第二章
<1> 誘拐
なんとも言えない気持ちの悪い揺れを感じて、さくらはうっすらと目を開けた。頭がぼーっとしている。心なしか胸もムカムカする。視点の合っていないさくらの顔を誰かが心配そうに見つめている。さくらはぼやけて見えるその顔を視点が合うまでぼーっと眺めた。
(誰・・・?)
その人物はさくらの両目の前で軽く手を振った。自分のことが見えているのか確認しているようだ。
「・・・」
「・・・」
「・・・っ!トムテさん!」
目の前にいる人物がトムテと分かって、さくらは飛び起きた。とたんに体がガクッと揺れ、ふら付いたところをトムテが支えてくれた。確かに起きた拍子に一瞬眩暈を感じたが、それだけではない揺れを感じたのだ。
さくらはトムテに支えられながら周りを見渡した。狭い部屋にベッドが一つ。自分はそこに寝かされていた。ベッドの横に小さな木のテーブルがあり、その上に仮面がぽつんと置いてあった。
「!」
それを見てさくらは息をのんだ。恐る恐るその仮面に手を伸ばした。
「さくら様はこの仮面を被せられ、眠り薬を嗅がされたのでございます」
さくらの手が仮面に触れる前に、トムテがさくらから手を放しながら言った。さくらは仮面を手に取るのは止め、トムテを見上げた。そしてトムテの肩越しに、この部屋の小さな窓が見えた。慌てて起き上がり、その小窓に駆け寄って外を眺めた。
(海だ・・・)
目の前には大海原が広がっていた。さくらはその場にヘナヘナと崩れるように座り込んだ。もう説明などなくても、何が起こったのかすべて理解することができた。この不愉快な揺れの正体は波だった。そしてここは船室だ。つまり・・・。
「私たち、拉致されたんですね・・・」
さくらは呟いた。呆然としているさくらの元に、トムテは歩み寄り、そっと立たせて、ベッドへ連れ戻した。
「トムテさん・・・」
さくらは、このような状況でありながら、落ち着いているトムテをとても心強く思った。それと同時に、自分のせいでこのような事態に巻き込んでしまったことを、申し訳なく思い、いたたまれない気持ちになった。
「申し訳ありません・・・。私のせいで、トムテさんまで酷い目に合わせてしまって・・・。本当に何てお詫び申し上げればいいか・・・」
「何ともったいないお言葉!王妃様が仰せになる言葉ではございません」
トムテは笑みを作り、さくらに答えた。しかし、さくらにはその声が心なしか渇いている様に聞こえた。何とも言えない不安がよぎり、トムテを見上げた。
「トムテさん・・・?」
するとトムテはさくらの両手を自分の手で包み、軽くトントンと叩いた。そして、
「拉致なんてとんでもない。私は王妃様をあのローランドから救い出して差し上げたのです」
と、笑みを深め、勝ち誇ったように言い放った。
さくらの不安はずばり的中した。あまりの衝撃に頭のてっぺんから血の気が引いていく音がきこえ、身が固まり、トムテの手を振り払うこともできなかった。
「あのような野蛮な国よりも、ずっと素晴らしいゴンゴ帝国にお連れいたします」
トムテがそう言い、さくらの手をぎゅっと握りしめた時、ハッと我に返り、トムテから手を引いた。勢いよく引いたため、体は大きく傾向いた。同時に船も大きく揺れた。
「うっ・・・」
さくらは胃のそこから何かが上がってくる気持ち悪さを覚え、口元を手で押さえた。波が荒いのか、船の揺れはどんどん酷くなる。
「ささ、横におなりなさい。王妃様」
船酔いに気が付いたトムテは、さくらをベッドに横たわらせた。さくらは反抗する気力もなく、黙って横になり、目を瞑った。突然の裏切りに頭が付いていかなかった。でも自分の失態だ。いとも簡単に騙された上に、この体たらく・・・。情けなくて目じりに涙が溜まってきた。だが、それ以上は気持ち悪くて考えられない。歯を食いしばってひたすら耐えることしかできなかった。
暫くすると、何やら外が騒がしくなってきた。部屋の前の廊下を人々が走り回っている音や、おそらく甲板からだろう、人々の怒鳴り声が聞こえてきた。
さくらは何事かと思ったが、気持ち悪さが治まらず、構わず目を瞑り、ベッドに横になったままでいた。正直、半分自暴自棄になっていたと言ってもいい。自分を攫った人達のことなんてどうでもいい。それよりも気持ち悪いのだ。静かに寝かせてくれと不貞腐れた気持ちになっていた。
しかし、部屋の外の怒号はどんどん大きくなっていく上に、船の揺れもどんどん酷くなってきた。流石に気になって、横になりながらも、耳を澄ませて、外から聞こえる会話に集中した。そして聞こえた一言に、体に電流が流れるほどの衝撃を受け、ベッドから跳ね起きた。
「ドラゴンなんかがどうしてここにいるんだ!」
さくらは、その言葉を聞くと、部屋の小窓の飛びつき、窓を開けて外を見上げた。何も見えないが、甲板の方から「ドラゴンだ!」という悲鳴に似た叫びが、聞こえてくる。さくらは夢中で部屋の扉を開けた。驚くことに鍵は掛かっていなかった。突然出てきたさくらに監視役は驚き、無意識に一歩下がってしまった。透かさずその横をすり抜け、酷い揺れの中、甲板に向かって走り出した。
無我夢中でたどり着いた甲板はもう酷い状態であった。船の大きな揺れのせいで、積み荷はあちこちにバラまかれ、船員たちは近くにある手すり必死にしがみ付いている。さくらも大きな柱にしがみ付きながら、空を見上げた。
一匹の大きなドラゴンが怒りで口から火を吐きながら、船を襲っていた。さくらは、ドラゴンに向かって必死に手を振った。しかしドラゴンは気が付かないようだ。
(ここからじゃ、だめだ。船の先端に行かなきゃ!)
