大願成就のH.O.P.E. -偽りの英雄は、誰かを救えるようになるのか-

赤家ジェスマレッタ

プロローグ 1

 

『本日、日本とアメリカを結ぶ日米大橋の中心……そこにある中央太平洋島にて火星行きの宇宙船、"地球の誇り349号"が--」


 ピッ


『Today, "The Earth Pride No.349" will take off to the Mars from Central Pacific Island...』


「どこもかしこも同じニュースか。つまんねえの……」


 有野 叡臣(アリノ アキオミ)

 The Earth Pride No.349 乗員


 今日はこのニュースで、世界中が持ち切りだ。


 チャンネルを切り替えても、同じニュースが流れる。

 放送波を切り替えても、言語が違うだけで同じニュースが流れている。

 動画配信サービスでも、様々なニュースチャンネルが、それぞれの言語で同じニュースが放送されている。

 さらに言えば、それについて専門家や自称専門家、動画投稿者がそれぞれ知識のあるないに関わらず、自身の見解について動画を動画投稿または配信をしているほどであった。


「んでもって……いよいよ、俺たちの"番"か。」


Hey,broよお兄弟!」

「Andy!」


 アンドリュー・ターナー

 The Earth Pride No.349 乗員


 黒人のガタイのいい男が話しかけてきた。


「いよいよ、今日だな。」

「……ああ、そうだな。」


 Andyからのコーヒーを受け取り、プルタブを開ける。

 チラとAndyの持つ缶がカフェオレだったのを見て、ずるいと思ったのは内緒。


「俺たちが火星に飛び立つ。そしてテラフォーミングだ。ちょっとは出来てきたらしいが……それでも人手が足りねえって。」

「そんなこと何十回、何百回と聞かされたんだが……お前まで言うのかよ。」

「そうじゃねえ、俺たちもどんな扱いされるか分からねえ……覚悟しとこうぜって話だ。」

「扱い……だと言いけどな。『使う』、だろうな。……間違いなく。」


 そのために今日まで身体や体幹を鍛えさせられ、垂直Gはもちろん重力・無重力にも慣れさせられ、さらには健康状態や精神状態はしっかりと管理された。

 こういう言い方は良くないが、宇宙飛行士が訓練する以上に過酷で血反吐を吐くような訓練を行ってきたのだ。


 オレたちの目的は、宇宙飛行士のようにただ宇宙へ行き実験やシステム管理、修理をするのではない。

 俺たちが行うのは、現地での開拓だ。

 地球と比べて酸素の薄い中、地球と同じように行動出来るよう訓練し、それ以上に働いて住めるよう開拓する。

 それが、俺たちがこれから火星に行って行うことだ。


 俺たちは表向きは火星探索者及び火星移住者。火星に危険がないか先立って調査や開拓を行ってくれる"英雄"扱いなのだが……実際はそんなものじゃない。

 火星を今の地球のようなテクノロジーまみれの世界に開拓するために、連れていかれる労働者だ。


 いくら頑張っても表のように、火星で英雄として評価されること……ましてや英雄として生きるなど不可能だ。

 もう既に何人もの人が向かって働かされ、そして帰ってこない。

 人を道具として使う、ふざけた"開拓精神"のために。


『The Earth Pride 乗組員各位。The Earth Pride No.439の前に集合。繰り返す--』


 放送が、全域に響き渡る。


「いよいよか……」

「ああ、そうだな。これで晴れて、俺らは火星のドレイの仲間入りって訳だ。」

「後悔はない。やれることはやった。」

「……ああ。俺もさ。」


