第3話
「卒業おめでとう、沙耶」
「ありがとう。今日でお別れだね」
大きなゲートの前に立つ彼女に卒業証書の入った紙筒を差し出すと、彼女は嬉しさと寂しさの入り混じった微笑みを浮かべた。
高校の卒業式を終えた後、クラスメイトの打ち上げの誘いを断った僕はその足で空港に向かった。
両親の転勤で海外に移住することになった沙耶を見送るために。
「私の置き土産は喜んでくれた?」
「漫画97冊もどうすればいいんだよ」
昨夜僕が部屋に戻ると『ロマンの教科書』とマジックで書かれた大きな段ボール箱が二つ置かれていて、その中には沙耶がハマっていた恋愛漫画全巻がぎっしりと詰まっていた。
「ちなみにあれから物語はさらに佳境を迎えて今は107冊になってます」
「嬉しくないんだよ」
「好きな物語が着々とフィナーレに向かってることほど喜ばしいこともないんだけどなあ」
まあ私はもうその続きは見られそうにないけど、と彼女は苦笑する。
沙耶はまずカナダに行くと言っていた。それからは親の転勤次第でどの国に行くかはわからないという。そこに日本の漫画は売っていないかもしれない。
本当に遠い場所に行くんだな、と改めて思った。
「風邪ひかないように」
「うん。ありがとう」
沙耶の海外移住は中学を卒業する前から決まっていたらしい。それを彼女は高校卒業まで待てないかと交渉していたようだ。
僕もどうにか彼女が高校を卒業しても日本にいられるようにできないかと考えたけれど、一介の高校生にどうこうできるような問題じゃない。
結局僕たちは今日までの時間をいつもと変わらず過ごして、思い出作りと覚悟を固めるために使った。
「あ、そろそろ行かなきゃ」
ゲートの先で沙耶の両親が彼女を呼んでいる。僕は二人に向かって小さく会釈をした。
「……あーあ。全然平気な気がしてたんだけどなあ」
視線を沙耶に戻す。
顔を真っ赤にした彼女は潤んだ瞳から透明な涙を溢れさせて、頬に薄い線を引く。
「なんか、寂しいね」
泣きながら笑う彼女を見た瞬間、僕の固めていたはずの覚悟がぼろぼろと崩れ落ちた。胸の内から、堰を切ったように気持ちが流れ出す。
寂しい。行ってほしくない。ずっとそばにいてほしい。
僕はようやく自分の気持ちを理解した。
けれど、そんなことを言っても傷つけるだけだってこともわかってる。どう足掻いても彼女の移住を止められるわけじゃない。
「……じゃあ」
でも、たとえそうだとしても。
ここでさよならなんて、絶対に嫌だ。
「じゃあ、かくれんぼしよう。今度は世界規模で」
「え?」
意味わかんないよな。僕だってわからない。
「僕が鬼をやるから沙耶は隠れてよ」
どこに行っても僕はずっと君のことを憶えている。
ただ、それを伝えたかったんだ。
「……うん、わかった」
「まあ見つかる気はしないけど」
「あはは、世界は広いもんね。でも見つからなくてもいいんじゃないかな」
涙を止めた彼女はいつも通りの笑顔を見せた。
「ずっと私を探しててよ、優くん」
沙耶の言葉に頷いて応える。それから互いに見合わせて笑いあった。
これでいい。僕たちにさよならは要らない。
その代わりに。
「もういーかい」
「まーだだよ」
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