隣 人

紗織《さおり》

隣 人

「この物件は、大変お買い得ですよ。もうこんな条件の物件は、二度と出てきませんよ。」

不動産屋さんのお決まりのセリフだった。


そう、確かにこんな物件は、二度と出てくることは無いだろう…。




妻の茜と一緒に新居を探し始めたのは、今年の春だった。

賃貸のアパート暮らしでコツコツと貯金をしてきて、

ついに夢のマイホームを持とうと決めたのだった。


不動産屋さんに行くと、親切そうな担当者が出て来て、応対してくれた。

「一戸建ての新築物件を買われるなら、やはり住宅環境の良い、静かな街がいいと思います。」


薦められた場所は、40年位前に開発された住宅街だった。


最近ポツポツと売り物件が出て来て、再開発が進んでいるとのことだった。


僕たちが見に行った物件も、今まで1軒だった場所を、再開発して

2軒の新築戸建てを建てて売られていた。


「隣の新築は、もう契約済みで、こちらの物件だけのご案内になります。


日当たり的にも、こちら側の物件の方が良いのですが、その分お値段もお高くなっています。」


(なんだ、隣はもう売れているんだ。僕もそっちの方が良かったな、残念。)


家の中は、やはり新築。


ピカピカに光る屋内の様子は、早く引っ越しておいでと招かれているように輝いていた。



でも…



「どうですか?この物件。人気の街なので、他のお客様も迷われているんですよ。

決められないようでしたら、その方をご案内しても宜しいでしょうか?」

不動産屋さんが他の人に紹介すると言い始めた。



「どうする?家は綺麗だし、素敵だよね。値段的には、何とか予算内じゃない?」

茜が不動産屋さんの言葉を聞いて、慌てて相談してきた。


「あのう、でもお隣の家の様子がちょっと…。」

僕が不動産屋さんに、窓から見える隣の家を指差して言った。


「…ああ。お隣は、もうずっと空き家なんですよ。

こちらも広い土地だから、そのうち再開発されて、すぐに新しい家が建つと思いますよ。


誰も住んでいないと、手入れもされず家も痛むし、雑草もどんどん生えてきて、余計に印象も悪くなるんですよね。」

不動産屋さんがさも当然の事だという顔をして言った。


「そうですか…。空き家なのですか。ボロボロの家で、雑草も庭中に生い茂っていて、やっぱり景観が悪いですよね。」

僕がもう一度言った。


「お隣の土地は、当然所有者がいるので、私達が勝手に綺麗にすることは出来ないんですよ。


分かりました。それじゃあ、その分お値引きしましょう。どうです、100万引きますよ。」

不動産屋さんが言った。


「えっ、凄いじゃない。」

茜が喜んでいた。


「どうです?もうこれ以上は、お勉強も出来ませんよ。もうこんな物件には出会えませんよ。」

不動産屋さんがもう一押しと薦めてきた。


こうして、僕たち夫婦は、この物件の購入を決めたのだった。




しかし…


引っ越してきて、しばらくたったある日、茜が言ってきた。


「あのさ、お隣って、確か空き家って言っていたよね…」


「ああ、不動産屋さんがそう言ってたよな。」

仕事から帰宅してきた直後に、茜が話しかけてきた。


「今日の夕方見たら、雨戸が少し開いていた気がするんだけれど…。」


「何言っているんだよ。ちゃんと閉まっているじゃないか。

ってそもそもボロボロで、半分開いているような雨戸じゃないか。見間違いだよ。」

窓から隣の様子を見て、茜に言った。


「そうかなぁ。なんだか私、気味が悪いよ。」

茜が怖がっていた。


「じゃあこれからは、僕も気にして隣を見てみるよ。また雨戸が開いていたり、

何かあったら、不動産屋さんに連絡してみよう。」

僕が答えると、茜がうんうん頷いていた。




数日後…


仕事が休みのせっかくの土曜日の朝に、茜に起こされてしまった。

「ちょっと見て!やっぱり開いてるの。」


「えっ!」


隣家の2階の雨戸が、そう言われると、開いている(壊れてずれている?)。


…いや、2階の窓の向こうにレースのカーテンが揺れているのが見える。

雨戸だけじゃない、確かに窓も空けているんだ。


(どういう事だ!空き家じゃないのか?)


僕は、不動産屋さんに電話した。


「隣の空き家に人がいるんですか。じゃあ、空き家じゃないですね。

住んでいるんですよ。」


不動産屋さんは、面倒くさそうに答えてきた。


「あなたは、空き家だから荒れていると言っていたじゃないですか。

どういう事なんですか。」


「あんなボロボロだから、そう思って話したんですよ。

住んでいる方を見たんでしたら、空き家じゃなかった。

ただそれだけの話でしょ。」

契約が終わった後の不動産屋さんは、別人のように冷たい対応だった。


「誰か、住んでいるんじゃないかって。空き家だと思っただけだってさ。」

僕は茜に言った。


「誰かって、誰よ。あんなボロボロの家に、雑草が生い茂っている家に、

一体誰が住んでいるって言うの。もう、やめてよ。」

茜が半泣きになって言った。


「僕だって、気味が悪いよ。

分かったよ。正体を突き止めよう。


この土日にずっと隣を監視してみるよ。」


窓のレースのカーテンが揺れている向こうに、良く見るとヒラヒラと白い物が動いていた。


「お化け!?」

…違う、洗濯物だ。


窓際に洗濯物を干しているようだった。

明らかに人の住む気配がしていた。


(こうなったら、直接確認だ!)


隣の家の呼び鈴を押してみた。


…鳴らない。…壊れている。



さすがに、ドアを叩いてまで呼び出す勇気は持てなかった。




「茜、窓の向こうに洗濯物が干してあるみたいだし、明らかに誰かが住んでいるみたいだよ。


でも、呼び鈴も鳴らないし、もうしばらく時間をもらって、様子を伺ってもいいかい?」


「うん、ありがとう、宜しくね。」




それから2週間後の週末(平日は仕事もあり、昼間の隣家の様子は見れないし、夜はもう雨戸も閉まっていて人の気配は皆無の為)に監視をしていて、ついにその正体を突き止めたのだった。


その日は、雨戸を開けて、壊れそうなベランダに人が一瞬だけ出てきたのを

たまたま目撃したのだった。




おばさんだった。




50代位の少し小太りのおばさんだった。


ピンクの薄手のパジャマを着て、洗濯物を干し、すぐに家の中に引っ込んでしまった。


急いで茜を呼んだ時には、もうその姿は無かった。


「今、おばさんがいたんだよ。お化けとかじゃない、間違いなく人間が住んでいる。」

僕は茜に興奮気味に言った。



でも、こんな廃墟のような家に、何カ月も気配も感じさせずに住んでいるなんて、

なんだかとても気味が悪いという印象以外、とても持てない隣人だった。


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隣 人 紗織《さおり》 @SaoriH

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