<117> やはり初恋

昨日の苦々しい入籍儀式を思い出し、香織は口を尖らせた。


「そりゃね、私だって言うほど入籍日にこだわってたわけじゃないですよ。でも、何もエイプリルフールじゃなくたって・・・」


涙もすっかり引っ込み、ぶちぶち文句を言いだした。


「なんか、結婚自体が嘘みたいじゃないですか~」


「ま、忘れなくていいんじゃないか?」


「・・・実は、ホントに嘘とか・・・」


「・・・」


「・・・後になって『あれ、嘘だから。エイプリルフールだし』とか言うんじゃ・・・?」


「・・・」


「はっ・・・!もしかして、出したフリだったとか・・・?」


「・・・寝言は寝て言えよ?」


陽一は人の話を聞かない香織の頭を軽く小突いた。

香織はぷくーっと頬を膨らませながら、小突かれた部分を摩った。

そんな香織を可笑しそうに見ると、


「お前が好きに選んでいいから、機嫌直せ。どこのブランドがいい?」


そう聞いた。

香織は髪の毛を直しながら不思議そうに陽一を見た。


「何がですか?」


「・・・だから、結婚指輪」


「結婚・・・指輪!」


途端に、香織の頭にピョンピョンと花が咲き始めた。

顔もぱぁっと輝いた。


「朝食!」


「は?」


「違った!ティファニー!ティファニーで朝食を!ご一緒にどうですかっ!!」


「・・・分かりました」


陽一は、また幸せ壊れしてしまった香織を呆れたように見ながらも、自分の口元がだらしなく緩んでいるのを自覚して、手で口元を隠した。

勘当を言い渡されたというのに、驚くほど気持ちは軽やかで、清々しい。


隣で幸せそうに笑っている香織を見て、自分が今どれだけ幸せかを嚙み締めた。

この、少し間抜けだが愛嬌のある笑顔が、陽一は気に入っている。

今思い返せば、小さい頃のケラケラ笑った香織の顔も可愛らしかった。


(もしかしたら・・・)


陽一は運転しながら、自分のシャツを掴んで笑っている小さな女の子を思い出した。


(初恋って言うのも、あながち間違ってはいないのかもしれないな・・・)


陽一は香織の右手も掴むと、再び自分の膝の上に置いた。


(あの時からこいつに捕まってたんだろうな、きっと)


そして、握っている手に力を込めた。



                 ☆



その日の夜、書斎にこもっている陽一のもとに、香織はコーヒーを持って行った。

黙々と作業をしている陽一の机に、無言でコーヒーと置くと、すぐ部屋を出ようとした。

だが、雑然とした机の上に置かれている一つに石が目に入った。


それは、綺麗な緑色を帯びた石だった。


その石は、陽一の書斎にコーヒーを持って来る度に気になっていた。

ペーパーウェイト代わりにしているのか、その下にはメモが幾つも置いてある。

手に取ってみたいが、ただのお飾りではなく、使用中のため、触るのは躊躇われた。


いつまでも立ち去らない香織に、陽一は自分を見ているのかと思い、顔を上げた。

だが、香織の目は他の一点に集中していた。

陽一は自惚れに苦笑しつつ、香織の視線の先を探した。


「ああ、これ?」


陽一は緑の石を手に取ると、香織に差し出した。


「・・・」


香織は神妙な面持ちでその石を受け取った。

そして、まじまじとその石を見つめた。


何故かどこか懐かしい感じがする。


「・・・小さいころ、こういう変わった色の石を宝物にしていたんですよ。お父さんとお母さんと川原で拾って集めていたんです・・・」


「ああ、そうだったな」


「え・・・?」


「聞いたよ、それ。昔」


香織は目をパチパチして陽一を見た。


「小さいころ私が話したんですか?」


「そう」


「・・・」


香織はもう一度目線を石に戻した。そして懐かしそうにその石を撫でた。


「これ、陽一さんが拾ったんですか?私もこんな色の石も持っていたんです。でも、一番はピンク色がお気に入りだったんですよ」


「知ってる」


「え・・・?それも話してたんですか?」


「ああ」


「ふーん・・・」


香織はその石を撫でながら、


「私の緑の石は、人にあげちゃったんですよ。その人に、ピンクの石取られなくて良かったなぁなんて思って・・・」


そう言って、撫でている手が止まった。

そして手が震えだした。


「・・・その人・・・、そのお兄ちゃんに、もう一度会いなって思って・・・」


「・・・」


「それで、宝物あげたんですよ・・・」


「・・・」


「・・・宝物あげたら約束守ってくれるかなって・・・、また、来てくれるかなって思って・・・」


陽一は何も言わずに、香織を見つめていた。

香織は顔を上げず、両手で石を胸に抱きしめた。


「・・・持っていてくれてたんですね・・・」


「ああ、お前の宝物だからな。お陰様で、重宝してるよ」


陽一は立ち上がると、香織を抱きしめた。


「約束も守ったろ?」


香織は何度も頷いた。

そして、陽一の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。


「そっか・・・、かいちゅうでんとーのお兄ちゃんと、石をあげたお兄ちゃんは一緒だったんだ・・・」


陽一の腕の中で呟いた。


「だったら、陽一さんは私の初恋の人ですよ・・・」

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