<11> ドラゴンの親子

 ノアが出ていくのをポカンと見送ったさくらは、そのまま、その場にしゃがみ込んだ。やっと自分が何をされたか分かってくると、カーッと顔が火照ってきた。

「な、何、あの人・・・」

 さくらはノアにキスされたところを押えて、ぼーっとしていた。恐怖も不安も一気に消えてしまうほどの衝撃的な出来事だった。

「あの人が、陛下・・・。ってことは私の旦那様・・・?」

 相変わらず、ぼーっとしたまま、しゃがんでいると、洞窟の奥から何か動く気配がした。

「・・・!」

 途端に恐怖がぶり返した。恐る恐る洞窟の奥を見ると、大きな影がゆっくりこちらに向かってくる。さくらは恐怖でその場から動くことができずに、その影を見守った。近づいてくるにつれ、徐々に外の明かりが巨大な生き物を照らし始めた。その姿には見覚えがあった。さくらの恐怖はどんどん薄れていき、とうとう目の前に来た時には、喜びで叫んだ。

「ドラゴン!」


 それは大きなドラゴンだった。さくらはドラゴンに駆け寄り、顔に抱きついてキスをした。魔術が解けて元に戻ったと思ったのだ。しかし、ドラゴンは大きく顔を大きく振り、さくらを振り飛ばした。さくらは洞窟の壁の岩に叩きつけられた。

「・・うぐっ!」

 痛さでうめき声を上げ、その場で腰を押え、丸く蹲った。さくらは痛さに耐えながらも、ドラゴンに声をかけた。

「ごめんね、突然抱きついて。驚かせちゃったよね?」

 腰を摩りながら謝り、起き上がろうとするさくらの前に、ドラゴンが仁王立ちしていた。その佇まいに異様な雰囲気を感じ取った。やっと自分のドラゴンとは違うことに気が付き、背中に冷たいものが流れるのを感じた。よく見るとそのドラゴンは、彼よりも大きく、顔には傷があった。右後ろ脚を見てみると、金のリングなどしていない。さくらは血の気が引いた。

 ドラゴンはゆっくり口を開けた。口の中にチョロチョロと炎が見えた。さくらは慌てて頭を抱えて伏せた。次の瞬間、さくらのすぐ上で炎が舞った。小さい火の粉が少しだけ振ってきたが、体はびしょ濡れだったため、問題はなかった。だが、さくらは恐ろしくてその体勢のまま固まってしまった。


「お前、何者だ?」

 低い声がさくらの頭上から聞こえた。一瞬さくらは自分の耳を疑った。

「なぜ、ここにいる?」

 やはりドラゴンが発していた言葉だった。言葉が話せることに驚くが、イルハンが稀に人の言葉を操れるドラゴンがいると言っていたことを思い出した。さくらは怖くて顔を上げることができず、ひれ伏した状態のまま、震える声で、

「私は、その、攫われこの国へ来てしまった者です・・・。お城から逃げ出して・・・。途中、追手に捕まりそうになったので、ここに隠れました・・・。」

 何とかそう答えると、

「ここが、あなたの住処とは知りませんでした!本当に申し訳ございません!」

 頭の上で、両手を合わせ、祈るように謝った。

「・・・なぜ、お前は私を恐れない?」

 ドラゴンはさらに聞いてきた。だが、恐怖の絶頂にいるさくらには、その質問の意味がわからず、口ごもってしまった。答えないさくらに、苛立ったように、

「さっき、私に抱きついただろう」

と言った。途端にさくらは意味を理解した。抱きついた上に、キスまでした自分を思い出し、恐怖の中から恥ずかしさがじわーっと込み上げてきた。

「ごめんなさい!友達のドラゴンと間違ってしまったんです!大変失礼しました!」

「嘘をつくな!」

 ドラゴンは怒鳴って、また軽く火を噴いた。

「ドラゴンと親しくする人間なんぞ、居らんわ!」

「嘘じゃないし!」

 喋っているうちに少しずつ恐怖が薄らいできていたさくらは、カチンときて、顔を上げて言い返した。

「ほう・・・」

 ドラゴンは目を細めて、さくらを見据えた。

「人間は我々を醜く邪悪な生き物として、ドラゴン狩りをする。私の顔の傷も人間につけられたものだ」

「・・・!」

 さくらはドラゴンの顔の傷を見て、言葉を失い、俯いた。

「そんな人間が、ドラゴンと親しくするなど、あり得ない!」

「・・・人間の方が愚かなんですよ・・・。きっと・・・」

 さくらは俯いたまま、呟くように言った。その言葉に、ドラゴンは驚いたように目を丸め、無言でさくらを見つめた。

「人間って、この世の中で神の次に自分たちが強いと思っている愚かな生き物なんですよ・・・。ドラゴンが自分たちより強いことをちゃんと理解しているのに、認めたくないので、邪悪なものと位置付けて、自分たちの尊厳を守っているんですよ、きっと・・・」

