<5> 温泉効果

 翌朝目を覚ますと、一番に隣で眠っているドラゴンの傷の状態を確認した。傷は一晩しか経っていないとは思えないほど良くなっていた。驚くほどの回復力だ。

 

 さくらはドラゴンを浴室に連れて行き、手当てしようとしたとき、微かにドアをノックする音が聞こえた。

 さくらは慌ててドラゴンを浴室に残し、ベッドにダイブした。そして、もう一度扉をノックする音がすると、遠慮がちにアンナとカンナが入ってきて、さくらをやさしく起こした。

 さくらは気だるそうに、たった今、目を覚ました振りをして、二人におはようと挨拶をした。

「おはようございます。さくら様。よくお休みになられましたか?」

「はい。よく眠れました」

 さくらがにっこりと答えると、アンナ(もしくはカンナ)が、さくらに湯浴みを進めた。

「昨日、ご案内できなかったのですが、こちらが浴室とトイレでございます」

 そう言うと、アンナかカンナが浴室の扉に近づいた。さくらは慌てて、

「はい、知ってます!」

と叫んだ。侍女はそうですよねという顔をして、浴室の扉に手を掛けた。

「!!!」

 さくらは、ベッドから飛び出し、彼女が扉を開けた瞬間、先に中に飛び込んだ。

「すぐ入りますんで!」

 そう言うと、アンナ(もしくはカンナ)の前に立ちふさがった。

 彼女は驚いて一瞬固まったが、では支度をと言いかけると、さくらが目の前で服を脱ぎ始めた。あっという間に下着一枚の姿になったさくらに、さらに仰天して、

「失礼しました!」

と、慌てて浴室の扉を閉めた。


 ふーっと、安堵した息を吐くと、さくらはドラゴンを探した。事態に気が付いていたのか、ドラゴンは隅の方に隠れるように小さくなっていた。

 さくらは静かに駆け寄って、ドラゴンを抱きかかえようとしたその時、扉の向こうから侍女たちが声を掛けてきた。

「さくら様、お湯加減はいかがでございますか?」

(湯加減って・・・!)

 さくらは急いで浴槽に手を入れて、温度を確かめた。

「問題ないです。調度いいです!」

と叫んだ。すると今度は、

「不自由はございませんか?お手伝いいたしましょうか?」

と言ってきた。

「大丈夫です!お構いなく!お気遣いありがとう!」

 さくらは再度叫んだ。自分のためを思って言っていること分かっているが、今のさくらはもう放っておいてほしかった。しかし、二人はまだ続ける。

「そのお湯ですが・・・」

(まだかよっ!!)

「そのお湯は、温泉でございます」

「温泉?!やっぱり?!」

 これにはさくらも食いついた。常に湯が流れ出ている状態からして、もしかしてと思っていたが、本当に温泉だとは。なんて贅沢な!

「このお湯は、お城の裏山から湧き出ている温泉を引いております。怪我に良く効くと言われておりますので、お怪我したところも、しっかりと湯に浸かってください」

「わかりました!」


 なんて好都合な温泉だろう!昨日この温泉のお湯で体を拭いたのは正解だったのだ。

 さくらは最後の一枚の下着を脱ぎ捨てると、ドラゴンを抱き上げようとした。するとドラゴンは慌ててさくらから逃れようとジタバタと暴れ始めた。目をぎゅっとつぶり、必死で首を横に振っている。

(傷に沁みて痛いから、嫌だよね・・・)

 必死で抵抗するドラゴンを無理やり抱きしめた。そして昨日、額にキスをしたら、大人しくなったことを思い出し、また優しく額に唇を押し当てた。すると途端に、ドラゴンはピタッと大人しくなった。

(よし!)

 さくらはドラゴンを抱いたまま、そっと浴槽に入った。自分の傷が湯に沁みる。思わず口元が歪み、ドラゴンを見た。ドラゴンも目をぎゅっと閉じたまま、歯を食いしばっている。相当沁みているようだ。

「痛いね・・・ごめんね。もう少し頑張ろうね」

 さくらは小声でドラゴンに話しかけた。ドラゴンは耳をピクッと動かし、目を開けて、一瞬さくらを見たが、また慌てて目を閉じてしまった。


 暫く浸かり、体も充分温まると、さくらは浴槽から上がり、ドラゴンの体を丁寧に拭いた。その間ドラゴンは、薄目を開けたかと思うと、またぎゅっとつぶることを繰り返し、まるで一生懸命さくらを見ないようにしているようだった。

 ドラゴンの体を拭き終えると、新しい手ぬぐいで体を包み、今度は自分の体を拭いた。新しい下着とガウンだけが棚にあるのを見つけて、それを身に着けると、ドラゴンを残し、浴室から出た。


 アンナとカンナは、待っていました!とばかりに、さくらに駆け寄り、長椅子に座らせると、傷の手当てを始めた。さくらが湯浴みしている間に、朝食の準備も、ベッドメイクも終わっていた。さくらは二人が早く帰ってくれたらいいと思いながら、素直に手当てを受けていた。


 手当てが終わり、さくらの着替えも済むと、侍女二人のうち一人が立ち上がり、浴室に向かおうとしたので、さくらは青くなった。

「ちょっと待って!」

と慌てて止めた。

「何しに行くの?!」

と叫ぶさくらに、侍女は固まった。

「・・・昨日のお召し物を洗濯しないと・・・」

 それはそうだ。さっき浴室に脱ぎ捨てた服を持って帰るのは当然だろう。

「そうですよね!そうそう、服ね!」

 さくらはポンっと手を叩くと、浴室に飛び込み、脱いだ衣類と使用済みの手ぬぐいを抱えて出てきた。そして立ち尽くしているアンナだかカンナだかに、よろしく!と手渡した。

(明らかに挙動不審じゃん、私。下手くそかっ!)