 俺たちは元々借金返済のためになったようなものだ。

 誰もが一度は憧れるであろう宇宙そら

 憧れの門を叩いた先は、地獄への片道切符……なんてな。

 今の立場は自業自得、身から出た錆ってやつだ。

 親ガチャ……なんて、ヘラヘラと平気で言えるやつがいたらぶん殴ってやりたい。

 そんな言葉を言える余裕があるのが羨ましい。

 本当に親で地獄見てる奴は、そんなこと言えるほどの余裕なんて無い。

 表上での英雄扱いは、せめてもの温情だろうか。


 さておき。

 俺たちはそれぞれ飲み物を飲み干す。


「トラッシュカンになんで蓋ついてるんだ。投げて捨てられねえじゃねえか。」

「匂いの問題じゃない?」


 しぶしぶゴミ箱のあるところまで向かって、各々リサイクルボックスに入れた。

 アキオミは伸びを、アンドリューは欠伸をする。

 そして、ようやっと目的地に向かってゆっくり歩き始めた。

 のそのそと亀が歩くよりはマシなレベルの歩みで……だが。


「いたいた、ここにいたのか。アキオミ、アンディ。」


 ハーパー・モリス

 The Earth Pride No.349 乗員


「あ、ハーパーだ。」

「よお、ハーパーじゃねえか。どうした。」


 眼鏡をかけた白人の男性が駆け寄ってきた。


「どうしたじゃないよ。副隊長に言われて、お前たち迎えに来たんだよ。」

「なんだあそりゃ、信用ねえなあ……」

「まあ、確かに2人とも向かってたけど。普段の行いでしょ。」

「んだよ、悪いことしか覚えねえぞ!」

「知ってるけど、こっちに非があろうとなかろうと騒がしい事やってきたからね。」


 やれやれといった素振りを見せながら、2人に並んでハーパーも歩く。

 そのハーパーが震えているのが、見て取れた。


「どうした、ハーパー。緊張でもしてんのか?」

「そんなところだよ。起きてから止まんなくって。」

「そうかい。ビビってるんだと思ったよ。」

「今更ビビっても、逃げる気は無いよ。自分のやったツケが回ってきたんだから。」


 ハーパーがアンドリューに対して答える。

 だが視線だけは、前を向いていた。


「あれ、ハーパーって自分のせいだっけ。」


 アキオミが思わず、尋ねる。

 聞いていた話と、違ったように聞こえたからだ。


「まあ、多少あると思うよ。うん。自分にも非があったし、ね。今思い出しても、苦しいけど。体を動かしたり、なにかすることがあるだけで気は紛れるし、忘れられる。」


「じゃあ火星に行ったら、もっと忘れれられるどころか、言われなきゃ思い出せなくなるかもね。」

「だと、いいね。」


 ハーパーにも、火星に行き働く理由はある。

 火星に行ってまぜ働く理由は、当然アキオミにも、アンドリューにもある。

 この3人は、境遇は違えど最終的には似たような理由で参加したが……"英雄"なんてものになりたいが為に参加した訳ではさらさらない。


 表上で扱われる英雄に、自分から「"英雄"になりたい」……そんな奴らだって来るが、99%は過酷な訓練に耐えかねて脱落する。

 そいつらは、ここから逃げてもどうとでもなる。

 そいつらは"普通"……だから。


 火星に行く人間のほとんどが、何かを抱えてる。


 追い詰められ、極限の限界まで追い詰められた人間がここに集まる。

 そしてそれを打破するための条件が、火星に行って働くという事だったというだけのことだった。


 そうじゃなければ、そんな境遇やそんな状況じゃなければ……普通の人間が"英雄"になりたかったとしても耐えられない、どんな高尚な目的を持つ人間だったとしても耐えられない、その訓練に……耐えられる訳が、耐えられるはずが無い。


