就職浪人しそうな年上女性に永久就職を勧めてみた結果

ヨルノソラ/朝陽千早

就職浪人しそうな年上女性に永久就職を勧めてみた結果

 日本には、四百万社を超える企業が存在するらしい。途方もない企業が存在する中で、大企業を名乗れるのは一%に満たない。たしか0.5%だったか……いや、もっと少なかった気がする。


 とにかく、世の中のほとんどの企業は中小企業に分類分けされている。



 だから、俺は運がいいのだと思う。



 俺──六道遙人ろくどうはるとは、日本有数の家電メーカー、六道グループの長男として生を受けた。


 十八年の人生で、金銭面で苦労したことは一度もないし。

 これから先も、成功が約束され将来は安定している。


 万に一つ、倒産したところで、数えるのが億劫になるくらい巨万の貯蓄が我が家にはある。


 日本国内が不景気だと騒ぐ中、我が六道家は順風満帆そのものだった。


 だから俺は、運がいいのだろう。

 恵まれた環境に生まれ育ち、将来が約束されている。


 だが、俺は退屈だった。この上なく退屈だった。この環境が、この境遇が、この暮らしが。


 クラスの連中は、俺の家柄や財布の紙切れにばかり興味を持つ。

 誰も、俺自身には目を向けてくれない。

 家族はみんな自分のことばかり。俺のことは使用人に任せて、まともに顔を合わせやしない。


 贅沢な悩みだとは思う。

 しかし出来ることなら、普通のありふれた家庭に生まれたかった。


 かかとをすり減らしながら、住宅街をぼんやりと眺める。何一つ面白みのない光景だけれど、俺はこの時間が好きだった。少なくとも、あのつまらない家に帰るよりは何十倍も。



 と、そんなことを考えていた三月下旬の昼下がり、帰宅途中での事だった。



「……あ、あのっ。助けてくれませんかっ!」



 声のした先を見やると、公園の滑り台に座り込む女性と目が合った。


 周囲をキョロキョロと見回すが、他に人は居ない。

 女性は俺に助けを求めているらしい。日々が退屈で埋め尽くされている俺にとって、この展開は嫌なものではなかった。


「どうかされました?」

「その、笑わないで聞いて欲しいんですけど……滑り台に挟まってしまって」

「は?」

「だ、だから……滑り台に挟まって抜けられないんです!」


 俺は目を瞬せる。

 改めて状況を見てみると、確かに滑り台に挟まっているらしかった。


 スレンダーな体型をしているが、お尻には栄養がたっぷりと行き届いている。これは、自力で抜け出すのは難しそうだな。


「俺、生まれて初めて見ました。滑り台から抜け出せなくなってる人」

「別にこうなりたくてなったわけじゃないですから! 天然記念物を見るような目でみないでください!」


 ムッと頬に空気を溜め込んで、矢継ぎ早に口をパクパク動かす。

 頬を桜色に染めて、うるうると瞳に涙をにじませていた。


「すみません。じゃあ、引き上げますね」

「お願いします……」


 細くて華奢な手が触れる。

 今更だが、この人、えらく美人だ。

 歳は二十代前半。顔立ちは人形細工のように整っていて、化粧も薄い。栗色の髪が胸元の辺りまですらりと伸びている。

 美人を目にする機会は多いが、このレベルは中々お目にかかれない。


「私の顔、なにか付いてますか?」

「あ、いえ……なんでもないです。ちょっと力入れますね」


 俺は足の踏ん張りを効かせると、一気に引き上げる。

 が、予想以上に女性のお尻が滑り台にフィットしていて、苦戦を強いられる。


 これじゃ、滑り台ごと引っ張っているようなものだ。


「いっ」

「あ、すみません。大丈夫ですか?」


 少し力を入れすぎたらしい。

 女性の表情が、わずかに歪む。


「だ、大丈夫です、続けてください」

「あまり無理をすると、脱臼とかしますよ。こういうときどうしたら良いか分からないですけど……ひとまず警察呼びますね」

「え、ま、待ってください。警察は」

「前科でもあるんですか?」

「な、ないですよ! そうじゃなくて、あまり大ごとにはしたくなくて。状況が状況ですし」

「ああ……」


 滑り台に挟まっているこの状況は、出来ることなら知られたくないだろう。

 俺が彼女の立場なら、絶対に知られたくない。とはいえ、力業でこの場を抜け出すのは至難。簡単に抜けられるなら、とっくに彼女一人の力で抜け出している。


 無理をすれば、怪我につながる危険があるしな……。


 俺はポケットからスマホを取り出すと、メッセージを送る。


「な、なにしてるんですか? 警察は……」

「警察には連絡してません。私用です」

「そうですか。あ、えっと、もう一回引っ張ってもらって良いですか? 次は行けそうな気がするんです」


