<10> ノアの苦悩

 その日以来、さくらはよくジュワンに会うようになった。ジュワンはノアの忠告を受け、母の花園以外は第一の宮殿内に立入らないようにしていたが、その花園にさくらが訪れ、ジュワンと他愛のないおしゃべりを楽しんだ。

 ノアは二人の距離が近づいていくのを、苦々しく思っていた。だが、花火の夜のさくらの涙を思い出すと、声を掛ける勇気が出てこなかった。




 ある日、ノアは一人洞窟にやって来た。ここは自分がドラゴンの姿に変えられてから、ひっそりと身を隠していた場所だ。これからどうすればいいのか不安と恐怖に苛まれ、必死に孤独に耐えていた辛い場所のはずだった。だが、途中からそれが一変した。突然さくらが現れたのだ。


 どこからともなく現れたさくらを見て、ノアはすぐに『異世界の王妃』だと気が付いた。イルハンから魔術師のダロスが異世界から王妃を迎えることに成功したと報告を受けていたからだ。

 ノアは初めてさくらを見た時、平凡で冴えない女だと思った。リリーのようにハッとするよう美しさもなく、大して賢そうにも見えない。やはり異世界から来る女など大したことはないと、値踏みするように、さくらに近づき、後ずさりする彼女を池に落としてしまった。詫びのつもりで火を起こしてやったが、恐怖に満ちた眼差を向けられ、改めて自分は醜いドラゴンなのだと思い知らされた。


 しかし、この後からが驚きの連続だった。さくらは服を脱ぎだし、火に当たり始めたと思うと、眠り始めた。さっきまで声も出ないほど怖がっていたドラゴンの前で、なんという無防備さだろうと言葉を失った。そしてもっと驚いたのは次の日だ。果物をもって自分のところにやって来たのだ。前日のように怖がるそぶりは一切見せず、平然と自分に話しかける彼女に驚きを通り越し、拍子抜けしてしまった。

 それからというもの、さくらはほぼ毎日やって来た。最初の頃は遠慮がち距離を置いていたが、気が付いたときにはぴったりと自分に寄り添っていた。本を読む時や居眠りをする時は、常に自分に寄り掛かかり、楽しそうにおしゃべりをしては頭を撫でたり、挙句には抱きついたりする。そんなさくらを可愛いと思うようになるのに時間はかからなかった。


 そんなことを思い出しながら、洞窟の入り口に来ると、端の方にバスケットに入った果物が置かれていた。それはすべて新鮮で、最近置かれたものだと思われた。きっとさくらが持ってきたのだろう。さくらは未だに自分の帰りを待っているのだ。そう思うと胸に熱いものが込み上げてきた。

(打ち明けるべきだろうか・・・)

 ノアは自問した。さくらはこのまま自分を待ち続けるかもしれない。自分が人でいる限り、絶対に会うことのないドラゴンの身を案じながら、毎日ここに通い続けるかもしれない。それともいつか諦めるだろうか・・・。


 ノアは果物を一つとると、池の前に座り、そのまま仰向けに寝転んだ。

(・・・いつか忘れ去られるだろうか・・・)

 ドラゴンの姿でいた時間は、確かに地獄だった。化け物の自分がおぞましく、真っ暗な未来をどう生きていくか、考えることも辛い日々で、今すぐにでも消したい過去だ。しかし、さくらと過ごした時間だけは、絶対に忘れたくない。忘れられないし、忘れてほしくない。

 そう思いながら、持ってきた果物を見つめた。ノアが手に取ったのはリンゴだった。初めてさくらから差し出された果物だ。ノアはそれを自分の胸に置いた。そして両手を枕にすると、目を閉じた。




 いつものようにさくらが洞窟にやってくると、ノアが池の前に寝転んでいたので、驚いて小さく悲鳴を上げた。その悲鳴に驚いて、ノアは飛び起きた。あまりにも深く思いに耽っていて、さくらの足音に気が付かなかった。

「・・・」

「・・・」

「なんでこんなところにいるんですか?」

 気まずい空気が流れる中、沈黙を破ったのはさくらだった。このまま無視しようかとも思ったが、流石にそれはもっと気まずくて、耐えられそうになかったのだ。とは言っても、フェスタのことを思い出すと、とても穏やかな気持ちにはなれず、非難めいた口調になってしまった。

 ノアはムッとしたように、

「ここは俺の城だ。どこにいるのも勝手だろう」

と言うとそっぽを向いてしまった。さくらは思わず生ぬるい視線をノアに向けた。

「そりゃ、そうですねー、失礼しましたー」

と乾いた口調で答えると、洞窟の入口に行った。そして、今持ってきた果物を袋から出すと、バスケットの中身と入れ替えた。その様子をノアは何とも言えない気持ちで見つめていた。

(まったく、王子様かっ!・・・って言うか、国王様か)

 さくらは、ノアの俺様態度に心の中でぶちぶち文句を言いながら、果物を入れ替えていたが、急に何か閃いたかのように、ガバッと立ち上がると、ノアに振り向いた。

(もしかして!!)

