全国レベルの実力

「よーし。ウォーミングアップ終了。次は各種目事に分かれて練習再開だ。再開は5分後。それまでに水分補給をしておけ」


 

「「「「「「「「はい」」」」」」」」


 女主将の指示に部員全員が響く声で返事する

 本練習の前のウォーミングアップまでは部員全員で行い、後は種目毎に分かれて練習をするらしい。

 陸上にも様々な種目があり、短距離や長距離などの走りの種目。

 やり投げや円盤投げの様な投げる種目。

 走り高跳びや棒高跳びの様な跳ぶ種目など。


 種目毎に体作りが違い、その為種目事に分かれなければいけない。

 

 鹿原高校の陸上部員は約40人。

 前述通り、その全員が同じ種目ではなく、それぞれの種目毎の練習場所へと移動する。

 本日目玉の晴峰御影が練習する種目は長距離走。

 

 長距離走選手は6人。

 練習場所はトラックのある校庭。

 長距離選手は各々開始前にストレッチで体をほぐしていた。

  

 校庭端に野次馬として募る生徒たちは胸を躍らして練習が始まるのを待っていた。

 

 自分たちの学校に有名選手が来たのだから、せめて練習初日はその選手の実力を目の当たりにしたいという好奇心だろう。

 太陽は中学時代に一度彼女の走りを遠目であるが見ている。

 しかし、流石に2年近く昔の事で殆ど覚えてなく、テレビに出ていた事も人伝手で知るまで分からなかったのだから、殆ど太陽は初見に近い先入観だった。

 

 そろそろ練習が始まるという直前に、太陽の前に腰を下ろして見ていた生徒がこんな会話をしていた。


「それにしてもよ。あいつって本当にテレビに出てた晴峰って奴なのか?」


「あぁ。本人も名乗ってたし間違いねえだろ。俺、テレビで見た事あるから顔覚えてたしよ」


「けど、あいつって全国でもトップレベルの選手なんだろ? なんだかなー。さっきのやり取りや何もない所で転んだりするドンくさい場面を見ると、疑っちまうぜ。本当に期待の新人なのか?」


「知らねえよ。確かに転んだところを見ると不安だが、それを確認する為に俺たちは見に来たんだろ?」


「違いねえな」


 太陽はこの者たちの会話に同調する様に頷く。

 

 不名誉であるが、そう言われても現時点では反論が出来ない。

 御影は陸上選手としての実力は世間に知れ渡るほどに大きいだろう。

 だが、部室から出ての数分の間にそれは疑心に変るのも無理はない。


 彼女からは所謂覇気が感じられない。

 スポーツ選手、しかも実力が高い選手であれば、ユニフォームに着替えると素人でも少しは相手の実力の空気を感じられる。が、

 

 照れながらの愛嬌。

 ハラハラさせる程のドジ属性。

 いじられキャラ……。


 内心太陽は、彼女はスポーツ選手よりもアイドルなのでは?と錯覚してしまう。

 

「そろそろ始まるぞ」


 生徒の一人の全体への報告に生徒たちの視線は今始まろうとしている長距離選手の練習へと行く。

 

「よし。晴峰。お前から行け、桜木、お前もだ」


「はい」


 長距離選手内の上級生の男性が御影と桜木と呼ばれる男性の選手に指示すると、御影と桜木はスタートラインに立つ。

 桜木が指を白線に置いてスタート態勢を取る中、御影はポケットにしまっていたヘアゴムを取り出す。

 ウォーミングアップの時にはしていなかったが、本番の全力の時には長い髪を結うようだ。

 髪を後ろで結い、ポニーテールを作ると、前にかかっていた髪から御影の素顔がハッキリ分かる。

 そしてこの時——————御影の雰囲気が変わった。


「――――――怖っ」


 太陽は思わず御影から放たれる異常な雰囲気に圧倒され思わず零す。

 先ほどまでの愛嬌のあるパチリと開かれた目は細くて鋭くなり。

 口は糸で縫ったかの様に噛み締める様に閉ざされ、表情は目の前しか見てないと言わんばかりの真剣そのもの。

 