 それでも耐えなければならない、理由があった。

 だからここにいる。


 ……逆に言えばその「"英雄"になりたい」だの、自身の高尚な目的だので耐えられる奴は、よっぽどのバケモンってことだ。



 ---



 しばらく歩くと、目的地に到達した。

 太平の大きな海にある人口の島

 海を阻む防波の鉄壁のそばに、巨大な宇宙船があった。


「もう集まってるな。」

「感慨もクソもねえや。」


 そんな何気ない会話をしながら、宇宙船のそばの人だかりに歩む。

 本来であれば感慨深く感じるであろう出発の日も、どこか憂鬱に感じる感情が絡み合い、何とも言えない気持ちになっていた。

 そんなこちらの事情はどうでもいいと、うざったいぐらいに空は晴れていた。


「……ハーパー。俺らが来たこと、隊長さんに言ってこい。」

「……分かったよ。」


 アンドリューの言葉である視線に気づき、察したハーパーはその場を駆け出した。


「はん……何をむくれてやがる。」


「ジョシュ……」


「ジョシュ"ア"だ。人の名前は、ちゃーんと言えるようにしないとなあ……ああ、そうだ。猿には言葉すら分からんか。」


 ジョシュア・デイビス

 The Earth Pride No.349 乗員


 2人の元に、いかにも嫌な感じの白人が近づいてきた。


「相変わらずそんなこと気にしてるのか。器ちっせえの。」

「器ゴミの間違いだろ。」


「うるせえ!」


 ジョシュアは声を荒げ、アンドリューとアキオミの2人を睨みつけ、口元には嫌なニヤケを浮かばせる。


「にしても、ずいぶん機嫌良さそうだな。」

「全くだぜ。わざわざ俺らんとこにてめえからくるなんてな。」


「そりゃ当然だ!」


 ぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべて、ジョシュアは言い放つ。


「俺の借金どころか、今までの詐欺だって不問になったんだからな!」


 この男がThe Earth Pride No.439に乗る理由である。

 この男のように、金で解決出来る犯罪者であれば刑務所行きの代わりに火星行きの宇宙船乗員として訓練を受けることが出来るのだ。


 例えば詐欺。

 詐欺師を逆探知して、詐欺師を捕らえる。

 そして被害を行った場所を吐かせ、火星行きの人材派遣に同意をすることで刑務所行きは免除となる。

 詐欺をされた者には、法律に定める手続を経て、ちゃんと被害にあった分の金額を手配されるということだ。

 その時に発生する金額手配をこちら側で請け負うのだ。


 それほどバックについている企業は大きい上、このテラフォーミング・プロジェクトにはアメリカ及び日本政府が関わっているため、裏でとやかく出来るというのもあるが……

 流石に殺人等メディアに出回るような問題を起こした者には、上記のような交渉の余地はない。

 ただ、逆に言えば上記のようにメディアにも取り上げられるケースと無いケースがあり、ましてや金で問題解決が出来、罪を脅しに使える人材は火星行きの労働者として扱うことが出来る。

 一時、刑務所囚人を更生施設と称して火星行きの乗員として扱うことも案としてあったが、活動をする上でメディアへの宣伝及びニュースの記事の取り上げを考え、乗員がメディア露出することも鑑み棄却されたが……この先v労働者不足が起こってしまうと……またこの案は議論されるのかもしれない。


「楽しく生きて、最後は英雄扱い……最高じゃねえか?」

「てめえ……」


 俺はこいつが嫌いだ。


 どんな形であれ、彼は文字通り地獄の訓練を耐えきってここにいる。

 その時点でもう、ここにいる資格を持っている。

 どんな理由であれ、問題を起こしていないのであれば、一個人の非難は受け入れられない。


「相手にするな、Aki。」

「チィッ……」

「またぶん殴られたいか、ジョシュ。」


「それにしても哀れだよなあ……てめえらは自分の責任でここにいるんじゃあねえもんなあ。人生楽しんでないのに、火星行きとか……惨めで笑えてくるね!」


「やめないか。」


 オム・チャウデウリー

 ニックネーム:ピーター

 The Earth Pride No.349 副隊長


「お、ピーター。」


 インド系アメリカ人の乗員が前に出た。

 先程から様子を伺っているように見えていたが、ジョシュアは気づいていなかったようだ。

 たどたどしい反応が、冷や汗と共に態度が豹変した。


「い、いやぁーオムさん!ご無沙汰しております、一体どうなさったんで……」

「俺が今気づいたとでも思ったのか?あれだけ騒がしいんだ、気づかないわけないだろう。」


 くっ、と声を漏らすとジョシュアは逃げるようにその場を去り、恨みがましくこちらを睨んだ。


「助かったぜ、ピーター。」

「もうすぐ隊長の話が始まる。静かにな。」


 その言葉は、全体にも聞こえるようわざと大きく発された。


「分かってるさ。俺らはあいつに絡まれただけだって。」

「頼むから静かにしてろ。」

「「あいあいさー」」

「なんだその気の抜けた返事……」


 ピーターが来たことで、先程ガヤガヤしていた雰囲気がだんだんと静かになっていく。

 それでもヒソヒソと声を立てて喋る声が耳に入る。

 その声は、ご丁寧にアメリカ人には分からないよう、日本語でアキオミに対してあることないことを言っていた。


 それを見かねたアンドリューが、日本人の隊員たちを睨みつけ、あえて聞こえるように舌打ちする。

 それに気づいた彼らはビクッと体を震わせ、バツが悪そうに視線を逸らした。


「気にするなよ、Aki。俺は日本語なんて分からねえが、陰湿なアイツらのことだ。ロクなことじゃねえんだろ?」

「まあな。群れになって虐める形が変わっただけで、陰湿になっただけだ。俺たちがケータイだのパソコンだの使えていたら、SNSやグループチャットで俺がいかにゴミ野郎かを関係ないヤツへ知らせるために、あることないこと書くだろうな。」

