<19> 誓い

 冬が過ぎて、春がやって来た。

 柔らかい春の日差しを浴びながら、さくらは自室のバルコニーの手すりにだらしなく頬杖をついて、空をボーっと眺めていた。春の麗らかな日差しも、爽やかな風も、さくらの憂鬱を吹き飛ばしてはくれなかった。それどころか、日差しの割には冷たい空気であることが彼女を苛立たせ、鳥のさえずりでさえ耳障りに感じた。

 気分が落ち込んでいる原因は、毎月の「月のもの」が来たからだ。さくらはなかなか妊娠しないことに不安を感じていた。王妃たるもの世継ぎの王子を生まなければいけないというプレッシャーに襲われていたのだ。もし自分が子供に恵まれなかったら、ノアの意志など関係なく、第二、第三王妃を迎えることになるはずだ。そんなことは耐えられるはずがない。

「はぁぁぁ~」

 さくらは空に向かって大きく溜息をついた。

(私に何か原因があるのかなぁ・・・?)

 夫婦生活に関しては至って良好だ。良好過ぎると言ってもいい。正直、毎日毎日、こちらの体が持たないほど充分愛されている。なのに、また昨日生理がきた。

(こっちの世界には婦人科って無いしなぁ)

 急に風がバルコニーを吹き抜けた。春の風はまだ冷たい。さくらは身震いした。暗い気持ちもまま、生理痛で重い腹を摩りながら、自室へ退散した。


 あまり女心を理解することが得意ではないノアは、さくらの不機嫌さが理解できなかった。ただ女性は月経中の情緒不安定になるということを聞いていたので、原因は単純に月経だと考えていた。なのでその度、さくらの体調に気を使い、酷く落ち込んでいるときには、お忍びで街へ連れ出したりして機嫌を取っていた。だが、さくらを心配するルノーから世継ぎに恵まれなくて落ち込んでいることを聞いて、やっと理解ができた。


 ある日、ノアはさくらを伴って街へやって来た。いつものように目立たない服装に着替え、忍び口から宮殿の外に出た。

 ノアがいつも街に行くのとは違うルートに向かうので、さくらは首を傾げていると、それに気が付いたのか、

「今日は少し離れているところに行くから、馬を借りる」

とノアはニッと笑いながら、さくらの手を引いて歩き出した。

「馬?借りるのですか?」

「ああ、自分の馬だと王族とばれるからな」

(レンタカーならぬレンタホースか・・・?)

 さくらはワクワクして、繋がれた手を強く握った。

「楽しみです!」

 さくらが満面な笑みを向けると、ノアは満足そうに、さくらの手をぎゅっと握り返した。


 馬屋に着くと、店主は「いつもの子ね」と言って一頭の馬を連れてきた。ノアは店主に金を払うと馬を連れてさくらの元にやって来た。

 ノアのこなれた感じと、「いつもの子」というフレーズに、さくらは一気に気分が落ち込んだ。おそらくノアはよくここで馬を借りていたのだろう、もちろんお忍びで。そしてその馬に一緒に乗っていたのは・・・、きっとリリーだ。さくらはそう思うと、腹の底から黒々とした汚いものが沸いてくる気がした。何も同じ馬じゃなくたっていいのにと、ノアを恨めしく思った。

 ノアは、さくらが険しい顔をしていることに気付き、

「どうした?馬が怖いか?」

 さくらの顔を覗き込みながら聞いてきた。さくらは無言で顔を横に振った。

「・・・この子じゃないとダメですか・・・?」

 さくらは斜め下を向いて、不機嫌そうに言った。こんなヤキモチは醜いと分かっていても、どうしても腹の底でうずいているモヤモヤを消すことができず、つい、拗ねた態度を取ってしまった。

「・・・?これが一番気性の優しい馬だから扱いやすい。仕事で街を視察するときはいつもこの馬だ」

「仕事!?」

「ああ、身分を隠すときはな」

「なんだぁ!」

 さくらは途端に顔が緩んだ。慌てて、両手で頬を押さえると、

「な、なんでもないです!ごめんなさい!やっぱり、この子がいいです!」

 そう言って誤魔化し、ノアに不自然な笑顔を向けた。

 ノアは不思議そうな顔をしていたが、すぐに意味を理解したようで、口角が上がった。その顔にさくらはすべてを見透かされた気がして、耳まで真っ赤になった。ノアは軽くさくらの頭を撫でると、それ以上は何も言わず、馬に乗った。そして、さくらを前に座らせると、

「ハッ!」

と掛け声をかけて、馬の腹を蹴った。


 ノアがさくらを連れてやって来たのは海辺だった。

(わぁ、海だ!)

