<38> 映画
香織は昼からずっと胸のモヤモヤを引きずったまま、仕事をしていた。
昼食後の別れ際の陽一を思い出すと、モヤモヤがますます大きくなる。
行きに恋人繋ぎをしてきた陽一とは全く違う顔をしていた。
(きっと気分を害したんだろうな・・・)
陽一が気分を害したところで、何ら支障もない。
それどころか、それで自分に愛想を尽かせてくれたら好都合なのに、どうにもやりきれない気持ちに襲われる。
気持ちはどんよりと曇っていく一方だ。
「どう?原田。順調?」
今にも自分の頭にだけ雨が降りそうな曇天模様の香織に、湊が声を掛けてきた。
(絶不調です・・・)
しかし、香織とは真逆で、晴れ晴れとした顔の湊はまさに快晴。
そんな彼の前でとても本音は見せられない。
「うん。まあ、何とか」
「そっか、良かった!定時とはいかなくても、遅くならないように頑張ろうな!」
湊は元気な笑顔を見せて、自席に戻って行った。
その背中を見送ると、香織は書類のファイルを広げ直し、大きく深呼吸した。
(ちゃんと終わらせないと!加藤君に迷惑が掛かる)
香織は気合を入れ、胸もモヤモヤを無理やり抑え込み、書類とパソコンに向き合った。
無事に仕事が終わると、香織は生きた心地のしない中、ロビーで湊を待っていた。
二人一緒に会社を出るところを陽一に見られるのは不味い。
その危険性を避けるために、別の場所で待ち合わせしようと提案しようとしたが、
「え?何で?」
「いや・・・、ちょっと、コンビに寄りたいなと思って・・・。先に行ってようかと・・・」
「別にコンビニくらい付き合し」
無理のある香織の理由はあっさり拒否され、仕方なくロビーで、今か今かと湊を待っていた。
「ヤバい・・・。マジで胃が痛い・・・」
香織が腹を押さえながら独り言を呟いたとき、
「じゃあ、胃薬でも飲めば?」
横に人の気配がしたかと思うと、言葉とは裏腹に不親切そうな声色が聞こえた。
「俺、持ってるけど。やろうか?」
恐る恐る顔を向けると、意地悪そうな顔をして自分を見下ろしている陽一がいた。
「ひっ!」
「・・・その悲鳴、なんか後ろめたそうだな」
全てを見透かしたようなその目は、意地悪そうに笑ってはいるが、いつもと違う。
かなり怒気を含んでいるようで、とても正視に耐えない。
思わず視線を逸らした。
「お前、今日映画行くんじゃなかったの?『友達』と。それって社内?」
「・・・えっと、会社のお友達・・・」
「へえ、もしかして同期?」
「ま、まあ・・・」
「ふーん、昼飯の時の話だと社外の友達っぽい言い方だったけどな。同期なら同期って言えば良かっただろ?」
「た、確かに、そうですね・・・」
「念のために聞くけど、その同期って、男?女?」
「!」
「俺には聞く権利はあると思うけど」
「・・・そ、それは・・・」
香織は返答に困って、口ごもっていると、
「悪い!原田。待たせたな。あ!副社長!お疲れ様です」
快晴男の湊が、元気よく駆け寄ってきた。
(詰んだ・・・)
香織はガックリと肩を落として、チラッと陽一を見た。
やっぱりねという顔で香織を見ている。
想像していた通りとばかり、全く動じた様子はない。
香織はますます気まずくなり俯いた。
「やあ、加藤君。お疲れ様」
近寄ってきた湊に、陽一は爽やかに声を掛けた。
「副社長も今お帰りですか?」
「いや、俺はまだ仕事が残っているんでね」
「お忙しいですね」
「いやいや、君たちも普段忙しく残業しているだろう。本当にいつもご苦労様。今日は二人で映画に行くんだってね?」
「ええ、まあ。折角の週末ですから」
湊は照れたように頭を掻きながら答えた。
その笑みが陽一を苛立たせた。
「じゃあ、楽しんできて。お疲れ様」
「お疲れ様です!」
踵を返して去っていく陽一の背中に、湊は頭を下げた。
香織は顔を上げることができなかった。
俯いたまま、陽一が乗ったエレベーターの閉まる音を聞いていた。
☆
結局、香織は全く映画に集中できなかった。
湊は見たい映画があると言っていたくせに、実際に映画館に着くと選択権は香織にあった。
なので、以前から見たい映画を選んだはずだったのに、何も頭に入ってこなかった。
食事中も、湊は楽しそうにさっき見た映画の話をしてくる。
だが、何も覚えてない香織はただ適当に相槌を打って誤魔化した。
帰りは家まで送ってやると言う湊に、何とか失礼のないようにお断りして、地下鉄の駅に向かった。
「ホントにいいのかよ」
「大丈夫!大丈夫!最寄駅から歩いて近いから!」
心配する港に、香織は元気よく答えた。
「そうかぁ?」
「うん!今日はありがとうね!お疲れ様!」
駅の改札を通り、もう一度湊に振り向いたとき、
「原田。また付き合ってよ、映画」
湊は香織にそう言った。
その顔は『映画』だけに付き合ってほしいわけではなさそうだ。
鈍い香織にも流石に何となく感じるものがある。
「じゃあな、気を付けて帰れよ。おやすみ」
湊は手を振ると、自分が乗る駅の方へ向かって行った。
☆
香織は家に入るとすぐにシャワーを浴びて、ベッドに突っ伏した。
もしかして、以前のように玄関に陽一が待っているかもなどと期待していた自分がいた。
だからこそ、頑なに湊の送りを断ったのだ。
だが、そこには誰もいなかった。
香織はベッドに横になりながら、バッグからスマホを取り出し、中身を確認してみた。
「着歴もメッセージもない・・・」
はぁ~と溜息を付くと、スマホを枕元にポンっと放った。
そして目を閉じて、両手を瞼の上に乗せた。
「・・・これでいいんだ・・・」
香織は自分に言い聞かせた。
だが、目の奥がだんだん熱くなってくる。
瞼を押さえている両手が濡れていくのを感じながらも、香織は何度も自分に言い聞かせた。
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