 突然振り向いたさくらに驚いて、ノアは慌てて目線を逸らした。だが、さくらはそんなことお構いなしに、まるで転がるように、ノアのもとに駆けてきた。あまりにも勢いよく駆けてきたので、本当に転がって池に落ちてしまいそうになったところを、ノアが慌てて捕まえた。

「何をしている!危ないだろう!」

 ノアはさくらの両腕をしっかり支え、自分の前に座らせた。ノアの説教など耳にも入っていないかのように、さくらもノアの両腕を掴み返して、食い入るようにノアを見つめた。

「もしかして、陛下。ここにドラゴンが住み着いていたこと知っていました?!」

「!」

 ノアはその言葉にギクリとし、固まってしまった。

「ここにドラゴンが住んでいたんです!イルハンさんが知っていたのだから、陛下もご存じだったんですか?」

 興奮気味に自分を見つめるさくらに、言葉に詰まり、黙っていると、

「・・・知らなかったですか?」

と、自分の両腕を掴んでいるさくらの手が離れた。

「・・・ああ、知らない・・・」

 ノアもそう答えると、さくらの腕をそっと離した。


 さくらは、がっかりしたようにふぅと溜息をつくと、膝を抱えて座り直した。

「陛下がいらっしゃらない間、ここにドラゴンが住み着いていたんですよ」

 池を眺めながら、小さい声でさくらは言った。

「とっても頼もしくて優しい子だったんです。私、いつもその子と一緒にいて。すごく仲良くしてもらっていたんです」

「・・・」

「私がゴンゴに攫われた時、一番に助けに来てくれたんです。でもその時、魔術にかかって子犬ほどの大きさになってしまって・・・。大怪我までさせちゃって・・・。私のせいで・・・」

 さくらの声はどんどん掠れていき、上手く話せなくなっていった。

「今どうしているかとても心配で・・・。小さい体で生きて行けなかったら私のせいなんです・・・。あの時、あの子を手放さなければよかった。もうちょっと待っていれば一緒に連れて帰ったのに・・・」

 さくらは膝に顔を埋めて嗚咽を堪えていた。自分を責めるさくらにノアは胸が締め付けられる気がした。だが、すべてを告白しようと何度も思っても、どうしても言葉が出てこない。どうしてもあと一歩勇気が出てこなかった。


「・・・おそらくそのドラゴンは無事だ・・・」

 やっとの思いで、ノアは一言口にした。さくらはゆっくり顔を上げ、隣に座っているノアを見た。

「小さくなってもドラゴンはドラゴンだ。奴らは魔術を使う。体力が戻れば自分で魔術を解くだろう。心配するな」

「・・・本当に・・・?」

「・・・ああ」

 その言葉にさくらは、少し考えこむと、何かを思いついたようにノアを見た。そして、ピシッと正座して、姿勢を正すとノアに向き合った。

「陛下。もしあの子が、ドラゴンが帰ってきたら、またここに住んでもいいですか?」

 さくらは真剣な眼差しでノアを見つめた。

「私が責任をもってお世話をします!お願いします!」

 さくらは、手をついて頭を下げた。ノアはさくらの健気な態度に、胸が熱くなった。ドラゴン(自分)のためにここまでするさくらに対して、自分の不誠実さが大きくなっていくようで、居たたまれない思いがした。すぐにでも真実を告白するべきだと思う自分と、それを知った時のさくらの反応を恐れている自分がいる。二人の自分が心の中で葛藤した。

 無言でさくらを見つめていると、さくらはそっと頭を上げて、

「お城の方にはご迷惑かけません。皆さんを驚かせないように、絶対誰にも言いません。それでもダメですか?」

ノアを見上げると、首を傾げた。

「・・・そんなことはない。お前の好きにして構わない」

 ノアの返事にさくらの顔が輝いた。花のように輝く笑顔に、ノアは見惚れてしまった。ずっと見たかったさくらの笑顔だ。ノアの右手が無意識にさくらの頬に近づいた。

「!」

 ノアの手が自分の頬に触れそうになって、さくらは慌てて立ち上がった。

「ありがとうございます!感謝しますっ!」

 そう言ってペコリと頭を下げると、くるっと向きを変え、急いで洞窟の入り口に戻った。

(何、普通に話してるの?私っ!)

 さくらは、持ち帰る果物の入った袋を手に取り、元来た道に戻ろうとしたとき、動揺していたのか、躓いて転びそうになった。しかし、すぐに後ろから手が伸び、支えられた。

 ノアは無言でさくらから手を離した。だが、改めてさくらの左手を握ると、帰り道を歩き出した。さくらは反射的にその手を引っ込めようとしたが、ノアはぐっと握って離さない。そして、ジッと懇願するような目でさくらを見つめた。

「・・・」

 さくらはその瞳に何も言えなくなった。二人は一言も会話をせず、手を繋いだまま、城まで戻って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る