 さくらは胸が弾んだ。周りを見渡すと、ちょうど干潮時で潮がかなり引いている。その中を、潮干狩りだろうか、数人がしゃがみ込んで砂を掘っている。そしてその奥に古い灯台が建っているの見えた。

「あの灯台って・・・」

 さくらはノアに振り向いた。ノアは頷くと、

「潮が引いている時間帯は歩いてもあの灯台に行ける」

 そう言って、そのまま干潮の海に進んでいった。

「うわぁぁ!」

 灯台について、馬から降ろしてもらうと、さくらは街の方を眺めて叫んだ。

 初めて連れてきてもらった時は夜だった。幻想的な夜景も美しかったが、街の全体像は見えなかった。でも、昼間である今は、すべてがよく見渡せる。さくらは目の前に広がる美しい街並みに目を奪われた。この王都が決して小さい街ではないことがよく分かる。

「塔に登ってもいいですか!?」

 さくらは目を輝かせてノアに聞いた。ノアはふっと笑うと、無言で灯台の入り口の扉を開けた。さくらは中に飛び込むと、螺旋階段をどんどん登って行った。

「うわぁぁぁ!すごーい!」

 一番上の踊場に出ると、さくらはさらに大きな叫び声を上げた。目の前に一面の海が広がっている。波も穏やかに、太陽の光を反射してキラキラ輝いていた。水平線には船が何隻か見える。さくらがその景色に見惚れていると、ノアがさくらの隣に立った。そっとさくらの手を取ると、反対側に連れて行った。

「わぁ!!」

 さくらは手を叩いて、目の前に広がる街の景色に見入った。灯台の上からだと、さっきよりもずっとよく見える。

「綺麗ですね~!本当に素敵な街!」

 さくらはうっとりと街を眺めた。そんなさくらをノアは背中から包むように抱きしめた。

「ふふっ」

「なにが可笑しい?」

 嬉しそうに笑うさくらを、愛おしそうに眺めながら、ノアが尋ねると、

「あの時も、陛下が抱きしめてくれましたね、翼で」

 さくらはそう言うと、ノアにもたれかかった。ノアはさくらの頬にキスを落とすと、抱きしめる腕に力を込めた。

「告白すると、あの時だ。お前に心を奪われたのは」

 さくらは驚いてノアの方に顔を向けた。

「その前から、俺の周りから離れないお前のことを可愛いと思っていた。だがあの時、自分の未来を案じて泣いているのに、この国のことを思ってくれたお前に、すべてを持って行かれたんだ」

 目が潤んでくるのさくらの顔を覗き込みながら、ノアは続けた。

「残念だが、この国は貧富の差がかなりある。お前が心配していた、道端で生活している者たちがいるのは確かだ。だから、お前の願いを聞いたときハッとした。その通りだと思った」

 ノアはさくらの体を離すと、自分の方に向かせた。しっかりさくらの両腕を掴むと、真っ直ぐ目を見つめた。

「さくら、お前の望むような国してみせる。だから俺の傍で力を貸してくれ。絶対に俺の傍を離れるな。お前さえいれば俺は何でもできる気がする」

 さくらは目を潤ませたまま、何度も頷いた。ノアは自分の額をさくらの額に合わせると、さくらの潤んだ瞳をじっと見つめた。

「・・・世継ぎのことを気にしているのだろう?」

 さくらは瞬きした。そして気まずそうに目を伏せた。ノアはさくらの頬を両手で包むと、

「そんなことは気にしなくていい。子に恵まれなくても、お前以外妻は取らない。改めて誓う」

そう言った。さくらの瞳は一瞬輝いたが、すぐに切なそうな色に変わった。

「でも、国王様なのだから、そんなこと周りが許さないと思います・・・」

「俺が気にしなくていいと言ったら、気にしなくていい!」

「でも・・・、んっ・・・」

 ノアはムッとした様子で、反論しかけたさくらの唇を口づけで強引にふさいだ。長い口づけの後、ゆっくり唇を離すと、こつんと額を合わせ、熱を帯びた目でさくらを見つめた。

「わかったな?俺を信じろ」

 無言で頷くさくらを見て、満足したように笑うと、さくらを胸に抱きしめた。

「それに、もし子ができたとしても、それが王位を継ぐとは限らん」

「・・・へ?」

 さくらはノアの胸の中で素っ頓狂な声を上げて、思わずノアを見上げた。ノアはさくらの髪を撫でながら、

「俺の下には優秀な弟が二人もいるからな。なにも俺だけの子孫がローランド王国を繋いでいくわけではない」

 ノアはニッと口角を上げて、さくらの顔を覗き込んだ。

「ローランド一族の歴史は長い。その分裾野は広い。この一族の血はそうそう簡単に耐えることはないぞ」

 ノアの自信たっぷりな笑みに、さくらは安心すると同時に、また涙が込み上げてきた。その涙を隠すように、ノアの胸に顔を押し当て、背中に手をまわし、ぎゅっと力強く抱きしめた。

「さくら、愛している」

 ノアはそう囁くと、力強くさくらを抱きしめ返した。

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