す。

 

「部活が始まる直前に、私は部員の方に「今日は渡口さんはお休みですか?」って聞いたんですが、何故かその人は困り顔で苦笑いだったんですよね……?」


「……一つ聞くが、お前。自分がこの学校、この土地に転校して来た理由を他の奴に言ったのか?」


「はい。自己紹介の時に。私の目標は渡口光さんと切磋琢磨して誰よりも彼女に勝ちたい、と。それがどうかしましたか?」


「………………」


 太陽は御影に光の休みを尋ねられた者の心情を察する。

 ここまで強い意気込みをした相手に、その好敵手は怪我が原因で一年前に辞めてますなんて言えるはずがない。

 曖昧なはぐらかした所為で御影に疑念を抱かせているが、多分太陽も同じ立場なら同じ反応をするだろう。

 

 ……だが、このまま事実をひた隠しに出来るとは到底思えない。

 今日が駄目なら明日、明日が駄目なら明後日、と、彼女は諦めないだろうから、いつかバレる。

 

 土手で彼女と再会した時、彼女からこの街に来た理由を聞いた時から、太陽は覚悟はしていた。

 太陽は一回深く息を吸い込み、そして気持ちを整えるべく軽く息を吐き、


「なぁ、晴峰、実は——————」


「あれ? 太陽君。こんな所でなにしてるの?」


 太陽の決しの台詞を述べようとした所、聞き覚えのある声に遮られた。

 声が聞こえた方角は前方、御影からすると後方。

 そこにはこれから部活なのか、それとも終わったのか知らないが、ギターケースを背中に背負い、肩に学生鞄をかけている高見沢千絵がいた。


「ち、千絵……」


 太陽は御影に言うはずだった真実の言葉を飲み込み、千絵の方から視線が動かない。


「(最悪のタイミングだ……なんでこんな時に!)」


 太陽は内心に千絵に空気を読めと悪態を付く。

 別に誰かに言葉を遮られた事に付いてではなく、ここで現れたのが千絵だから太陽は滅入っているのだ。

 先日での千絵との会話。

 千絵に強引に会話を切られて不完全燃焼となり、今でも心にモヤモヤが残っている太陽。

 改めて後日にその話を掘り返すのも嫌でうやむやにして忘れようとしたが、今日はなるべく千絵との接触を避けたが、今日の最後の最後で千絵に遭遇するのは太陽からすれば最悪だった。


「ち、千絵……な、なんだ? ギターケースとか背負って、これから部活か?」


「うん、そうだよ。今日は学校近くの練習スタジオが借りれるらしくて、これから部員皆でそこに向かうんだ」


「へ、へえー? そうなんだな」


 気まずくなって口を閉じてしまえば心を読み取られると思い言葉を選んでの会話。

 太陽がちぐはぐとした口調の割に、元凶の千絵はいつも通りだった。

 千絵は昨日の事はあまり気にしてないのか、と太陽は疑問に思う。


「古坂さんの知り合いですか?」


 太陽と千絵が話している傍ら、一時的に蚊帳の外に追い出されていた御影が太陽に問う。


「あ、あぁ。小、中からの同級生だ。高見沢千絵っていうんだ」


「どうもー! 2年A組、高見沢千絵です! 確か、今日転校して来た晴峰御影さんだよね!? 私、中学の頃に陸上の全国大会であなたの事知ってるんだ。凄くカッコよかった!」


 興奮気味の千絵。

 相手は一応若き天才選手として有名だから仕方がないだろう。

 だが、言葉のチョイスを誤ったかもしれない。

 

 千絵の言っていることは傍から見れば賛辞で可笑しい部分はないだろう。

 だが、御影の事情を知っている太陽からすれば、それは最悪の貶しに近い。

 

 千絵の言う全国大会とは―――――御影が初めて敗北に喫して、悔しさやトラウマを植え付けた忌まわしき試合なのだから……。


 千絵が土足で地雷を踏んでしまったのではとハラハラな太陽を他所に、御影は、


「ありがとう、高見沢さん。あの大会は負けてしまったけど、観客だった貴方にそう思えられて嬉しいな。これからは同じ学び舎に通う同級生だから、宜しくね」


 事情を知らない千絵に怒れないのかは定かではないが、太陽の心痛は杞憂に終わった。

 御影は優し気な笑顔を表し、友の契りを交わすかの様に手を差し出す。

 千絵も直ぐに片手を差し出した御影に対して、ガッチリ両手で包み込むように握り。


「うん! よろしくね、御影さん!」


 まさかの会って数分、数口交わした相手を名前呼びとは。

 小学生の頃の引っ込み思案だった千絵の成長を感慨深く太陽が思った頃だった。


「あれ? 千絵ちゃん先に行ったのかな? ゆっくり行ってるからって言ってたけど、何処にもいないんだけど?」


 その会話に旋風を巻き起こすかの様に発せられた第四者の声。

 忘れたくても忘れられない覚えきった声。

 太陽は瞼と眉が引っ掴んばかりに大きくを見開いた。


 太陽がバッとその声が聞こえた方へと視線を向けると、その者の姿が視界に入った。


「あっ、千絵ちゃんいたっ! ……たい……よう」


 目的人を発見して笑顔を浮かばしたその者は、その横に立つ太陽の姿を捉えて表情を曇らす。

 二人は目が合った、学校では出来る限りの接触を避けて来た二人だが、偶然にも無視出来ないぐらいに互いの存在を認識した。

 そう――――――その者は、古坂太陽の幼馴染であり、元カノの、渡口光。

 そして、


「見つけましたよ! 渡口光さんっ!」


 今日この時、嵐が来ると、太陽はそう予見せざる得なかった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る