<14> 油断

 そんなさくら達が露店を楽しんでいるとき、イルハンはやきもきしながら自分の持ち場についていた。

 王妃自体が極秘の存在のため、彼が日常王妃の警護(というよりも監視)に当たっている事を知っている者はごく僅かであり、―――普段も、彼女が第一の宮殿から一歩も外に出られない状況下であるお陰で、通常の任務の合間をぬって様子を見に行けているのである―――今回も誰にも悟られぬように、通常任務の合間にさくらの様子を見に行かねばならない。


(いつもより警備の数も倍の上、トムテ殿が付いているから問題ないと思うが)

 しかも、トムテの護衛兵士はかなり腕の立つものを選んでいると聞いている。だから大丈夫だと何度も自分に言い聞かせてはいるが、いつもとあまりにも違う人の群れに、この目でさくらを確認しないと落ち着かない。

(万が一の事があっては、絶対にならない)

そう心の中で呟いたとき、

「イルハン隊長。交代時間であります」

 同じ近衛隊の部下が走ってきて、イルハンの前で敬礼をした。

「よろしく頼む」

 イルハンも敬礼で返し、すぐに中庭に向かった。


 中庭に降り、マーケットの入り口の前に立つ。上から監視していたよりもかなりの人混みに感じられる。イルハンは人の群れを押し分け、中へと押し進んでいった。

(どこにいる?)

 周り注意深く見渡しながら、どんどん進んでいった。無遠慮に進むイルハンに、何人もの人がすれ違いざまにぶつかり、よろけたり、転びそうになる。その度に、慌てて詫びながら相手を支えた。

 ぶつかった相手の方は、一瞬ムッとなり、男性であれば文句を言おうと口を開きかけるが、近衛隊の制服を見て慌てて口を閉じ、逆に頭を下げてそそくさと離れる。女性であれば、端正な顔立ちにがっちりした体格の男性に支えられホーっと見惚れる。中にはそのままお茶に誘う女性までいる。イルハンはそれをサラッとあしらい、さらに進む。そしてまたぶつかる。そんなことを繰り返いしながら、中庭の半分辺りまでやってきた。


 ここまでくると人混みも落ち着いてきた。混んではいるが人にぶつかることなく、ゆとりを持って歩くことができた。

(ここまでの間に見つけられなかったが、見逃しただろうか?)

 イルハンは立ち止まって辺りを見渡した。

(できたら、これ以上先に行って欲しくはないのだが・・・)

 この先にもまだ露店は続く。しかしこの先の奥は宮殿の門だ。門は解放されている。当然、門の周りの方が露店の数は多く、賑わいも大きくなる。今うちにさくらを捕まえ、これ以上先に行かないように、そして宮殿寄りのマーケットだけで楽しむように忠告しないといけない。イルハンの胸に焦りと苛立ちが募ってきた。そんなところに一人の女性が彼に声をかけてきた。


 振り向くと、一人の侍女を伴った美しい女性が立っていた。華美ではないものの、一目で高級と分かる清楚で品のあるドレスに身を包み、可憐な顔立ちではあるがどこか儚げな感じのある女性だった。

「リリー様」

 イルハンは女性に頭を下げた。リリーと呼ばれた女性は優雅な足取りでイルハンの傍までやってきた。

「お久しぶりでございます。イルハン様」

 リリーはイルハンに挨拶をすると、ジッと訴えるような、縋るような眼差しを向けて押黙ってしまった。

「・・・」

「・・・」

 気まずい沈黙が流れる。イルハンはリリーが口にしていいのか思い悩んでいる内容をすべて理解していた。分かってはいたが、自分からその事を口にすることを避け、相手に任せた。自分でも卑怯だと思わず自嘲した。


「あのお方・・・」

 とうとう痺れを切らしたリリーの方から口火を切った。

「あのお方にはまだお会いできないのでしょうか?」

 リリーは胸の前で両手を握り、祈るようにイルハンの顔を見つめた。その懇願される眼差しにいたたまれなくなり、イルハンはスッと目をそらした。

「ここ暫くの間、あのお方にお会できないのです。最後にお会いしたのはひと月ほど前に一度、ほんの一時だけ」

「・・・」

「その時に、またひと月後には会えるから何も心配しないようにと仰せになりましたが、それが何時なのかも分かりません。なぜ急にこんなにもお会いできなくなってしまったのか理由をお伺いしても、あの方は教えてはくださらないのです。何か私に落ち度があったのでしょうか?イルハン様、些細なことでも構いません。何かご存じであれば教えていただけませんか?」