「全く、それ嫌に思うヤツいねえもんかね。」

「お前、学生時代にそうやってお前庇ってくれる奴いたもんな。」

「まあな。どんな英雄より、かっこよく見えたぜ。」


 アンドリューがここにいる理由。

 それはロクでもない家族と、そしてその小さな英雄のためであった。

 それを伝えられた時、俺は言葉が出ず、かけてやれる言葉も出ず、ただただ聞くことしかできなかったのを覚えている。


「一生恩に感じてる、だっけか。」


 今なら、言えるだろうか。

 その気の利いた、かけてやれる言葉を。


「そのなんだ、恥に思うなよ。自分がやったことが正しいって思うなら。悪いことはやってないんだから。」

「へっ、そうだな……。」


 まるで見透かしているかのように、笑みを浮かべて……アンドリューは答えた。


(んだよ。結局上手く言えず、不器用晒しただけじゃねえか。)


 そんな彼を見て、拗ねたアキオミはアンドリューから視線を逸らした。


「にしても、遅いな……。」


 そんなことを話していると、とうとう隊長のお出ましだ。


 先程去っていった副隊長のピーターが、宇宙船の正面にいる。

 宇宙船のゲートが開き、設置されている階段を降りてきた。


 カーター・リンカーン・シモンズ

 The Earth Pride No.349 隊長


「聞け!」


 威厳と言うべきか、緊張感を伝えるその一声が乗員全員に響く。


 咳払いをすると、


「そのまま少々待機だ。」


 がくっ


「なんだよ、それ」

「くっく、はっはっは……カーターさん、なんだよ……ここまで来てよ……!」


 アンドリューが笑っていたが、その笑いはすぐに嫌悪に変わることとなる。


「Andy……アレ。」

「ああ?……ケッ、マスメディアか。」


 カメラやタブレット端末、レコードなどを持ったメディア関係者がゾロゾロと現れた。

 そしてその注目は、カーターのみに注がれることとなる。


「注目!これより隊長から、出発前の挨拶!」


 ピーターの一言で、隊員たちの視線もカーターに向いた。


 カーターは懐から、紙を取り出した。

 高級そうな紙だ。


「今から数年前、かの"キャプテン"ルーカス・マイトミー殿がThe Earth Pride No.400の出航を皮切りにテラフォーミング計画が行われ始めた。」


 隊員全員が静かに話を聞いている。


 ……一部を除いて。


「おいおい、ここでも講義かぁ?何十回もきかされたっつーのに……どうした、Aki。」

「やっぱり……取り上げられるのは、キャプテンだけ……なんだな。」

「まあ、そうだな。どの時代の、どの教科書テキストブックに書いてあるのはその代表者だけだな。自画像とか写真と一緒にな。」


「戦争と、同じだ。」

「ん?」


 アキオミからこぼれた言葉に、アンドリューが反応した。


「戦いに赴かない奴らが評され、戦いに赴いて散っていった兵士は、記憶に残るどころか記録にすら残らない。戦地に赴かない奴らは、美名だろうと悪名だろうと、どんな形でも記憶や記録に残るだろ。」

