39.どれもこれも不味かった

 淡水湖への通りを、鉄杭てつくいの大蛇が低く飛ぶ。通常なら、早朝の漁で水上げされたものが売られるはずの市場も、楽園騒ぎの今は誰一人いない。


 ゆるやかに湾曲わんきょくした通りをはさむ、丈の低い樹林越じゅりんごしに、もう淡水湖そのものがそびえ立つような白朧びゃくろう無貌神むぼうしんを見上げている。霧風きりかぜ無貌神むぼうしんから、意思を持って侵食する異界のように、広がり続けていた。


 魔法アルテの雷撃は、無貌神むぼうしんに放たれる他にも、霧風きりかぜの中をはしっている。王都ジンバフィルの市街と同じ、面貌めんぼう群影ぐんえいが現れているのだろう。


 複数の銃声も聞こえてくる。敵は、間近まぢかだった。


「なあ、アーリーヤ王女」


 鉄杭てつくいの大蛇の頭で、前を向いたまま、ルカがつぶやいた。


 すぐ後ろに、ザハールとレナート、アーリーヤがいる。ロセリア連邦陸軍の茶色の将校服と、たてがみのような赤銅色しゃくどういろの髪が、少し、風にゆれた。


「俺は手加減しない。する理由がない。俺か、ザハールか、アルメキアの連中か……おまえたちか。その中の誰かが、ヒューネリクを……」


 言いかけて、苦笑する。


「俺たちは、この事態を持ち込んだ侵略者だ。わかっててやったことだから口先だけだが、おまえ個人には、あやまっておく。すまなかったな」


 ルカは顔を、アーリーヤに向けなかった。ザハールとレナート、アーリーヤまでが、苦笑した。


「わたくしも、あやまりますわ。怪しげな異人の侵略者ども、は、そのままでも……お兄さまは、友達とおっしゃられていましたもの。それだけは、つけ加えてやりますわ」


 ふん、と鼻息を吹くアーリーヤの肩を、レナートの手が抱いた。


「次の雷撃が見えたら、飛び降りるよ。アーリーヤ、それからザハール、あんたも」


「はい……!」


「承知しました」


 ルカと背中合わせに、魔法励起現象アルティファクタのチェチーリヤが現れた。


 けむるような灰色の盛装せいそうに、まっすぐな白髪を足元まで伸ばしている、青白い肌と紅眼こうがんの美女だ。線の細い、困ったような、泣き出しそうな表情のまま、盛装せいそうすそを手につまんで、レナートたちにお辞儀じぎした。


 鉄杭てつくいの大蛇が、にぶい光を帯びる。


 通りの湾曲わんきょくのすぐ先で、雷が霧風きりかぜを裂いて、白朧びゃくろう無貌神むぼうしんった。


 レナートとアーリーヤ、ザハールが飛び降りた。鉄杭てつくいの大蛇がおどり上がり、ざりざりと耳障みみざわりな音と、小さな青い火花を散らす、砂鉄の翼を羽ばたかせた。


「ヒューネリク……っ!」


『ルカ……』


 空を渡って、大蛇が、雷撃をものともしなかった無貌神むぼうしん肉迫にくはくする。無数の腕を背中に生やす巨大な体躯たいくの、頭部のうろに、ヒューネリクの姿が浮かび出る。


 黒い肌の精悍せいかんな顔立ちと、王冠おうかんのような短い金茶色の髪が、声と同じく二重にずれて、翡翠色ひすいいろにじんだ。


『ルカ……君とは、あんまり仲良くできなかった、かな。友達なのに、悲しいね』


「ザハールが聞いたら、怒りそうな台詞せりふだな。あいつに言わせりゃ、俺たちはずいぶん仲が良くて、おもしろくなかったらしいぜ」


 ルカの視線がヒューネリクを、ヒューネリクの視線がルカを、射抜いぬく。割り込んで、ルカの前に立ち、チェチーリヤが紅眼こうがんを光らせた。


「御主人さま……私も、それは、それはもう、不愉快で不愉快で……」


 大蛇と無貌神むぼうしんが激突する。細く長い白朧びゃくろうの腕が、二本、三本、四本五本、六本と、ふしくれだって伸びて、大蛇を捕らえた。


『そう、なのかなあ。だったら、今からでも、もう少し仲良くできないかな?』


「……おまえの理屈は、わからないでもねえ。俺たちだって散々、他人を食い物にしてる白人さまだしな。ああ、ついでに言や、おまえの作ったロセリア料理もどきは、どれもこれも不味まずかった」


 チェチーリヤが、長い白髪と両腕を、大きく拡げた。


 ルカがチェチーリヤを胸に抱くように、両腕を交差させて、突き出した。てのひらのすべての指を、まっすぐ開く。


「けどな……それでおとなしく殺されてやるほど、おまえを見損なってもいねぇっ!」


 樹林じゅりん霧風きりかぜをはらうように、砂鉄の嵐が巻き起こった。大蛇を捕らえた白朧びゃくろうの腕を、黒い嵐が包み込む。


 腕をけずり散らし、凝集ぎょうしゅうしてなお地と空をつなぐ嵐雲らんうんから、鉄杭てつくい蛇身じゃしんが生まれ出る。無貌神むぼうしんの、無数の腕に、生まれ出ては次々とからみつく。


 蛇身じゃしんの至るところにあぎとがほどけて、鉄杭てつくいきばを突き立てる。鎌首かまくびをもたげた、八本目の蛇身じゃしんひたいで、ルカとチェチーリヤが双対そうつい紅眼こうがんを光らせた。


 霧風きりかぜまと白朧びゃくろう無貌神むぼうしんに、茫漠ぼうばく原初げんしょの天地に立つ巨躯きょくに、黒鉄くろがね嵐雲らんうんしたがえる八叉大蛇やしゃおおへびらいついていた。



********************



 黒鉄くろがね嵐雲らんうんは、地表の霧風きりかぜとも拮抗きっこうした。


 断続的だった雷撃がむ。レナートは、胸にアーリーヤをかばいながら、立ち上がろうとした。


 その眼前に、すさまじい鋼鉄の颶風ぐふうが叩きつけられた。半瞬の差で、紫の瘴気しょうきく小剣が、弾いてそらす。今度は半瞬もなく、同じ瞬間、同じ空間に瘴気しょうき刃筋はすじが重なって、鋼鉄の長棍ちょうこんを中ほどで両断した。


 襲撃者がびすさり、無表情ながら、怪訝けげんそうな目になった。直接的でない反撃の意味が、わからなかったからだろう。


 砂色の野戦服の偉丈夫いじょうふは、断ち折られて短い二本になった鋼鉄棍こうてつこんを、まだ両手に持っていた。


 向かい合ったザハールは、小剣を、もう無造作に下げている。レナートが、ようやく立ち上がった。


「待ってください、ベルグさん! ぼくたちは……」


「敵だわ」


 ベルグの代わりに、女の声がこたえた。


 市場通りの先から、まっ赤な長衣ちょうい軍靴ぐんかいた、波うつ金髪の美女が進み出た。となりで、黒革色くろかわいろの乗馬服を着た少年の姿の魔法励起現象アルティファクタが、狩猟帽しゅりょうぼうを片手に気障きざな一礼をした。


「少なくとも、ロセリアのコミンテルンは敵ね。一緒にいるのだから、あなたたちも、よ。信用する理由がないわ」


「こちらにはあります、アルメキア共和国の、メルセデス=ラ・レイナさん。あなたたちが市街に向かう、この場所で会えましたから」


 レナートは言葉を一つ一つ、はっきりと口にした。

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