<4> 奪われた過去

 ダロスの言葉に、さくらは、ただただ首を横に振った。言葉が出てこなかった。

「・・・さくら様。あなた様は我々の希望なのでございますよ」

 ダロスは優しく言った。

「・・・無理です・・・。王妃なんて・・・。理解できません」

 さくらは何とか搾り出すように答えた。しかし、一度声に出すと、喉のつまりが取れたかのように、今まで抑えていた感情が噴出してきて、責を切ったように言葉があふれ出した。

「だっておかしいじゃないですか?なぜ私が王妃なんです?そちらが王妃を必要だと言う理由は分かりましたが、私でなければいけない理由がさっぱり分かりません。私には向こうに家族もいるし、友人だっているし、仕事だってあるし、それに、それに・・・。つまり私の生活すべてがあるんです!それを奪う権利があなた方にあるんですか!?」

 

 今まで大人しかったさくらの叫ぶように訴える姿に、ダロスもガンマも目を見張った。

「・・・お気持ちは充分察しております。確かに国の繁栄の為とはいえ、それは我々の言い分、我々ローランド王国民の身勝手でありましょう。されど、先ほども申し上げました通り、王妃の資格がない者はこの魔術にはかからないのでございます。私が無作為にさくら様を選んだわけではないのです」

 ダロスはなだめるように言った。しかし、さくらは納得できなかった。

「そうだとしても!そうだとしてもです!私は王妃になんてなるつもりは全然ありません。早く元の世界に返して下さい!お願いです!できるでしょう?」

 ダロスは首を横に振った。さくらはガンマを見た。ガンマも同じく首を横に振った。

「もう無理じゃ。『呼び寄せ』の魔術と同時に『縁切り』の魔術も施してある。それがその証拠じゃ」

 ガンマはさくらに歩み寄り、右手首に巻かれた包帯を指差した。そしてしわしわの手でさくらの右手を取ると、ゆっくり包帯を取った。さくらは内側の手首を見て、声を上げそうになった。直径2センチほどの刺青が彫られていたのだ。形は簡単で、二つの三角を重ねて星を作り、その周りを二重の線の四角で囲っている。

 さくらは、夢だと思っていたあの日を思い出した。右手に激痛が走ったのは刺青を入れていたからだったのだ。そして、あの時耳元でささやいたあの声はこの老婆だ。さくらはガンマを睨み付けた。しかし、視野がぼやける。すぐそばにあるガンマの顔が、自分の涙で霞み、よく見えない。

「そなたの手首に、元の世界と絶縁する魔術『縁切り』と、そしてこの世界に留め置く『地留め』の魔術を刺青として掘り込んだ」

 

 ガンマは刺青の入った手首を、さくらの顔の前に持ってきた。涙が溢れているさくらの目に、ぼんやりと四角と三角の刺青が映る。

「深く・・・、そう、とても深く掘り込んだのだ。もはや元の世界にそなたの居場所はない」

「・・・居場所がないって・・・?」

 涙声でまともに言葉にならないほど小さい声でガンマに聞いた。ガンマはダロスを見上げた。そして無言でさくらの両手をしっかり握ると、膝の上に優しく戻し、さくらから離れた。それを見て、ダロスがガンマに変わり、静かに続けた。

「そうです。さくら様の存在はもう元の世界にはございません。こちらの世界に移られたのでございます。」

「私は・・・、私は死んだということですか?」

 涙を拭き、さくらはダロスを見上げた。

「いいえ、違います。存在自体が無くなったのでございます」

 ダロスはそう言うと、マントを翻し、水晶のすぐ隣に立った。

「今から、さくら様の世界を映しましょう。これで私の申し上げていることがご理解頂けるでしょう」

 ダロスは水晶に向かい、大きく両手を広げた。そしてとても低い重低音の声で何か唱え始めた。すると水晶からゆらゆらと弱い光がこぼれてきたかと思うと、中央になにやら霧のような靄が映り始めた。靄は次第に晴れていき、その中からさくらの知っている風景が映し出された。


 それはさくらの家だった。外見が映ったかと思うと、次は家の中に変わった。見慣れた玄関、リビング、そしてキッチン・・・。キッチンが映った時、さくらは目を見張った。

 さくらの家は両親、姉と弟の五人家族だ。大きな六人掛けのテーブルがあるはずだった。しかし、映し出されていたのは四人掛けの丸い洒落たテーブルだった。次の瞬間、自分の部屋が映った。姉と同じ部屋には二段ベッドがあるはずなのに、映ったのは可愛らしいシングルベッドが一つ。勉強机も一つしかない。いつもなら洋服やバッグなどが押入れやタンスに入りきらず、部屋中に散乱しているのに、とてもすっきりと片付いている。目に付く限りさくらの物は無い。

 

さくらはみるみる血の気が引いていった。存在を無くす・・・。自分が死んだわけではなく、存在自体を無くしてしまう・・・。つまり、そこに家族として生まれてきた事実をも消し去るということ?