 イルハンを見つめる目の淵には光るものがある。イルハンは彼女を気の毒に思った。

(不安であろうな。無理もない)

 だが絶対的な秘密に関わることだ。この命を落とそうが話すわけにはいかない。

 そう、彼女の言う『あのお方』とは誰であろう我が国王陛下なのだ。この美しい娘は国王陛下の恋人だった。


 リリーは貴族ではないものの、かなりの豪族の娘であり、美しいだけでなく教養も充分に身に付けている。しかし、王族の「恋人」としてならば家柄、教養、容姿とすべて問題ないのだが、国王陛下の「妃候補」としては家柄に若干弱さがあり、二人の間柄を公にするのを宮殿の重鎮たちが渋っているために秘密とされていた。そのため二人の関係を知るのはイルハンを含む数名しかいない。だから彼女もイルハンに頼るしか術がないのだ。

「あのお方が大丈夫と仰せならば、問題はないでしょう」

「そうでしょうか・・・?」

 リリーは悲しそうに首を傾け、そして力なく付け加えた。

「私に会ってくださったのは夜でした。それもたまたま天気の良くない夜で、月明りもなく、ランプの光だけが頼りで、お顔もよく拝見できませんでした。けれど、心なしかやつれている様に見受けられて・・・それもとても心配なのです・・・」

 イルハンは一瞬顔を強張らせた。背中に緊張が走る。

(あの朔の日の夜・・・)

 国王陛下とリリーの逢瀬の日はイルハンもよく知っている。月に一度の新月の夜。月明りもない漆黒の闇の中、二人の逢瀬の手筈を整えたのは、何を隠そうイルハン自身だ。彼女の侍女にリリーを連れ出させ、わずかな時間だったが、陛下に会わせたのだ。

(それにしても・・・)

 ランプの弱い光の下でさえも、陛下のわずかな異変に気付くのか。よっぽど陛下のことを気にかけていらっしゃる。愛ゆえといえば美しいが、気を引き締めなければならない。

「あのお方はたいへん多忙でいらっしゃいますから」

 イルハンはわざと目を細くし、頬も緩めて、

「でも、逢瀬の時はリリー様にお優しいでしょう?」

と優しい口調で言った。すると途端にリリーは頬を赤くした。突然の攻撃に涙も引っ込んだようだ。

「はい・・・」

 真っ赤になって俯く彼女に対し、

「どうぞご安心ください。私としてもそれ以上のことは申し上げられません。どうぞご理解くださいませ」

と一礼した。そして顔を上げると、リリーのずっと背後に探し求めていた人物の姿が見えた。侍女とキャッキャとはしゃぎながら露店を巡っている。そんな二人の後を見守るようにゆっくりと付いていくトムテの姿もある。それを見てイルハンはホッと胸をなでおろした。

 そんなイルハンに首を傾げ、リリーは彼の目線を追った。明らかに自分を通り越して誰かを見ている。リリーが振り返るのと、さくらがイルハンに気が付くのはほぼ同時だった。


 さくらはイルハンを見つけるとにこやかに手を振った。しかし女性と一緒にいるのに気付き、しまったという顔をして慌てて手を下げた。そしてちょこんと会釈をするとすぐにテナーを伴って人混みに消えていった。

「これで失礼いたします」

 イルハンは再びリリーに一礼すると、慌ててさくらを追いかけた。だが、運の悪いことに、今度は自分の父親の友人に出くわし、捕まってしまった。どうでもいい近況報告をしてくるが、目上相手を邪険に扱うわけにもいかず、仕方なく相手をする。その間にもさくらたちがこれ以上遠くに行っていないか心配で、目の前の老紳士の話はほとんど耳に入ってこなかった。