 これでは、浴室に入れたくないことは明白だ。心が折れそうになりながらも、無理やり笑顔を作って、二人を見た。そして、何とか話題を変えようと、

「そういえば、私はこの国の国王様に、いつ謁見できるのですか?」

と尋ねた。すると、アンナとカンナは顔を見合わせ、言いづらそうに、

「ただいま、国王陛下は不在中でして・・・」

と、言葉を濁した。

「はい??」

 さくらは目を丸くした。ここもかよっ!と大声で突っ込みそうになったが、慌てて両手で口を押えた。

「詳しいことは分かりませんが、ご公務で隣国を訪問中だと聞いております。でも、あと十日もしないうちにお戻りになるそうです」

「そうですか・・・」

 不在と聞いたときは、拍子抜けしたが、帰ってくる日が明確なことを聞くと、ローランド王国にいた時とは違い、急に現実味を帯びて感じた。十日・・・。あと、十日後には知らない人の嫁になる・・・。でも、あと十日あれば・・・。

(ドラゴンの傷は治る・・・)

 傷が治れば、空も飛べるようになるだろう。ここでいつまでも隠れて世話をすることはできないことは分かっていた。

「あと十日くらいですね・・・」

 さくらは、そう呟くと、こぶしを握り締めた。自分の自由がきくうちに、ドラゴンを逃がさなければならない。そう自分に誓った。


 二人が出ていくと、さくらはドラゴンを抱きかかえ、食事を与えた。昨日とは見違えるほど食欲がある。この調子なら十日もかからずに治りそうだ。

 もりもり食べるドラゴンを見ながら、さくらはさっき侍女たちから聞いた、この国の王について考えた。年齢はもう既に五十歳を超えているという。それを聞いたとき、さくらは軽く絶望した。


(おっさんじゃん・・・)

 さくらは、はあ~と溜息を漏らした。ドラゴンは食べるのを止め、不思議そうに眺めた。さくらはごめん、ごめんと、ドラゴンの頭を撫でると、

「ここの国王陛下って、五十過ぎのおじさんなんだって」

と、ドラゴンに話しかけた。

「まさか、そんなおじさんの嫁になるとはな~」

 さくらはまた溜息をついた。

「でも、よく考えたら、ローランド王国の王様だって、どんな人か知らなかったのよね・・・」

 さくらは、ドラゴンに果物を差し出しながら呟いた。ドラゴンはそれを口にせず、ジッとさくらを見つめた。

「案外、もっとおじさんだったりして」

 さくらは自嘲気味に笑いながら、もっとドラゴンの口元に果物を近づけた。だがドラゴンは口を開かず、ジッとさくらを見ている。この果物が気に入らないのだと思ったさくらは、ドラゴンが好きな柑橘系の果物に手を伸ばし、むき始めた。

「思ったんだけど・・・」

 さくらはむきながら、話を続けた。

「結局、あの人が・・・。トムテさんが言った通りなのよね。どっちの国に居ようが私にとっては変わらないのよ・・・」

 ローランド王国だって、さくらにとっては縁もゆかりもない国だ。正直それほど執着心はない。ただ、世話になったルノーやテナーを思うと胸が痛む。自暴自棄になった自分を献身的に支えてくれた。名残惜しいのは、その二人ぐらいだ。それに、こちらの侍女たちも、とてもいい子のようだし、ローランド王国にいた時と大差ないのではないか。

「私はどっちの国もよく知らないんだし、『私』がいるだけでその国が平和になるなら、どこの国でもいいよね?その国の民が幸せで潤えば、私はもうどこでもいい。そう思わない?」

 ミカンらしい果物の皮をむき終えると、ひと房取って、ドラゴンの口に運んだ。ドラゴンはガブっとさくらの指ごとそれを口にした。

「痛っ!」

 さくらは慌てて指を引き抜いた。びっくりしてドラゴンを見ると、フンっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

「え?怒ったの??何で?」

 ドラゴンを覗き込むと、睨むようにさくらを見上げ、喉の奥をゴロゴロ鳴らした。

「おまえはローランド王国の方がいいと思うの?」

 ドラゴンは大きく頷いた。

「そうか、ごめんね。怒らないでよ」

 さくらはドラゴンの頭を優しく撫でた。

「おまえがそう言うなら、ローランド王国の方がいいんだろうね」

 そう言うと、またひと房、ドラゴンの口に運んだ。今度はちゃんと食べたドラゴンに微笑みながらも、ローランド王国にはもう戻れることはないだろうと思っていた。

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