さくらは、這うように船の先端に向かった。ドラゴンが羽ばたく度に風が舞い上がり、船が左右に大きく揺れる。大きな荷が甲板を勢いよく滑り、自分の傍を横切る。その度に足が怯むが、止まっている場合ではない。
歯を食いしばりながら、手すりや柱を頼りに、何とか先端にたどり着いた。そして船の縁にしがみ付き立ち上がると、ドラゴンに手を振った。
ドラゴンはやっとさくらに気が付いたようだ。さくらに向かって急降下してきた。さくらはドラゴンに向かって精一杯手を差し出した。あと少しで、ドラゴンの足がさくらに触れそうになった時、船が大きく傾いた。それと同時に、誰かがさくらの腰にしがみ付き、さくらと共に甲板の床に倒れこんだ。
「!」
さくらは自分にタックルしてきた男を見た。トムテだ。さくらは必死で彼の手から逃れようと身をよじった。
「ドラゴンに食われるおつもりか!」
ドラゴンがさくらを助けに来たなど思いもよらないトムテは、本気でさくらを案じたのだろう。しっかりとさくらを抱きしめた。
「ここは危険でございます。お部屋にお戻りください!」
しかし、さくらにとって、トムテは自分を誘拐した張本人に変わりない。がむしゃらに抵抗し、トムテの腕から逃れようとした。その時、近くで大きな爆音がした。さくらは驚いて、音の方向に振り向いた。船に備え付けてある大砲がドラゴンに向かって放たれたのだ。
「・・・っ!」
さくらは声にならない叫び声をあげ、ドラゴンを探した。大砲はドラゴンにかすってもいないようだった。だがホッとしていられない。次々に大砲が放たれ始めた。
ドラゴンはそれらを器用に避けるが、避けるのが精一杯なのか、そばに来ることができない。苛立だしげに大きな奇声をあげながら船の周りを旋回し始めた。
一人の身なりの良い老人が、何とか大砲の傍までやってきた。そして大砲を操っている船員に、
「ただの大砲ではドラゴンを倒すのは無理じゃ!今から弾に魔術をかける。それを使え!」
そう言うと、一つの弾に両手をかざし、何かを唱え始めた。するとふわっと青白い光が老人の手から発せられ、それが弾に移り、弾はみるみる青白く光り始めた。
さくらは老人と船員の会話がはっきり聞こえたわけではないが、本能的にまずいと思った。反対にトムテは老人の魔術を見て、気が緩んだのか、さくらを抱えている両手が緩まった。さくらはその機会を逃さなかった。渾身の力でトムテを振り払った。
(止めないと!)
さくらは周囲を見渡した。すると近くに転がっている小さな樽をみつけた。
(何でもいい!止めないと!)
さくらは樽を拾うと、大砲に向かってそれを投げつけた。樽は見事に命中し、驚いた老人は後ろに転び、魔術は中断された。
そんな大砲の連射の止む隙を待っていたかのように、ドラゴンが急降下し、船に向かってきた。船員は慌てて、魔術がかかり切っていないが、青白く光を放っている弾を大砲に詰めた。
「多少効果はあるはずじゃ。奴をよく引き寄せてから放て!」
と老人は船員に叫んだ。その声はさくらにも届いた。さくらは慌ててドラゴンに振り向いて逃げるように伝えようとした。だが、わずかに遅かった。大砲はドラゴンに向かって放たれ、命中してしまったのだ。
ドラゴンに当たった弾は、瞬時に青白く光り、ドラゴンを包み込んだ。ドラゴンは悲鳴を上げ、真っ逆さまに海に落ちていった。
落ちたドラゴンが、海の上に浮上してくることはなく、ただ、ドラゴンの血液らしい緑色の液体が海の上に細い糸のように漂っていた。甲板では割れんばかりの歓声に包まれた。
さくらは放心状態となり、その場に膝から崩れ落ちた。トムテともう一人の船員がさくらの傍にやってきて、さくらに何か声を掛けたが、さくらの耳には何も入らなかった。抵抗することなく、二人の男に支えられて、引きずられるように歩き始めた。
船室に向かう途中、ドラゴンに向けて大砲を放った男が、ドラゴンを倒したのは自分の手柄だと、浮かれて舞い上がっている姿が目に入った。
ドラゴンのことを口汚く罵り、悪魔の使いを成敗してやったと英雄気取りで騒いでいる。さくらはその姿を見て、我に返った。咄嗟に二人を振り払い、その男に飛び掛かった。
突然さくらに襲われた男は仰天して、しりもちをついて仰向けに倒れた。一瞬何が起こっているかわからなかったが、女が自分の胸倉をつかんで馬乗りになっている。
当然腹が立ったが、「正体は不明だが訳ありで絶対傷をつけてはいけない」と聞かされていた人物と気が付き、手を出すわけにもいかず、何とか逃れようと、ただただもがいた。さくらはそんな男を見下ろし、引っ叩いてやろうと右手を挙げたが、直後、胃から何かが上がってきた。平手打ちの前に、さくらの口からその何かが飛び出す方が早かった。
「■△%&〇~!!!」
男の言葉にならない悲鳴を後に、さくらはトムテに引きずられるように船室に連れていかれていった。
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