24.皇帝に帝王学は不要?

 本来、すでに皇帝の地位についてから帝王学を学ぶ者は少ない。これから偉くなる予定の者に教えることはあっても、すでに最高位の地位にいる者に上から諭すのは難しい。まあ、いざとなれば面倒な教師役は引き受けてやろう。シェンはそんなことを考えながら、紙を間に挟んで向き合った。


「お姫様描きたい」


「いいよ。僕は王子様を描こうかな」


 一緒に描き始めて気づいたのだが、エリュは色使いが独特だ。派手な原色を多用するのに、毒々しさがない。不思議な感性の絵を見つめているうちに、出遅れていることに気づいたシェンが慌てて手を動かした。幼女二人でお絵描きとなれば、見守る侍女は微笑ましく感じるもの。しかしシェンの絵は、なんというか……個性的だった。


 よく言えば、古典的。悪く言うと怖い。やたらリアルな描写の古臭い絵が仕上がった。向かいから眺めるエリュが立ち上がり、ぐるりと回り込む。じっくり眺めて、手を叩いた。


「おじいちゃんだ!」


「いや、王子……おじいちゃんでいいよ」


 顔に線をたくさん描き込んだせいか、年寄りのほうれい線と間違えられたらしい。これが年代の差か? シェンは複雑な思いを噛み殺し、愛らしいが変わった色彩のエリュの絵を眺めた。これは風景画を描かせたら面白そうだ。


「エリュ、お花畑を描こうよ。お姫様を囲む感じで、お庭みたいな感じ」


「わかった! じゃあ、お花の色は黒ね」


「え?」


 驚くシェンを置き去りに、花びらを黒で描き始める。エリュは慣れた様子で中に赤や黄色を配色する。


「ケイト」


「はい、こちらですね」


 小型のブラシを受け取り、エリュは勢いよく絵の上を擦った。あっという間に色が混じる。不思議なほど調和した、陰影が深い絵が出来上がった。


「凄いな、エリュは。絵が上手だ」


「ありがと、シェンもおじいちゃん上手だった」


「あ、うん……王子なんだけどね」


 後半はぼそぼそと口の中で言い訳する。ケイト達侍女が苦笑いしながら「シェン様もお上手ですよ」と褒めてくれたが、どう聞いても社交辞令だろう。そのくらいは理解しているので、愛想よく「ありがとう」と答えるに留めた。


 エリュは絵の才能があるのだな。感心したシェンだが、その後も歌や楽器、さまざまな芸術関係に関して多才なエリュに驚き……今後の方針を固めた。


「エリュの才能を伸ばす方向性で。僕が庇護者として後見するから、帝王学はなし。歴史も僕が生き字引だから、足りない部分は僕が補うよ」


 他国との外交は優秀なベリアルがいる。内政関係も任せられるし、将軍職に就いたリリンも有能な実力者だった。側近が固まったなら、エリュ本人は個性を大事に育てる方がいい。歪めてしまえば取り返しがつかないのだから。


「ダンスと食事のマナーくらいかな」


 指を折りながら、エリュに足りない教養を選び出す。最低限恥をかかなければいい。将来、他の貴族と食事をする際に間違っても、皇帝が右と言えば右。ナイフを右手に持てば、誰もが従う。そんな国において、最上位の地位を持つエリュに求められるのは――生きることだけ。ならば好きな絵を描き、楽しそうに歌い、踊る人生で構わない。


 長く生きた分だけ、シェンは多くの皇帝を見守ってきた。その守り神の判断に、誰もが笑顔で頷く。


「エリュ、僕とずっと一緒にいる約束をしようか」


 まだ早いと考えていたが、エリュが皇帝である以上、もう遅いくらいだ。伸ばした手を躊躇いなく握り、エリュは嬉しそうに笑った。

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