第三章
<1> 国王陛下
さくらはゆっくりと目を開けた。そこは太陽の日差しが燦々と降り注ぎ、とても明るい場所だった。布団はフカフカしてとても柔らかく、とても落ち着く香りがする。知っている匂いだった。
(ここ、どこ・・・?)
まだしっかり頭が働かない。ぼーっとしたまま、首を横に向け、周りを見渡そうとした。すると、一人の女性の顔が目の前にあった。その女性は目に涙を溜めて、さくらを覗き込んでいた。
「さくら様!!お目覚めになりましたか?!」
女性が嬉しそうに叫んだ。
「あ・・・。ルノーさん・・・?おはようございます・・・」
さくらは相手が分かると、呆けた状態で、間抜けな挨拶をした。
ルノーの叫び声に、テナーも駆けてきた。彼女も泣いていたが、瞳は輝いていた。
「早く!早く、陛下にご報告を!そして医師を呼んで!」
「はいいっっ!!」
ルノーの叫ぶような指示に、テナーも同じく叫ぶように返事をして、部屋を飛び出していった。
さくらは上半身を起こそうとしたが、フッと眩暈に襲われ、額を押えた。ルノーはすぐにさくらを支えて、体を起こすのを手伝った。
「ゆっくり動いてくださいませ、さくら様。まだ眠り薬が効いているのかもしれません」
「・・・眠り薬・・・?」
さくらはルノーを見た。
「はい。足のお怪我が酷いため、痛みを感じないようにと、船の中では、ずっと眠りの魔術と眠り薬を施されたと伺っております」
「・・・足の怪我・・・?」
さくらは自分の足に目をやった。当然、布団がかかっているので見えない。布団をめくると、左足にぐるぐると包帯が巻かれていた。その足を軽く動かしてみると、激痛が走った。
「・・・痛っ・・・」
さくらのうめき声に、ルノーは飛び上がった。
「大丈夫ですか?!さくら様!すぐに医師が参りますので!」
「大丈夫です!大丈夫です!」
さくらは慌てふためいているルノーを制した。足の痛みで、さくらはやっと目が覚め、自分がローランドに帰ってきたと実感した。
「それよりも、ルノーさん!会いたかったです!ご心配をおかけしました!本当にごめんなさい」
さくらはルノーの手をぎゅっと握ると、頭を下げた。
「何をおっしゃるのです!さくら様!」
ルノーの目は涙で潤んでいた。さくらもどんどん視界が霞んでいく。
「ご無事で・・・、本当にご無事でお帰りあそばせたこと・・・。本当に、本当によろしゅうございました・・・」
ルノーもさくらの手をぎゅっと握り返した。そして、
「さあさあ、お茶をお入れいたしましょう!」
と努めて明るく言うと、さくらの手を優しく離し、お茶の支度を始めた。
さくらは、ルノーがお茶の支度をしている姿をぼーっと眺めながら、ゴンゴから戻ってくる道中のことを思い出していた。
小舟からドラゴンを見送った後、足の痛みはどんどん増していった。腫れも酷くなり、熱も帯びてきた。領海線付近で待機していた本船に合流した頃には、痛みで口もきけないほどだった。また、極度の緊張が解けたせいか発熱した。本船には医師と魔術師も待機しており、医師はすぐにさくらの治療に取り掛かった。だが、痛みと発熱と船酔いのトリプルパンチに苦しんでいるさくらを見かねて、魔術師にローランドに着くまで深い眠りに付かせるよう提案した。そのため、さくらには移動中の記憶がほとんどなかった。
ルノーが入れたお茶の香りが、鼻をくすぐり、さくらはハッと我に返った。ルノーがベッド用のテーブルをさくらの前に設置し、その上にお茶とプディングを並べた。
「わー!好きなやつだ!」
さくらは顔をほころばせた。さくらの喜ぶ顔を見て、ルノーはうれしくてまた泣きそうになってしまった。年を取ると涙もろくなっていけない。ルノーはそっと目の淵を拭いた。
「ちゃんとしたお食事の前に、少し胃を落ち着けましょう。ゆっくりとお召し上がりください」
「はーい」
さくらはお茶を一口飲むと、プディングを一口頬張った。甘さが口の中にジワリと広がる。
(これよ!これ!五臓六腑に染み渡る・・・!)
さくらは幸せとばかり、ホーっと溜息をつくと、もう一口スプーンにすくい、大きく口を開けた時、大きな音と共に扉が派手に開いた。
「さくら!」
一人の男が、飛び込んできた。さくらは驚いて、そのままのポーズで固まった。
男はさくらの傍に駆け寄ると、
「具合はどうだ?」
さくらの顔を覗き込んだ。さくらはスプーンを片手に口を開けたまま、ポカンと男の顔を見た。そして次の瞬間、その男が誰だか理解すると、慌ててスプーンを置いた。
「陛下!」
突然のノアとの再会に、さくらは動揺した。正直、滝つぼでの一件以来、ノアとまともに会話したことは一度もなかった。小舟に揺られている最中も、足の痛みに耐えているさくらに、誰もが気を使い、無駄に話しかけてこなかったし、本船に移ってからはさっぱり記憶がない。
じっと自分を心配そうに見つめるノアに、顔が赤くなるのを感じ、慌ててルノーに振り向くと、ジェスチャーで、テーブルを片付けるように合図を送った。ルノーはすぐに気が付き、テーブルを下げようとしたが、ノアは黙って片手を上げて、それを制した。ルノーはノアに頭を下げると、スッと二人から離れた。
さくらは焦って、縋るような目でルノーを追った。ルノーはさくらの目線に気が付くと、にっこりと笑い、一礼すると部屋から出て行ってしまった。
(え・・・?)