「いいんじゃねえか?」

「え?」


 思わず、そんな言葉がアキオミの口から漏れてしまった。


「だってよ、自分の気に入った奴だけが覚えててくれてりゃ、それでいいんじゃね?そんなにお前は教科書(テキストブック)に名前残したいのか?」

「そうじゃなくて、なんか不平等だろ。どれだけ兵士が一生懸命戦っても、例え生きようが死のうが名前を残せないって。戦地に赴かない奴らの方が、名前を残せるって。」

「戦争で人殺した奴ですって、教科書(テキストブック)に載りたいか?いや、うーん。お前の言うことも、分かるがよ。難しいな。」

「……そうだな。ああああ、もうわっかんね。それ聞くと、名前を残せないのも悪いことじゃなく聞こえてしまう。」


 顔を片手で隠してしまう癖が出る。

 そして色々考えて、アンドリューの考えも分からないでもなかった為に、尚更分からなくなってしまった。

 そう悩んでいると、


「じゃあ今からここにいる全員殺すか?お前の理屈でいくと、悪名だったら今すぐそれで名をあげられるぜ。」


 アンドリューがとんでもないこと言い始めた。

 癖とはいえ、片手で顔を隠していてよかったと思った。

 顔に出たであろう、驚いた顔なんて面白がられるに決まってる。


「俺にそんな勇気はないよ。よく知ってるだろ、俺には勇気がない。自覚しているほどにな。」


「静かに、な。」

「「あいあいさー」」


 いつの間にやら、ピーターがすぐそばにいた……笑顔で。


 緊張感のない気の抜けた返事を聞いたピーターが、思わずため息を吐いた。



 ---



「では各自乗り込め!隊員ナンバー1から!」


「あー、自由時間だあ。」


 アンドリューは捕まってるな、ピーターに。

 おそらく手伝いだろう。

 ダニーもいるが……まあ、いるからって酒は飲まないだろう。流石に。


「発ッ!」


 中華系アメリカンの男が、突然蹴りを放ってきた。


「い、いきなり……蹴ることありますか?」

「いい反応だ。油断はしてないようだな。じゃれ合いだと思えばいい。」


 メイソン・ヤン

 The Earth Pride No.349 乗員


「じゃれ合いでアンタの蹴りまともに食らったら、タダじゃ済まないって。」


 この男、元格闘家……喧嘩師にして中国拳法や空手、柔道など様々な武の道を探求し、ムエタイやシステマにカポエイラなど多くの格闘技にも精通している人。

 そして俺の武道の師匠でもある。


 ちなみに中国拳法はメイソンが格闘家だった頃に、中国人の中国拳法の達人……いわば彼の師匠に敗北してから師事し、そこからさらに空手や柔道などの武道を本格的に極め始めたのだとか。

 が、詳しいことは話してくれない。

 なぜなら、


『あれは……私の恥だ。我が師は中国拳法を私とのくだらない私闘で使わせてしまった。あれはそういうものじゃない。一種の芸術であり、自身の身を守るために使うもの。そして極めた先に、美がある。我が師は自分を守るために使ったと言ってくださったが、技を学び始めてから後悔の念が強くなった。』


 それだけ言うと、態度でキッパリと断った。

 ただ、武の道を極んことに重きを置いたのはそこからだったそうだ。


「いよいよですね。」

「そうだな。」

「緊張してます?」

「いや、してない。」


 淡々と俺の質問に答える。

 緊張はなさそうだけど、流石に多少の不安はありそうだ。

 未知の土地に行くという、不安は。


 不安はありますか?


 そう、確かめればよかったのだろうか。

 だけど、それ以上に心の中でどうしても気になったことが口から出てしまった。


「後悔は?例えば……俺に教えたこととか。」


 心の中で思ったことだからこそ、口に出して初めて何を言っているんだと思った。


「そんなことは無い。」


 キッパリとそう言いきった。


「仮に違う国籍の人間に教えたということを気にしているのなら、気にする必要はない。我が師は、中国人でありながら異国の私に自身の技を教えてくださった。だから私が同じことをしても問題はないのだ。」


 メイソンはアキオミの頭に優しく手を置いた。


「まだ気にしていたか。」

「……はい。」


 その返事が重い。

 声のトーンは下に落ち、苦虫を噛み潰したような苦しい返事だった。


「気にするな。」


「よし。火星に行っても、油断はするなよ。怪我が一番ダメだ、油断すると怪我をする。」

「出来ませんよ。俺、同じ日本人にもジョシュアみたいなアメリカ人にも嫌われてるんで……何されるか分からないから。」

「それもそうだが、それは一部だ。同じ地球の人間で、ましてや我々の同士だというのに。」

「難しい話ですね。」

「全くだ。」


 呆れた表情を浮かべたメイソンが、弟子の曇った顔に気づいた。


『俺に、俺にアイツら一人でぶっ倒せるぐらい強くなれるッ……全部を!教えでくだざいッ!』


 地に頭を擦り付けて土下座し、顔身体にアザをつけ、口からは自分への怒りと惨めさと悔しさを堪えるために噛み締めた血が口から垂れていた

 今でも、メイソンは覚えている。


「お前は私の初めての弟子で、自慢の弟子だ。教えるのが下手な私に、しっかり着いてきたのだ。自信を持て。」

「……はい!」


 今度は先程とは打って変わって自信ある、声に強い張りのある返答だった。

 メイソンもそれを見て強く頷き返すと、メイソンの名前が呼ばれた。


「隊員ナンバー43、メイソン・ヤン!」

「おっと呼ばれたか。では、先に行こう。」

「うん、師匠。行ってらっしゃい。」

「お前も後で来るだろう。」


 メイソンはそう言うと、ゆっくりと背を見せて宇宙船へと向かって行った。



「よお、。」



 すると、まるで彼が居なくなるのを待っていたかのように声をかけられた。


 ニヤニヤと陰気な笑みを浮かべた日本人と、その一団がお出ましだ。

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