<6> 逃げるが勝ち?

洒落た和室の個室に通され、陽一と向かい合わせに座ると、香織は恐る恐る陽一を見た。

陽一は澄まして、メニューを見ている。

どうやら、ドキマキしているのは香織だけのようだ。

香織は自分を落ち着かせるために、目の前にあるお品書きに目を通す。


(こういう場合、何を選ぶのが正解? 陽一さん、っていうか、副社長と同じものすればいいの?)


香織は気が動転し過ぎて、告白された男と来たのか、数段格上の上司と来たのか、自分は一体どう対応していいか頭の中が混乱して、お品書きの字がまともに頭に入らない状態だった。


「決まったか?」


「・・・」


「同じでいいな?」


「・・・はい」



                 ☆



注文が済んで、改めて部屋に二人きりになると、早速、陽一が切り出した。


「で、昨日は何で逃げた?」


「う゛・・・」


「まさか俺の申し出を断るわけじゃないだろうな?」


香織はだんだんこの上から目線の言い方に腹が立ってきた。

いくら御曹司で、副社長とは言え、今はプライベートの話だよね?


「・・・お断りするのが、自然かと」


「ふーん、俺の体を奪っておいて?」


「そのセリフって、普通、女性の私が言うものじゃないんですか?」


「このジェンダーフリーの時代に、何言ってるんだ?」


(くそ~~っ)


香織はハンカチの端をくわえてキーっとやりたい気持ちを、ぐっと堪えて、陽一を見た。

陽一は意地悪そうに口角が上がっている。


「それに、こう暑くっても、誰かさんのせいで、ワイシャツのボタンが外せなくって困ってるんだよな」


そう言うと、ワイシャツのボタンを二つ外した。

そこから覗いて見えるのは、「誰かさん」の付けたキスマーク・・・。


(げげっ!)


香織は目を見張った。


「俺は、場所には気を使ったつもりだけど、誰かさんは、そんなことお構いなしだったみたいだし・・・」


香織は自分の顔がカーっと赤くなるのを感じて、両手で頬を押さえた。

そこへ、仲居が食事を運んできた。


〔ちょっと、ちょっと、ふくしゃちょー!襟、襟~!〕


香織は小声で、襟を正すように訴えた。

しかし、当然のごとく、陽一はそれを無視。部屋が暑いとばかりに手で顔を扇いでいる。

食事を並べる仲居の顔が、陽一に近づく。


(ひ~~っ!)


香織は心の中で悲鳴を上げた。

もうだめだぁ!


〔分かりましたっ!分かりましたから、襟、襟を直して!〕


香織は必死に小声で訴えた。

ちらっと香織を見た陽一は、仕方なさそうに襟を正し、ワイシャツのボタンを留めた。


「ふぅ~~~」


香織の大きな溜息に、配膳をしていた仲居は不思議そうに、香織を見上げた。


「何か、不都合でもございますか?食べられないものがございましたら、交換いたしますので、ご遠慮なく、お申し付けください」


仲居に気を使われ、香織は慌てて、顔を横に振った。


「だ、大丈夫です!もう、ぜ~んぶ大好物です!」


仲居はにっこりと笑い、それはよろしゅうございましたと頭を下げ、部屋から出て行った。


「ふーん、全部大好物なんだ。良かったな」


陽一は意地悪そうに笑うと、澄まして食べ始めた。


「ふくしゃちょーっ!!」


「名前で呼べ」


「よーいちさん~~っ!」


香織は箸を握り締めて、陽一を睨んだ。


「何だよ?」


陽一はニッと笑うと、さりげなくワイシャツの襟元に手を掛けた。


「う・・・、何でもないです」


香織は目を逸らした。


(くそ~、ま、負けた・・・)


香織はキッと、自分の前に並べた豪華な料理を睨みつけると、無言でモリモリ食べ始めた。



                  ☆




「よく食ったな・・・」


「ええ、まぁ」


店を出て、満腹になった腹をさすっている香織を、陽一は呆れ顔で見た。


香織はムシャクシャした気持ちを、全て食事にぶつけたお陰で、少し落ち着いていた。

料理が美味しかったことが、かなり香織の怒りを消化してくれた。


「俺のデザートまで食うとはな」


「だって、残しちゃもったいないでしょう。もったいないお化けが出ますよ!それに、こんなに高級なお店、滅多に来れないし、堪能しないと」


「気に入ったなら、また来ればいいだろう?」


「何言ってるんですか。もう来ませんよ!」


香織はくるっと陽一の方に振り向くと、深々と頭を下げた。


「今日はご馳走様でした。でも、陽一さんとはお付き合いできません!」


「はあ?さっき分かったって言っただろ?」


「あれはズルいですよ!無しです、無し!」


香織は顔を上げると、キッと陽一を睨みつけた。


〔それに、陽一さんは『奪った奪った』って言いますけど、それはお互い様ですから!〕


香織は小声で言うと、ふんっと顔を背けた。

自分で言っておいて顔が赤くなってくる。慌てて、手で顔を扇いだ。


「お互い様か・・・。どう考えても俺の方が襲われた感が強いけど?」


「うそ!」


「さあね、覚えてないんだろ?」


(ぐぬぬ・・・)


余裕たっぷりの陽一に、香織はどうにも歯が立たない。

もうこうなったら逃げるしか道はない。逃げ切れるかは分からないが・・・。


「と、とにかく!さっきの『分かりました』は取り消しです!男には二言はないかもしれないけど、女には二言はあるんです!」


「は?」


「じゃあ、失礼します!ご馳走様でした!」


香織は陽一に一礼すると、一目散に会社に向かって走って逃げた。

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