 女性は下から見上げる形で俺を捉えると、再チャレンジを要求してくる。


 透明感のある白い腕を伸ばしてきた。抱っこをもとめる赤ちゃんよろしく、庇護欲を誘われる。しかし、俺はそれを無視して、地面に腰を下ろした。


「引っ張るのは後にして。少し、質問してもいいですか?」

「……いい、ですけど」


 多少、不信感を抱きつつも、小さく首を縦に振ってくれる。

 一応、この場では俺の方が優位にいるからな。あまり対立する真似はしたくないはずだ。


「どうして、滑り台に挟まっちゃったんですか?」

「……っ。そ、それはなんと言いますか……就活が上手くいかなくてムシャクシャしていたんです。それで一旦、童心に帰ろうと遊具で遊んでいたら、こんな惨状に」

「な、なるほど……就活って事は、大学三年生?」

「ああ、そうですよね。この時期はもう三年生が……うぐぅ」


 声にもならない声をあげて、失意の色を瞳に宿す。

 生気を吐き捨てる勢いで、重たく首を下ろしていた。


 現在、三月の下旬。就活から目を背けていた大学三年生も、重たい腰を上げなくてはいけない頃……だったと思う。実際に、就活したことないからよく分からないが。


 しかし、彼女の様子を見るに少し違うらしい。


「私は大学四年生です。もう、卒業は決まっていて……このままだと、就職浪人しそうなんです。さっき、最後の一社からもお祈りされましたし」


 就職浪人。

 企業への就職が決まらずに、大学を卒業してしまうこと、だったか。


「私……いつも、こうなんですよ。やることなすこと、全部裏目に出るんです。せっかく最終面接まで行けた時だって……他の人より目立とうと思って空回りしちゃうし」


 しょぼくれる彼女を目前にして、俺はふわりと微笑む。

 一つ、提案をしてみることにした。


「じゃあ、ウチで働いてみませんか」

「え?」

「ここで会ったのも何かの縁ですし」

「あ、あの、ちょっと頭が追いつかないんですけど……高校生、ですよね?」

「はい高校三年生です。あ、自己紹介がまだでした。俺、六道遙人っていいます。家電メーカーの六道って知ってますか? そこの社長の息子です」


 目を瞬く。

 ポカンと口を開けて、呆然としていた。


「六道って……え、嘘」

「本当です。証拠は……えっと、どうすればいいかな」

「い、いえ大丈夫です。言われてみれば……凄く似ています」

「似てる?」

「面接に行ったとき、貴方のお父さんを見かけたので。目元とかよく似てます」

「それはまた、凄い偶然ですね」


 あの父親と似ていると言われるのは癪だが……理解は得られたみたいだ。


「で、でもすみません。ありがたい話ですけど、コネ入社みたいな真似はできないです」

「真面目ですね。でもコネとは少し違いますよ。俺の元で働く感じなので」

「どういうことですか?」

「取り敢えず、面接形式で話しましょうか。イヤなら断ってもらって大丈夫なので。俺、面接官やりますね」

「この状況で面接ですか!? コントみたいになりませんか!?」

「それではよろしくお願いします」

「ふ、普通に始めるんですね……」

「いきなりですが、まず勤務形態の確認を。弊社、週七連勤休み無し住み込みとなっておりますが、よろしいですか?」

「絶対イヤですっ。刑務所よりひどい待遇じゃないですか!」


 律儀にワンワン文句を垂れてくる。

 愉快な人だな。俺はクスリと笑みを漏らしつつ、面接を続ける。


「まぁまぁ、メリットもありますから。著名なシェフによる食事が、毎食出てきます」

「そ、それは……いいですね。じゅるり」

「あと、身の回りの世話は大抵お手伝いさんがやってくれます」

「どんな職場ですかそれ!」

「あと、欲しいものは大概手に入ります。どんなブランド品でも、数時間後には目の前に」

「福利厚生がすごい! ブランド品はいらないですけど!」

「だがしかし、弊社は終身雇用ならぬ生涯雇用。永久就職という形になります」

「じ、自由はないんですか……?」

「ないかもしれませんね」

「絶対イヤですよそんな職場!!」


 畏怖の色を瞳に宿して、声を荒げる。


「じゃあ、やめておきますか?」

「……ち、ちなみにお給料はどのくらい貰えるんですか?」

「言い値で大丈夫です。といっても、途方もない額を言われちゃ困りますけど」

「言い値……。た、例えばですよ……? 月給百万とか言ったら」

「全然大丈夫です。お金に困っているんですか?」

「ま、まぁ、はい。女で一つで育ててくれた母が、病気になってしまって。手術には結構お金がかかるみたいなんです。だから、給料の多い企業ばかり受けていて……それでどこにも引っかからずこんな形に」


