28.助けが来るまで待つ予定だったのに

 二人同時でなくても、シェンがエリュの身代わりに攫われる案も出た。だがせっかくなので、幼いエリュに危機感を持ってもらおうと考えたのだ。連れ去られても、生き残る術を教える意味もあった。


 部屋に入ってきたのは、太ったワニのような男と獣人の女だった。ふさふさとした尻尾で獣人系と判断したが、獣耳がない。違う種族とのハーフだろう。ワニと断じた男は、縦に割れた瞳孔を見開いて二人の幼女を交互に眺めた。


「どっちが皇帝だ?」


「銀髪と聞いたけど」


 どちらも貴族階級ではない。濁った発音からそう判断し、シェンはエリュの前に立った。


「お前らは誰だ? 僕に何の用が……」


 わざと自分に注目が集まるように振る舞う。時間稼ぎをする必要はなかった。エリュへの教育の一環なのだから。拉致された状況で名乗り出ることがいかに危険か、理解してもらうのだ。皇帝陛下は守られるべき存在だった。本来は民を守るのだが、エリュは戦う力を持たない。ならば、彼女が生き残ることこそ、魔族のためになる。


「殺さなきゃ何してもいいのよね?」


 そんなわけあるかと言い返したいシェンは、演技しながらエリュを庇う位置に移動した。女に手を伸ばされたら、エリュより先に触れるように。


 エリュは怖いもの知らずで、まだ本当に危険な目に遭っていない。大きな目を見開き、不思議そうだった。自分に危害を加える者など、考えたこともないのだ。侍女も含め、周囲に好意的な人しかいなかった。その環境が当たり前と認識している。


 シェンの言う通り後ろに隠れたし、声も我慢した。この人達は誰だろう。そんな気持ちが伝わって、シェンは吹き出しそうになるのを耐えた。こういうとこ、大物かもしれないね。


「ダメだ、侯爵様に叱られるぞ」


「あなたが黙ってれば平気よ」


 見えない場所に傷をつけるくらいと考えたのか。幼女の悲鳴や恐怖の表情に歓喜を覚える性質か。獣人の女は鋭い爪に舌を這わせた。赤く長い舌が思わしげに爪を濡らす。その爪を眼前に突きつけられ、シェンは溜め息をついた。


「汚い爪をどけろ」


 命じる口調は傲慢な神の響きを宿し、武器である爪を粉々に砕いた。力の差があり過ぎるのだ。威圧したシェンの間合いとなる範囲に、ベリアルとリリンの気配が現れた。と同時に、周囲に複数の魔力が増える。


「なんなの!? この子っ、殺してや……」


「汚い口を塞げ、愚か者め。近づくでない」


 シェンが吐き捨てた言葉は、神の力と意思を宿している。言霊と呼ばれる声は、獣人の女を吹き飛ばした。口を開こうにも悲鳴すら出なかった。呻く声が溢れる中、エリュは首を傾げる。


 あの人、勝手に飛んでった。変なの。あまりに不思議そうに見つめるものだから、シェンは真剣な表情を保てなくなった。ぷっと吹き出して笑った後、エリュの髪を撫でる。助けが来るまで待つ予定だったけど、変態すぎる発言に口を出してしまった。まあ、エリュが無事ならいいか。シェンはエリュと向き直る。


「もうすぐベリアル達が来るから、そうしたら喋ってもいいよ」


 背を向けたシェンに隙あり、と見たワニ男が飛びかかった。油断していたのではなく、誘ったのだが。単純すぎる敵に呆れ顔のシェンは「動くな」と命じた。言霊により固まった男の横をすり抜け、エリュの手を引いて歩き出す。


「もう上は片付け終えた頃かな?」

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