13.蛇神の庇護者に手を出す愚者の行方

 正体を明かさず、エリュの友人候補という肩書きで勉強に参加する。礼儀作法を教えるという教師は、まだ若い女性だった。鹿のツノを持つ魔族は、入室したエリュをいきなり叱った。


「皇帝陛下、以前も申しましたでしょう? 入り口で教師たる私に口にすべき言葉があると」


 この時点でシェンは眉を寄せる。だが口出しせず、エリュの反応を待った。これが今回だけのことなのか、それとも普段からの行動か見極めるためだ。


「ごめんなさい。えっと、いつもお忙しい中、お時間を割いてくださり、ありがと……ございます。出来の悪い生徒ですが、よろしく……」


 途中で忘れたのか、エリュは俯いてしまった。さらりと虹色の髪が流れる。ここまでか。口を挟もうとしたシェンより早く、教師である女性は舌打ちした。


「よろしくお願いします、でしょう! そのくらいも覚えられないのに、皇帝陛下だなんて笑ってしまうわ」


 しょんぼりしたエリュの耳を、シェンの手が塞いだ。その温もりに顔を上げたエリュの目は潤んでいる。きちんと言えなかったと反省する彼女は、純粋で美しい。にっこり笑って安心させ、シェンは名を呼んだ。


「リリン、ベリアル。来い」


 神としての力が宿る響きは、召喚魔法と同じ効果をもたらした。一瞬で呼びつけられた二人は、さっと膝を突いてシェンに礼を取る。


「この女は失格だ。ベリアル、エリュにお茶を飲ませて落ち着かせろ。リリンに処罰の許可を与える」


 ずっと耳を手で塞がれ、結界で音を消されたエリュが首を傾げる。そんな彼女ににっこり笑う。察した様子でベリアルが立ち上がって視界を塞ぎ、その後ろでリリンが女を押さえつけた。そっと手を外す。


「エリュ、ベリアルとお茶を飲んで来て。僕の分もプリンを飾っておいてくれると嬉しいな」


「プリン? 上にクリームや果物載せていいの?」


「いいよ、たくさん載せて可愛くしてて」


 嬉しそうに「任せて」と笑うエリュをベリアルが抱き上げる。まだ目が潤んでいるエリュの頭を、シェンが撫でた。ばいばいと手を振って見送る。抱き上げられた幼女が部屋を出た途端、シェンの姿が変化した。


 すらりとした大人の姿に戻り、妖艶な美女の姿で長くなった黒髪をかき上げる。真っ赤な血のような瞳が縦に裂ける。獣の目が爛々と輝いた。


「そなた、我が庇護者に手を出すとは良い度胸じゃ。このシェーシャと契約する子ぞ? 数千回死んで詫びよ」


 悲鳴を上げる女の額に、小さな鱗を貼り付けた。肌に取り込まれた鱗は、不気味な赤い光を発する。


「リリン、そなたに蛇神シェーシャが命ずる。その者を数百ほど切り裂け。首を落としても死ねぬようにした故、しかと償わせよ」


「承知いたしました」


 押さえつけていた女を蹴飛ばして転送し、リリンは微笑みを浮かべて消えた。ベリアルもリリンも疑っていたのだろう。シェンも気づいていた。エリュが逃げ出した勉強は、礼儀作法だけ。まだ幼い彼女に教えるべきは、他者を不愉快にさせない程度のマナーでよい。


 女性教師という立場を利用し、二人きりで授業を行うと聞いて眉を寄せた。無力な幼子の姿で近づけば、普段通りに振る舞うだろう。リリンやベリアルの前で被る仮面を剥いでやろうと思ったが……予想以上に愚かな女だった。


 ぺたんと平らな胸を張り、くびれた腰に手を当てたシェーシャはくつりと笑う。エリュが待っている、戻らなくては。するすると身を縮め、幼い女児の姿を取った。最初に少年の姿を取ったため、髪を短くしたままだったが……今回は長めにする。肩の下まで届くよう調整し、瞬きひとつで赤い瞳の輝きを変えた。


「早く行かないと、エリュが我慢できなくて食べちゃうかも」


 浮かんだ予想にくすくすと笑い、シェンは廊下に飛び出した。勢いよく走り、エリュの私室の扉を開ける。


「あ、シェン。出来たよ」


 得意げにプリンの飾りを見せる。大切なエリュの笑顔にシェンは手を叩いて喜び、目一杯褒めた。嬉しそうに笑うエリュの笑顔を守るため、ベリアルは余計なことを言わずに微笑む。この子を傷付ける愚者の排除は、周囲の大人の役目だった。

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