<88> 原田家へのお誘い

太一郎の家でお節を十分に堪能すると、香織はすっかり回復し、最後の締めのお汁粉が出てきたときには、ご機嫌になっていた。


「お腹一杯です。ご馳走様でした!美味しかったです!」


「ハハハッー!サワさんのお節は美味しいからねぇ。でも、いつも一人じゃ食べきれないからね。陽一もあんまり食べないし、香織ちゃんが来てくれて良かったよ!」


太一郎は笑うとビールを口にした。


「明日はどうするんだ?幸ちゃんのところに行くのか?」


太一郎の問いに、


「ああ、明日お邪魔する予定」


陽一はお茶を飲みながら答えた。


「そっか、そっか!幸ちゃんによろしくな!最近も野菜を送ってもらってな。お礼に酒を買ってあるから持って行ってくれないか?」


「なら、じいちゃんも一緒に行く?行くなら明日迎えに来るけど」


「お!いいねぇ!でも、明日は綾子が来るからなぁ」


「え!本当ですか?じゃあ、お母さまも一緒にどうですか?」


綾子と聞き、香織が身を乗り出した。


「お!いいね!」

「え・・・」


太一郎と陽一は同時に答えたが、二人の表情は真逆だった。

太一郎の嬉しそうな顔に対し、陽一の迷惑そうな顔。

香織は二人の顔を交互に見て、意見が不一致なことに気が付き焦ってしまった。


「あ、えっと・・・」


モゴモゴと口ごもると、陽一は溜息を付いて、


「ああ。お袋がもし行くって言うなら、それもいいんじゃないか?」


仕方なさげにそう言った。

太一郎はほろ酔いで、陽一のぞんざいな口調に気付かなかったようだ。

さらに嬉しそうな顔をして笑った。


「そうだな!明日綾子が来たら聞いてみよう!多分一緒に行くって言うだろうな!ははは!」


「どうだかね・・・」


陽一は小さく呟いた。

太一郎には聞こえない程度の大きさだったが、香織には聞こえた。

香織はチラッと陽一を見た。

目じりを下げている香織を見て、陽一は香織の額を人差し指で軽く弾いた。


「ったぁ・・・」


「ん?どうした?香織ちゃん」


「いや、何でもないよ、じいちゃん。こいつの額に虫が止まっていただけ」


「ハハハッー、そうかぁ!」


香織は額を摩りながら、陽一を上目遣いで見た。

相変わらず目じりを下げている香織に、陽一は溜息を付くと、今度は頬をつねった。

そして、耳元に顔を近づけると、


〔ここで、そんな顔するな。家だったら押し倒してるぞ〕


と、小声で囁いた。


「!」


香織は目を丸めて、陽一の手を振り払った。


「ん?どうした?また虫か?蚊か?」


「じいちゃん、冬なのに蚊はないだろう」


「ハハハッー、そうだなっ!」


香織は顔を真っ赤にして、陽一を睨みつけている。

陽一は意地悪そうにその顔を見ると、クシャっと頭を撫でた。

香織は頬を膨らませて、プイっと横を向いてしまった。


陽一はそんな香織を見ながら、


「じいちゃん、明日もあるし、そろそろ帰るよ」


そう太一郎に言った。


「そうか、そうだな」


「え?じゃあ、私、片付けます!」


香織は慌てて立ち上がると、食器をまとめ始めた。


「いいよ、いいよ、香織ちゃん。大した量じゃないし」


そう言う太一郎のグラスに、陽一はビールをついだ。


「明日は何時くらいに迎えに来ようか?」


「あ、そうだなぁ。幸ちゃんのところにそんなに遅くなってもなぁ。綾子が何時に来るのか聞いてねえなぁ」


二人が明日の予定を話している間に、香織はさっさと洗い物を済ませた。



                 ☆



帰りの車の中で、運転する陽一を気まずそうにチラチラ見る香織に、


「なんだよ?言いたいことがあるならはっきり言え」


陽一は前を見ながら聞いてきた。


「う・・・、え、えっと・・・」


香織はギクッとして言葉に詰まり、俯いた。


「言いづらいなら、俺から言おうか?お袋の件だろ?」


「う・・・、はい・・・」


「で?何?」


「あの・・・。ごめんなさい。迷惑でしたか・・・?」


香織はチラッと陽一を見た。


「別に。お前が気に病むことなんて何もない。ただ・・・」


陽一もチラッと香織を見ると、頭を軽く小突いた。


「もし明日、お袋が一緒に行かないって言っても、泣きそうな顔はするなよ。お袋も困るからな」


「・・・はい」


香織は小突かれた箇所の髪を直しながら俯いた。

この親子の間には多少の溝があるのは分かっていたつもりだが、自分が思っていた以上に深いことに、香織は切なくなった。


自分がしゃしゃり出ることではないと思うが、少しでも改善できればとも思う。

でも、第三者が口出すことで余計こじれる可能性も大いにある。


(下手をして、モーゼの十戒並に溝が広がってもダメだしなぁ・・・)


それどころか自分の存在のお陰で、綾子と陽一の溝は、川から側溝並みに細くなっていることに気付いていない香織は、車窓の景色を眺めながら、無駄に頭を悩ませていた。

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