❖ 6 ❖
たいしたものは釣れなかった。昌が小さいメジナを2匹釣り、汐は見事にボウズで終わった。
「ま、初心者はこんなもんだよね」
偉ぶったことを言う昌の鼻を捻り上げてやる。
「なんだよ、ホントのことなのに!」
「そんなに痛くないだろう!」
力を入れたつもりではなかったが涙目になっているから慌てた。
「こんなことされたことないもん! 大樹だってしないし!」
「分かったって、ごめん!」
何度か謝って昌の荷物を持ってやると機嫌が治った。多分、こんなやり取りさえもが楽しいのだろうと思う。汐には分からない。どうして家族なのにこんな子どもを放っておけるのか。
荻野さんは50代半ばくらいの男性だった。海の男、というより団子屋のおじちゃん、といった雰囲気だ。人好きのする人で今日は煮魚にしてくれると言う。
「二人掛かりで2匹か」
笑われて、汐が思わず頭を下げると煮魚を待つ間に釣りのコツを教えてくれた。
「次は大漁だといいね」
煮魚だけじゃ足りないだろうと、奥さんからきのこの炊き込みご飯までもらった。
「ありがとう!」
「ご馳走さまです!」
そう頭を下げて別荘への道を辿る。視界の角に人影を感じ振り返ると大樹だった。声をかけようとすると唇に人差し指を当てて姿を消した。きっとこうやっていつも昌の様子を見ているのに違いない。
(俺がいなかったら昌一人で……)
そう考えるととてもやるせない。
昼間ずっとはしゃいでいたせいか、軽い発作を起こした昌は夕食を待たずに横になってしまった。
「明日は出かけるのをやめてのんびりしよう」
顔色の悪い昌を気遣う。大樹に来てもらおうか、などと考えた。
「ドア、開けて寝てもいい?」
心細いのかそんなことを昌が言う。
「今夜はここにいるよ。そしたら安心だろう?」
「ここに? この部屋で寝るの?」
「うん。待ってて、用意するから」
日ごろから体は鍛えてある。ふんっ! と気合を入れてロッキングチェアを二階に引きずり上げた。目を丸くしている昌の前に置いてクッションと毛布を持ってくる。
「さ、寝よう」
「え、いいの? 疲れない?」
「慣れてるんだよ、父さんの看病で」
それがよほど嬉しいらしくて、また発作を起こすんじゃないかと心配するくらいに喜んだ。
「ほら、大人しく寝ろよ。気になって眠れないだろ?」
何度も目を開けて汐がいるのを確認する昌を怒る。ランプの明かりを弱くして寝たふりをするとやっと観念したようで、寝息が聞こえてきた。
眠って幾らも経たない内に小さな音で目が覚めた。開けたドアを軽くノックしているのは大樹だ。
「驚いた!」
「しぃっ、ちょっといいかい?」
「はい」
後について下に降りると、椅子に座った大樹が真面目な顔で汐を見た。
「こういうのは困る」
「こういうのって?」
「君はすぐにいなくなるだろう? だから昌をこんな風に甘やかさないでもらいたいんだ」
「こんなって、そばで寝てたことですか?」
「そうだ」
「今日も発作を起したんですよ。そんな時くらいそばにいてやらなきゃ」
「今まではそれでも一人でやってきたんだ。君がいなくなったら昌はどうなる?」
カチン! と来た。あまりにも思い遣りが無さすぎると。
「だったら大樹さんがついててやればいいじゃないですか! こんな中途半端な形じゃなくって。昌はまだ16なんだ!」
「君に何が分かる? あの子は」
「その分からない相手に昌のこと頼んだのは大樹さんですよ」
大樹は黙った。
「こんなに頻繁に発作起こすなんて重病人って言ってもおかしくないのに大人が誰もいない。どうかしてるよ! 一人でやってきただなんてよく言えるよ!」
「……悪かった。そうだな、君に押し付けたんだよな。明日帰っても構わないよ、後は俺がするから。これ」
胸から財布を出したから汐は完全にキレて立ち上がってしまった。
「ふざけんなよ! そんなんでここに来たんじゃない、俺は自分の意思でここにいるんだ。俺は帰るつもり無いから。もう寝るから出てってくんないか!?」
大樹は汐を見つめた。ふっとその目が和らいだ。
「済まない。……汚い大人社会に住んでるとね、人の善意って言うのが分からなくなるんだ。これでも昔は君みたいに…… いてくれるんならお願いだ。昌の自立心を消さないように付き合ってもらえないか? どうしたって君と離れる時は来るんだ。その時に苦しむのは昌なんだよ」
汐は大樹の言葉でやっと落ち着いて来た。そうだ、過去も現在も未来も、昌のそばにいるのは大樹なのだから。
「すみません、言葉が過ぎました」
「そんなことないさ。君が怒って当然のことをした。……思った通りのことを口にして行動する。そうだよな、若いときってそれが出来るんだ。いてくれるなら有難いよ」
「大樹?」
声が大きかったせいか昌が起きてしまった。下りてこようとするのを大樹が止めた。
「なんでもない、汐くんに今日のことを聞いてたんだ。もう行くよ、ゆっくり休みなさい。じゃ頼む」
「はい。さっきは」
大樹が首を横に振ったから後の言葉は飲み込んだ。大樹が出て行くのを見送って、不安そうに見ている昌のところに戻る。
「ごめんな、声大きかったか?」
「怒鳴ってなかった?」
「いや、そんな風に聞こえた? 心配かけたね。大丈夫だから寝て」
横になった昌の長い髪が広がる。
「髪、伸ばすの?」
「これ、願掛け」
吹き出した。16の子どもが願掛け。
「大樹に好きって言ってもらえるようにって」
「じゃもっと素直にならないと」
「難しいんだよ、いろいろと」
「ませたこと言って。寝ろよ、起きててやるから」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
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