「(おいおい。人ってここまで雰囲気を変えられるものなのか? 完全に別人だろ)」


 中学3年に行われた全国大会では、会場の遠い観客席からだったが、彼女の走る時の表情が分かる距離で確認するのは初。

 あの時からなのか、その後からなのかは知らないが。

 陸上を走る時の御影の表情は、走る前とは全然違った。

 走る前の時がアイドルであるのなら、走る時の彼女は鬼だ。


 それを太陽だけではなく、周りも感じ取ったのかいつの間にか会話が無くなっていて、聞こえるのは唾を飲みこむ音だけ。それだけ静かって事だ。


 邪魔な髪を結い、準備を整えた御影も続いてクラウチングスタートの態勢を取り構える。

 合図係のマネージャーが横に立つとすぅと手を上げ。


「よーい、スタート」


 手を下げてスタート。

 御影と桜木は同時に前に出た—————が、横並びで同時だったのはここまでだった。

 スタートして直ぐに御影はトップスピードに到達したのか、徐々に桜木から距離を離す。

 

 走る距離は1500メートル。

 トラック1周が300メートル。

 つまりは5周して完走となるのだが、最初から全力と思しき御影の体力は保つのか? と危惧する太陽だったが、それは杞憂に過ぎず。

 ペース配分をしっかりしての速度だったのか、少しのブレはあったものの、彼女は速度を保ったままゴール。

 桜木とは10秒以上の差をつけてのゴール。


 聞けば、桜木と呼ばれる選手も県ではそこそこの成績を残す実力者らしいが。

 県でそこそこと全国でトップレベルの選手ではここまで差があるのか。

 しかも女性を貶す訳ではないが、桜木は男だ。

 男性と女性の運動能力を比べると男性の方が有利なはず。

 だが、そのハンデをものともしない圧倒的な実力の差を見せつけられ、傍観していた太陽は開いた口が塞がらないぐらいに驚きが隠せない。 


「よし。次の組、準備しろ」


 一つの組が終わると次の組が走るという仕組みな様で、御影、桜木が走り終えると、準備していた次の組がスタートラインに立つ。

 しかし、そこへ御影が待ったをかけた。


「すみません、畑さん。次も私に走らせてくれないでしょうか?」


「晴峰。お前、今走っただろ? 少し休んでから走れば」


「今ので疲れる程体力は少なくありません。逆に全然足りませんし、それに——————この部の人が私とどれだけの差があるのか知りたいですから、今日は2人1組ではもう片方は全て私が走るので、お願いします」


 つまり御影が言いたいのは、今の1500メートルでは疲れると思われるのは不快だ。

 そして自分と張り合える人がこの部にいるのか把握したい、という事なのか……。

 

 その会話をギリギリ聞こえた太陽は、


「(おいおい。本当にあいつ、晴峰かよ……。マジで人ってここまで物事が関わると性格が変わる物なのかよ……?)」


 いつも外では大人しい人が車に乗ると性格が豹変するという話は良く聞く。

 だが、平常は天然が入って人から茶化される御影だが、自分の領域テリトリーに入ると傲慢になってしまう……そのギャップの差に太陽は困惑する。


「(これが……自分が天才と呼ばれる事からの自信なのか……それともあれがあいつの素なのか……)」


 太陽は御影と言う女性を全く知らない。

 知っているのは陸上に負けて泣いている姿と、この街に来てからの笑顔。

 

「前に一度陸上を辞めようとしたってのが嘘な表情だな、まったく……」


 その後、御影からの提案に上級生としての威厳からの反論は一切せず、彼女から来る威光にたじろぎながら上級生は了承。

 そして御影は予告通りにそれ以降の組は彼女が入る形で走り、そして全て御影が圧勝。


 御影が息を切らして疲れを見せたのは、10回目以降の走行の時だった。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る