 やっと解放されると、もう自分の持ち場に戻らなければならない時間が迫っていた。何とかもう一度さくらを見つけなければと辺りを見渡すと、なんと彼女たちはかなり近くの露店を見ていた。

 近い距離だが、さくらは気付いていない。その代わりトムテがイルハンに気が付いた。そして傍に寄ってくると、

「ご苦労様、イルハン隊長」

と挨拶をしてきた。そして一礼するイルハンに、

「大丈夫ですよ。これ以上先には進まないようにしますから。安心して任せなさい」

そう言い、彼の肩をぽんぽんと軽く叩くと、踵を返し、さくらのもと戻っていった。 そしてさくらの耳元で何かささやくと、さくらがこちらに振り向いた。イルハンを見つけると笑顔で会釈し、手を振った。イルハンもさくらに一礼を返した。

 これ以上先へ行かない約束を取り付けたことと、トムテと彼の護衛がしっかりさくらをマークしていることを確認できたので、イルハンは一安心して持ち場へ戻ることにした。




 どれだけ見て回っただろうか。さくらは、流石に疲れを感じ、喉も渇いてきた。

(スタートからハイテンション過ぎちゃった)

 興奮し過ぎて、ペース配分を完全に見誤っていた。でも露店はまだまだある。

「ねえ、テナー。喉が渇いたんだけど、どこか休憩できる露店はあるの?」

 さくらはテナーに尋ねた。テナーは、まあ、困りましたという顔をして、

「庭園内は飲食できる露店の出店は禁止されております。酒類が持ち込まれると治安が悪くなり、トラブルの元ですからね」

と説明した。

(どこかのテーマパークかっ!)

 思わず、さくらは心の中で突っ込んだ。

「お休みなさるのであれは、宮殿に戻らないといけませんね」

「なら大丈夫!戻りたくないし!」

 慌てて首を振ると、心配そうなテナーを引っ張って先に進んだ。だが、ふと気になって足を止め、前を見た。すると、もうすぐそこに開け放たれた宮殿入り口の門があった。気付かないうちにかなり歩いて来てしまったようだ。改めて周りを見ると、さっきよりも人混みがずっと多くなっていた。

「門の近くまで行ってはいけないって言われていたのに、結構来ちゃったね」

「本当ですね。やはりもう引き返しましょう」

「うん。そうね。戻ろう、戻ろう。お城寄りの方だって、まだ見ていないお店あるしね!」

 さくらは言いつけを破ってしまった焦りから、慌ててUターンして、宮殿に向かい歩き始めた。

 

 その時、一人の男が近づいてきて、さくらの前に仮面を差し出した。鳥とも動物とも言えない何とも奇妙な顔の仮面だった。さくらは思わず立ち止まると、差し出したその男を見上げて、ギョッとした。男も仮面を付けていた。そして片手にはたくさんの仮面を通した棒を持っており、それをさくらに見せた。

(何だ、売り子か・・・)

 マーケットには自分の露店から出で、直接お客に商品を売り込んでくる商人もたくさんいる。さくら達も今までに何度も声を掛けられていたので、もうそのスタイルには慣れていた。

(でも、お面はないわー、マジでビックリするわー)

と心の中で思いつつ、優しい笑顔でいらないと言い、商人の脇をすり抜けた。すると、また別の男が、さくらに近寄り、仮面を差し出した。見上げるとやはり仮面を被っている。さくらはごめんなさいと言って、横をすり抜けた。しかし、今度は向かいから三人の仮面男がさくら達に近づいてきた。


 さすがに怖くなりテナーと手を取り合った。後ろを振り向いてみると、先ほどの二人が近づいてくる。咄嗟にさくらはテナーの手を引いて脇道に入ろうとした。しかし、よく前を見ていなかったため、ドンッと誰かの胸にぶつかってしまった。

「すいません!」

 よろけながら謝るさくらの腕を相手が優しくつかみ、彼女の態勢を直してくれた。

「トムテさん!」

さくらは叫んだ。ぶつかったのはトムテだった。

「よかったぁ」

 さくらは安堵し、改めてトムテと向き合い、ぶつかった詫びを言おうとしたその時、後ろから手が伸び、仮面を被せられた。一瞬の出来事だった。

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