09.今楽しむこと、将来学ぶこと

 礼儀作法は必ず学ぶ必要がある。しかし生まれてまだ3年、種族によっては卵の殻を引きずる赤子も同然。そう言って、シェンはベリアルを止めた。


 いつもの癖で、つい口うるさく注意しようとしたのだ。言われた内容は理解できるが、そんな顔をしたベリアルへ肩を竦めたシェンが一言。


「大人のお前に難しかったことを、エリュに強要するのか? まだ自由に、好き勝手にして許される年齢だ。あの二人ならそうしただろう。もちろん、作法の勉強はサボらせたりしないが」


 ふふっと笑うシェンは、幼女の姿に似合わぬ口調でベリアルを諭した。お前の考えは間違っていない。将来苦労する可能性を小さくしたい思いは立派だった。だが、この年齢の子どもは手掴みで物を食べても許されるはず。大人になれば許されないのだから、今のうちに好きにさせればいい。


 叱られたのとも違う。すとんと今の言葉が胸に落ちた。ベリアルは憑き物が取れたように、穏やかな顔で頷く。そんなやり取りを知ってか知らずか。エリュはソーセージと格闘中だった。


「えいっ、このっ!」


 フォークを逆手に持って、薄く切られたソーセージを刺そうとする。太いソーセージを薄く切り、サラダの上に載せられていたのだ。先に下の野菜を食べてしまい、器の底にソーセージが貼り付いた。掬うのも難しく、刺して食べようと考えたらしい。くすくす笑いながら見守るシェンの姿に釣られ、リリンやベリアルの表情も穏やかだった。


「エリュ、こうしたらどうだ?」


 器の縁の方から掬う形で丸め、ぐさっと刺してみせる。同じ状態で再現したシェンの手許をじっくり眺め、エリュは目を輝かせた。同じように真似して丸めるが、途中で戻ってしまう。左手で押さえながら丸め、ようやくフォークで刺すことに成功した。


「出来た!」


「立派だぞ、頑張ったな」


「うん」


 嬉しそうに笑うエリュの顔に、ベリアルは自分の至らなさに気付いた。覚えさせることに夢中になるあまり、エリュが笑う時間を減らしてしまった。肩を落とす彼に、蛇神はけろりと言い放つ。


「そなたの行動は間違っていない。少し早かっただけだ」


 あと数年したら、厳しく教えてもいいだろう。否定するのではなく肯定するシェンの言葉に、ベリアルは頭を下げた。まだまだ自由に遊ばせていいのだと、保護者二人は気持ちを緩める。


「ねえ、エリュは普段何をして遊ぶの?」


「お庭で追いかけっこして、お花を摘んで、お部屋で本を読んでもらうの」


 行動半径が狭くないか? 眉を寄せたシェンは、幼子らしからぬ顔で提案した。


「僕と空を飛んで……」


「シェン様! 青宮殿の敷地から出るのは困ります」


 リリンが慌てて遮った。空を飛ぶという表現に、目を輝かせるエリュは聞いていない。


「空を飛べるの? エリュも一緒に飛べる?」


 興味を持ってしまった主君に、二人は顔を見合わせた。そこへ食後のお茶が運ばれてくる。両手で包むようにカップを持ったエリュの足は、勢いよく前後に揺れていた。もう出かける気でいる。


「安心しろ、お前達の懸念は理解している」


 ベリアルとリリンに頷いて見せ、エリュに向き直ったシェンは小さな手を伸ばした。お茶のカップを置いた温かなエリュの手を握る。


「飛べるぞ。今日は宮殿の周りを飛ぼう。残りはベリアル達が一緒に出かけられる日にしよう」


「わかった! じゃあ、お洋服着替える?」


 スカートの裾を気にするエリュに、笑いながらシェンが頷いた。


「そうだな、丸見えになってしまうから着替えようか」

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