<8> 見合いの仕切り直し

綾子の口添えが功を奏したのか、翌日、副社長席から呼び出されることはなかった。

その翌日もその次の日も、それ以降、陽一からの接触はなかった。

無事、香織の生活は平穏の戻ったようだ。


だが、気持ちはなかなか平穏に戻らない。


(この黒歴史は早く忘れよう!私の人生から葬り去るんだ!永遠に!)


パソコンのキーボードをバチバチと、いつも以上に乱暴に叩いている香織を、周りは不思議そうに見ていた。


唯一、部長だけは、心配そうに香織を見ている。


「原田さん。・・・えっと、副社長に何か言われた?」


「いいえ!何にも!!全く何にもございません!」


「そ、そう・・・。ならいいんだけど・・・」


最初のうちこそイライラしていたが、日にちも経つにつれ、香織の気持ちも徐々に落ち着いていき、週末にはすっかりキーボードを打つ手付きも正常に戻った。



                  ☆



土曜日。香織はまた幸之助に昼食に誘われた。

たまたま近くに来たということもあるが、先週の詫びだと言う。


「今度こそ、いいところでゆっくり飯を食おうな!」


上機嫌な幸之助に、香織は渋々付き合うことにした。

正直、気が乗らなかったが、幸之助のせいで、自分がとんでもない目に遭ったことを、一言文句を言いたくて、待ち合わせ場所まで出向いて行った。


着いてみると、そこは、見覚えのあるシティホテルだった。

香織は嫌な予感がした。

重い足取りで、予約している高級レストランに向かうと、そこには幸之助が一人、テーブルで待っていた。香織に気が付くと、笑って手を振っている。

幸之助一人なことに、ホッとして、香織は席に着いた。


「早かったね、おじいちゃん」


「おう、まあな。なんせ詫びの席だ。遅れちゃ、お前に申し訳立たないだろう。ハハハ」


別にいいのに、と言おうとして幸之助を見ると、幸之助はどこかに向かって手を振っている。


(・・・もしや・・・?)


香織は恐る恐る後ろを振り向いた。

案の定、そこには満面の笑みの太一郎と澄まし顔の陽一の姿が・・・。


(やっぱり~~・・・!)


香織がガックリと肩を落とした。

また騙された!自分のじいさんがこんな洒落た場所知っているわけがない。


「やあ、お待たせ、幸ちゃん、香織ちゃん!そうそう、香織ちゃんには、先週お世話になっちゃったねぇ!ねえ、幸ちゃん」


「そうそう、二人とも結構酔っちゃったもんなぁ」


二人の年寄りの会話をよそに、陽一は香織を見ると、ニヤッと笑い、


「どうも」


と挨拶した。香織は軽く陽一を睨んだ。

陽一は鼻で笑うと、太一郎を席に座るように促した。


香織はすぐにでも逃げ出したい衝動にかられ、腰が浮きかかったが、ちょうどその時、ウェーターがメニューを持ってきて、香織に差し出した。

香織は、つい会釈して、メニューを受け取ってしまった。


(う~~、逃げるタイミングを失った・・・)


香織はメニュー越しに、陽一を見ると、香織の思考を見透かしているのか、ククッと笑いを堪えている。


(く~~!)


陽一の余裕に香織は、思わずメニューをかじりそうになった。

腹いせに、一番高いコースを注文することにして、澄ましてコース名を言った。

幸之助は目を剥いて、香織に何か言おうとしたが、


「では、全員それで」


と、陽一はさっさとオーダーを済ませてしまった。


(くそ~、スマートかよ!)


これだから金持ちのボンボンは気に入らないんだよぉと、香織は心の中で喚いた。


「ところで、陽一さん。こんなところで油売っていていいんですか? 本当なら今日だってお見合いがあるんじゃありません?」


香織は厭味ったらしく言ったつもりだが、なぜか、三人笑っている。

老人二人は嬉しそうに笑っているが、陽一はただ馬鹿にした笑いを堪えている感じだ。


「そう、見合い」


陽一は香織を指差した。


「はい?」


「そうそう、お見合い!香織ちゃんと陽一の。今日は仕切り直しね!」


「ありがとうな、陽一君!」


「いいえ、こちらも先週は母が申し訳ありませんでした」


ポカンとしている香織をよそに、三人で話が弾み始めている。

香織は我に返って、頭をブルブル振った。何言ってんの?この人たち!


「ちょ、ちょっと、何言っているのか良く分からないですけど!」


「だから、見合いだよ、見合い!陽一君がおまえのために、わざわざ時間を割いてくれたんだぞ。忙しいのになぁ?陽一君」


「いいえ、それほどでも。それに・・・」


陽一は澄まして答えると、目を見開いて自分を見ている香織をちらっと見た。


「先週、香織さんと少ししかお話しできなかったのですが、彼女とは『いろいろ』と相性が良いようで・・・」


そう言うと、さりげなく襟元に手を掛けた。

青くなる香織を見て、陽一は少し口角を上げた。


「香織さんは酔われてて、あまり覚えていないようですので、今日はゆっくりお話ししたいと思ったんですよ」


「そうか、そうか。香織も結構飲んでたもんな!」


ハハハッーと幸之助は笑うと、香織の肩をバンバン叩いた。


「こいつ、ある程度飲むと記憶をなくすんだよ。まったく、女の子なんだから、気を付けないとなぁ!」


「・・・」


香織はもう何も言い返せなかった。軽く幸之助を睨みつけた時、食事が運ばれてきた。

香織は自分の前に並んだ美しいコース料理に、慰めを求めるしかなかった。

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