「・・・」

「あくまでも自論ですけどね」

 さくらは顔を上げると、真っ直ぐドラゴンを見据えた。

「他の人間たちはどうか知りませんが、私には、本当にドラゴンの友達がいるんです。一頭だけですけど。大親友なんです。嘘じゃありません」


 そう言い切ったとき、洞窟の奥から、ひょこひょこと小さな子供のドラゴンが現れた。子供は親のドラゴンの横にちょこんと座ると、不思議そうにさくらを見つめた。

 その可愛らしい仕草に、さくらの顔がほころび、思わず、

「かわいい!」

と叫ぶと、両手を子ドラゴンに差し出した。子ドラゴンはさくらに興味を持ったのか、その手に近づいた。

「これ!」

 親ドラゴンが制した時にはもう遅く、さくらは子ドラゴンの耳の後ろを優しく摩っていた。子ドラゴンは気持ちよさそうに目を閉じで、さくらに身を任せていたが、親ドラゴンが喉を鳴らすと、慌てて親元に戻り、隣にちょこんと座った。その時の歩き方にさくらは違和感を覚えた。

「この子、怪我しているんですか?」

 さくらは親ドラゴンに尋ねた。

「人間の仕掛けた罠にかかった」

「・・・ごめんなさい・・・」

 さくらは自分が悪いわけではないのに、思わず謝ってしまった。こんな子供のドラゴンまでも悪の対象として襲われることに胸が痛み、この世界の人は、とことんドラゴンと相容れないのだと思い知らされた気がして、切なくなってしまった。


(そうだ!)

 さくら突然温泉のことを思い出した。

「確か、お城のすぐ後ろにある山に温泉が湧いているって聞きました。そのお湯は傷に効くんです。良かったら行ってみたらいかがですか?」

 自分のドラゴンの大怪我が、温泉の効用のおかげですっかり良くなったことを説明し、もしかしたらこの子の傷にも効くかもしれないと、勧めてみた。しかし、

「熱い水などに入るわけがないだろう。熱い水は邪悪な臭いがする。あれは毒だと聞いている」

「臭い?」

「そう、卵が腐ったような臭いだ」

(あ~!)

 さくらはポンと手を叩くと、

「あれは硫黄の匂いですよ!毒ではありません。むしろ温泉の証拠!」

 そう笑って言った。

「ほう、では証明しろ」

 親ドラゴンはそう言ったかと思うと、背中に自分の子供を乗せ、翼を広げた。そして飛び立つ瞬間に、後ろ足でさくらの胴を掴むと、滝の壁を突き抜け、一気に空へ舞い上がった。


 さくらは一瞬何が起こったか分からなかった。気が付くと宙ぶらりんの状態で、空高くとんでいた。

「・・・・ひっぃぃ・・・!!」

 ドラゴンの背に乗って、空を飛んだことは何度もあったが、後ろ足で掴まれて、まるで獲物のように飛んだことは一度もない。しかも自分のドラゴンよりも容赦ないスピードで、目を開けていられないほどの風圧を受けた。もう夏とはいえ、びしょ濡れの体に、早朝のこの強風はさくらの体温を一気に奪った。恐怖だけではなく寒さで歯がカチカチいうほど体が震えた。


 もう限界と思った頃、ドラゴンのスピードが遅くなった。ゆっくり降下しているのを感じ、やっと目を開けることができた。すると、眼下には、木々もまばらで、ごつごつとした岩と土だけのなだらかな斜面が広がっていた。そこには川が流れ、周りには小さな池がいくつもあり、それぞれの池から湯気が上がっている。近づくと微かに硫黄の匂いがしてきた。

(温泉だ・・・)

 そう思った時、さくらは乱暴に地面に落とされた。

「痛っー・・・!」

 落とされた衝撃で左足に激痛が走った。悶絶するさくらを労わる様子もなく、ドラゴンはさくらの前に仁王立ちになった。

「早く証明しろ」

(何をよ!?)

 痛さと寒さで一瞬ここに連れてこられた理由を忘れてしまったさくらは、心の中で言い返した。しかし、すぐ自分の任務を思い出した。ちょっとムッとしながらも、さくらは起き上がると、足を引きずりながら、一つの池に近寄った。中を覗くと、底の方からポコポコと気泡湧き出て、湯気が上がっている。直接触るのは怖いので、ハンカチに浸してから、触ってみた。かなり熱い。水で温度を下げないと、とても入れそうにないことが分かった。


 さくらは、ドラゴン親子に少し待つように言うと、一番川に近い池を選び、大きな長い棒をスコップ代わりにし、溝を掘った。足は痛んだが、労働することで、少しずつ体が温かくなってきた。

 溝ができると、そこから川の水を注ぎ入れ、簡易的な温泉風呂が出来上がった。ちょうどよい湯加減になったことを確認すると、子ドラゴンを呼んだ。そして自分の寝巻の上に着ていたチュニックを脱ぐと、それを手ぬぐい代わりにして、子ドラゴンの傷口を拭いてやった。子ドラゴンは気持ちよさそうに目を細めた。

「気持ちいいでしょ?そのままお湯には入ってごらん。もっと気持ちいいから」

 さくらは優しく湯の中に入れてやった。すると、とても気持ちよさそうにうっとりとした顔を自分の親に向けた。親ドラゴンは目を丸くして様子を見守っていたが、さくらが親ドラゴンにも入るように勧めると、渋々自分も湯の中に足を一歩入れた。途端に驚いた顔をし、もう一歩足を入れた。ドラゴンは気持ちよさそうに目を細め、子供の傍に近づくと、寄り添うように体を湯に沈めた。

(カピバラの親子みたい)

 さくらは思わず噴き出した。そして自分も寝巻を脱ぎ捨て、温泉に飛び込んだ。冷えた体には最高のご褒美だった。

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