 少しだけ彼女の境遇が見えてきた。

 俺はジッと真正面から目を見つめて、語りかけるように告げる。


「ウチで永久就職するなら、お母さんの手術費諸々、全額負担します」

「ほ、ホントですか。じゃ、じゃあ働かせてください!」


 前のめりになって、興奮状態の女性。フンフンと荒い鼻息が、俺の頬を掠める。

 もう少し人を疑った方がいいのではないだろうか。別に嘘は吐いていないけど、この人、簡単に騙されそうで危うい。


「じゃあ、ウチで採用ということで……っと、到着したみたいですね」

「え?」


 車の駆動音に気がつき、振り返る。

 黒塗りの高級車が公園の近くで停車して、中から初老の男性が登場する。彼の右手には工具箱が握られている。


「お待たせいたしました。遙人さま」

「ううん。じゃあこれお願い、佐久間さん」

「承知いたしました」

「え、えっと……」


 俺の指示を受け、佐久間さんは滑り台の幅を広げにかかる。

 女性は頬をヒクつかせながら、当惑した様子だった。


「端的に言えば、滑り台を壊しているんです。抜け出せないと困りますよね」

「こ、壊すって……そんな」

「安心してください。ちゃんと修繕しますから。いえ、新しい滑り台を置いてもらいますから」

「そ、そんなことできるんですか?」

「できます。まぁ、俺の力じゃないので偉そうなことは言えないですけど」


 父親は、俺に関心がない。必要最低限の会話以外、まともに話したこともない。

 だが、お金だけは潤沢に与えてくれる。無駄遣いはしていないし、貯金は山ほどある。公園の滑り台を買い換えるくらい、造作もない。無論、滑り台を壊すことも事前に連絡済みだ(佐久間さんが)。


「遙人さま。もう抜け出せるかと」

「ありがと、佐久間さん」


 相変わらず、仕事が早いな。

 俺はサッと右手を女性に向かって差し出す。


「起き上がれますか?」

「は、はい……ありがとうございます」


 さっきまでビクともしなかったのに、今度は何も弊害なく起き上がれる。

 俺は微笑を湛えると。


「よかったですね。じゃあ、これからウチに来てください」

「今からですか!?」

「当たり前です。ウチで働くんですよね」

「そ、そうですけど……。あ、そういえば仕事の内容って。あ、私、C言語とJavaなら分かります」

「まずは婚姻届を書くのが仕事です」

「え?」

「だから、婚姻届。言ったじゃないですか、永久就職だって」


 そう告げると、女性はパクパクと金魚みたいに口を開ける。

 ようやく、仕事の概要を理解したらしい。

 ずっと滑り台に座っていたせいか、脳の処理が追いついていないのか、へなへなとその場で座り込む。腰が抜けているらしい。


「け、結婚なんて聞いてないです!」

「嫌なら、やめてもらって大丈夫ですけど」

「うぅ……大体、貴方は私と結婚していいんですか?」

「はい。一緒に居て退屈しなそうだし、顔が死ぬほどタイプなので」

「……っ」

「どうしますか?」


 頬を桜色に染めて、面映ゆい様子の女性。

 やっぱ、滅茶苦茶かわいい。


 女性はしばらく考え込んだ後、遠慮がちに俺と目を合わせてきた。


「わ、私、未経験で……なにも分からないですよ。いいんですか?」

「新卒なら大体そうだと思います。むしろ何も知らない方がいいです」


 ぼわっと頬を赤らめて、言いよどむ。

 まぁ、即決できる問題ではない。迷うのは当たり前だ。


 俺は再び、右手を差し出す。


「そういえば、まだ名前を聞いてなかったです。教えてもらっていいですか?」

「す、すみません。私、名乗ってなかったですね。えっと、私は──」


 偶然の出会い。でも、世の中そういうものだと思う。

 人との出会いも、会社選びも、偶然の産物ばかりだ。


 どれが正解かはやってみないと分からない。


 だから、俺はこの出会いに賭けてみようと思う。


 ただ、退屈だと嘆くくらいなら、自分から何か行動を起こさないとな。

 それに、このままだと父親の決めた相手と結婚させられそうだし……。


「あ、あの……一つだけ確認しても良いですか?」

「なんですか?」

「御社の経営理念を確認させてください」

「お客様はもちろんですが、社員を幸せにすることが、六道グループの理念です」


 そこまで言って、俺は一拍置く。

 彼女の両手を包み込むように握りしめて、真剣に真正面から見据えた。



「だから、貴方のことも必ず幸せにします」

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