 さくらは喉がカラカラになり、だんだん息が苦しくなってきた。小さく短い呼吸が繰り返される。自分の脈がドクドク波打っているのも感じる。もう何も見たくなかった。すべて分かった気がする。すべてを理解するよう努力しよう。だから、もう見せないでくれと、心の中で呟いた。

 しかし水晶は無情にも一番見たくなかったもの映し出し、さくらに決定的なダメージを与えた

 

 それは家族写真だった。弟の成人式の日に、家族全員でとった写真。着慣れないスーツに身を包み、恥ずかしそうにはにかんでいる弟を真ん中に、庭で撮った写真だ。さくらも確かに写っているはずだった。弟の両端に姉と母が立ち、母の横に父が、姉の横におどけてポーズをとっている自分が写っているはずだったのだ。

 しかし、自分の姿はなかった。ぽっかりと姉の横は空いていた。四人が微笑んでこちらを見る姿。自分がいなくても微笑んでいる。それはさくらの一縷の望み―――僅かでもいいから元の世界での自分の痕跡を求めるさくらの望みをすべて打ち砕いた。

 直後、さくらは目の前が白く霞んでいくのを感じ、ふぅと意識が遠のいていった。




 さくらは目を覚まさすと、天蓋付きのベッドに横になっており、ルノーとテナーの二人の侍女が心配そうにしている姿が目に入った。

「お目覚めでございますか?」

 ルノーは心配そうに尋ねた。さくらはゆっくりルノーのほうに顔を向けた。ぼんやりと中年女性を見るさくらの目には光がなく、焦点も会っていないように見えた。生気が失われたその顔から、思いもかけない運命の仕打ちに絶望し、生きる希望を失い、この先のことは一切考えられない状態でいるのは、誰の目から見ても明らかだった。


 その様子を見てルノーは心を痛めた。

 自分の娘とそう変わらない若い娘が、自分の生まれ故郷、家族、友人、そしてなにより自分が生きてきた証、僅かだが自分が作ってきた歴史を根こそぎ奪われたのだ。なんて非情なことか。その悲しみは当人以外計り知れない。その上、まったく未知な世界へ、たった一人放り出されたのだ。いくら身の保証は確保されているとはいえ、これほどの不安で心細いことはあるだろうか?

 

 ベッドの天井の一点を無言で見つめているさくらの青白い顔を見て、ルノーは、何と言葉を掛けてよいか分からないでいた。今はどんな言葉で慰めても、到底慰めきれるものではないと分かっていたからだ。だが、体の為に何か飲み物を飲ませねばと思った。

「温かいお茶をご用意してございます」

 そう言うと、さくらをゆっくりと抱え起こした。さくらは抵抗する気力もなく、ぐったりとルノーに寄り掛かり、差し出されたお茶をすすった。甘くて温かいものがゆっくり喉を通り、胃の中に流れ落ちていくのを感じた。その温かさが気持ちを落ち着かせると同時に、この世界で「生きていること」を実感させ、涙が溢れ出した。

 

 ルノーはそっとハンカチでさくらの涙を拭った。そして優しく話しかけた。

「さくら様。今のさくら様のご心境を察しますと、本当に胸が痛みます。どんなにかお辛いことかと。しかしながら、我ら国民にとりましては、異世界から王妃様をお迎え申し上げることができて、これほど喜ばしいことはございません。待ち望んでいたことなのでございます」

 さくらは答えなかった。嗚咽を堪えるのに必死だった。ルノーからあてがわれたハンカチで口を押さえ、必死に堪えた。

「さくら様にとってのご不幸が、我々にとって希望ということは、本当に皮肉な事でございます。ですから、私共は罪滅ぼしの思いも込めまして、一生懸命お世話をさせて頂く所存でございます」

 ルノーはそう言うと、カップのお茶をさくらに飲また。

 泣いていたために、たかが一杯のお茶を飲ませるのにとても時間がかかったが、ルノーは焦らず、とても優しくゆっくり丁寧に飲ませてくれた。そのおかげで、飲み干した頃には、さくらの気持ちもだいぶ落ち着いていた。




 侍女二人が出ていっても、さくらはベッドから出ようとはしなかった。ルノーに上半身を起こされたままの状態で、涙は止まったものの、抜け殻のようにだらりと座っていた。何の気なしに部屋を見回したとき、自分のバッグに目が留まった。前に見たときと同じく部屋の隅にブーツと並んで置いてあった。


 さくらはベッドから這い出ると、自分の荷物に駆け寄った。そして夢中でバッグを開けた。最初に目に入ってきたのは、くしゃくしゃになった映画の前売りチケットだった。さくらの気持ちがまた一気に引き戻された。あの日―――あの雨の日が鮮明に甦ってくる。亘と見に行くはずだった映画のチケット・・・。

 再び涙があふれてきた。さくらはチケットを手に取ると、優しく皺を伸ばし、愛しそうにチケットを眺めた。その時、何か違和感を覚え、チケットを持ち直し、しっかりと見つめた。さくらは青くなり、小刻みに震え始めた。

(まさか・・・、こんなことって・・・! )

 

 読めないのだ!チケットに書かれている文字が。何て書いてあるのかさっぱり分からなくなっているのだ。チケットに大きく書かれている文字、これはおそらく映画の題名だろう。何の映画を見るつもりだったかは覚えているから、題名は知っているが、文字は読めないのだ。それ以外に細かく書かれている文字も。

 さくらはチケットを放り投げ、バッグの中を漁り、自分の手帳を取り出した。思い切って広げてみると・・・。やはり結果は同じだった。自分で書いた文字すら読めない。さくらは愕然とした。

 

 その時、手帳からパラリと何かが落ちた。さくらは震える手でそれを拾った。そしてそれを見るや、叫び声をあげ、手帳の中を片っ端から調べた。

 調べ終えた後、さくらの手から手帳が離れ、床に落ちた。その衝撃で、手帳に挟んでいた写真も床に散らばった。友人と撮ったプリクラや写真、すべて不自然に一箇所空間ができていている。

 さくらは一枚手に握り締めていた写真をもう一度見た。亘が中途半端の高さに片腕を広げ、微笑んでいる。誰もいない亘の腕の中。一人ぼっちで映っている。それでもこっちを見て笑っている。写真の上に大粒の雫がいくつも落ちた。

 さくらは声を上げて泣いた。床に倒れこみ、そのまま大声を上げて泣き続けた。


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