二人きりにされてしまったさくらは、緊張でノアの顔を見ることができなかった。何を話していいか皆目見当も付かない。
(あ、でもお礼とお詫びを言わなきゃ!)
さくらは勇気を出してノアの方に顔を向けると、ノアは変わらず、さくらをじっと見つめていた。その瞳が揺れているのに気付き、さくらの心臓がトクンと跳ね上がった。その瞳は明らかに自分に好意を寄せていることを物語っていた。おそらく自惚れではないだろう。外に音が漏れそうなほど、心臓がドクンドクンと鳴り出し、さくらは思わず胸を押えた。
「すまない。食事中だったな」
ノアは、フッと表情を緩めると、立ち上がり、
「ゆっくり食べてくれ。また来る」
そう言い、さくらから離れた。さくらは慌てて、
「待ってください!」
大声でノアを引き留めた。そして振り向いたノアに向かって、姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
「この度は、私の軽率な行動のせいで、皆様には多大なご迷惑をおかけしてしまいました。国王陛下やイルハン隊長に至っては、命に係わるほど危険な目に合わせてしまって・・・。本当に・・・、本当に申し訳ありませんでした」
ノアは呆れたように笑うと、さくらに近づいた。
「本来なら、私の方からお詫びのご挨拶にお伺いしなければいけないのに・・・」
頭を下げたまま続けるさくらに、ノアは
「謝るのはこちらだろう」
下げた頭の上に手を乗せて、優しく撫でた。そしてそのままその手を頬に持っていき、さくらの顔を持ち上げた。
「お前に恐ろしい思いをさせてしまっただけでなく、怪我までさせた。これは我々の落ち度だ。それに――」
ノアは、ニッと口角を上げた。
「自分の妻が囚われたのだ。夫として奪い返すのは当然だろう」
そう言うと、さくらの頬を優しく撫でた。さくらはカーっと顔が火照るのを感じた。ノアは赤くなったさくらの顔を満足げに眺めると、さくらの額に自分の唇を押し当てた。
「!!」
さくらは目をパチパチさせて、ノアを見た。
「滝つぼの時と、同じ顔をしている」
ノアは笑うと、あの時と同じように、頬に軽くキスをした。そして耳元で、
「また来る」
と呟くと、もう一度さくらの頭を撫で、部屋を出て行った。
ノアと入れ違いに、ルノーとテナーと医師が入ってきた。ノアが部屋から出るまで、外で待機していたのだろう。
さくらはぼーっとしたまま、医者の診察を受けた。医者の質問に上の空で答え、医者は少し困惑していたが、特に体調に問題はないようなので、痛み止めの薬を置いて、さくらの部屋を退散した。
テナーはさくらを不思議そうに見ていたが、ルノーはにこにこしながら、新しいお茶を淹れ、一口しか食べてないプディングをさくらの前に置いた。さくらはプディングを食べながら、
「あの・・・。陛下って誰にでも、ああいう風にやさしいんですか?」
と、ルノーとテナーに聞いた。
「はい??やさしい?」
テナーは思わず、変な声を上げた。ルノーは、これっ!と言いたげに、テナーの腕をペシッと叩いた。
「・・・?」
さくらが首をかしげていると、ルノーは、コホンと咳払いをして、
「陛下は、ご自身にも厳しい分、他人にも厳しい方です」
と言った。横でテナーが、他人には特に!と小声で付け加えた。
「・・・」
さくらはスプーンをくわえたまま黙った。ノアは、自分にはとてもやさしかった。頭は撫でるわ、キスはするわ、挙句の果て甘い言葉までかける。
(そしてあの眼差し・・・)
自分に向けられた、揺れた瞳を思い出した。
「・・・もしかしたら、私、少しは陛下に気に入られたかもしれません・・・」
さくらは、小声で呟くように言った。
「『少し』何てことはありません!」
ルノーが思わず、食い気味に言った。
「『非常に』ですよ!さくら様。私は、あのような陛下、今まで見たことがございません!」
ルノーは、部屋に駆け込んできたノアの表情や、さくらを心配そうに見つめる表情を思い出した。
「さくら様は、陛下の『特別』でございます。間違いございません!」
「確かに。このお部屋にさくら様を運んだのも、陛下自らでしたね」
テナーは思い出すように言った。
「今思い返すと、さくら様を誰にも触れさせくなかったのでしょうね、きっと!」
テナーの言葉に、さくらは赤面した。だが、どうにも腑に落ちない。
(どうして好かれたんだろう?)
拉致されるという大失態を犯した上に、ノア自身を危険にさらし、国家に損害まで与えかけた自分のどこに好かれる要素などあるのだろう?逃げている最中も、帰国の道中も、会話らしい会話をしておらず、親睦を深める機会などなかったのに。
(もともと女好き?)
いやいや、ルノーとテナーの話からだと、それもなさそうだ。さくらが悶々と考えていると、ルノーが声をかけてきた。
「もう一杯お茶はいかがですか?王妃様」
さくらはその言葉にハッとなった。
(王妃・・・!)
そうか、王妃だからだ。私は『異世界の王妃』だから。それならば、あの優しさも理解できる。
(きっと、それだけだ・・・。それだけが私の魅力なんだ・・・)
さくらは、自嘲気味に笑った。なぜか鼻の奥がツーンと痛くなり、目頭が熱くなってきた。さくらは無理に笑顔を作ると、もう一杯お茶を貰った。
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