ボクのかわいい女豹さん。

しろん

第1話 仔猫の顔した先輩。

僕のこれまでの人生は、至って凪である。


小中高と平均そこそこの成績で、部活動でも特に華々しい活躍を残したこともなければ、そもそもそこまで打ち込んだこともないのでこれといった想い出も無い。クラスの中で目立つ奴らと取り分け親しかったわけでもないが、弄られてからかわれる対象になったこともなく、自分と似たような類の友人数名と、まぁそれなりに笑い合って過ごしてきた。

大学に入学してからは、幼稚園以来ではないかと言うほどとてつもなく久し振りに「女の子」という生き物と話したりすることもあったが、僕みたいな男は「友達」という壁をいつもよじ登れないままに、気がつけば彼氏の惚気話か愚痴のどちらかを吐き出すための便利屋になっている。


そうは言っても、友達もいるし、異性との接点も皆無ではないし?

僕はこのゆっくり時間の流れる穏やかな日常の海を、緩やかに漂っている。これはこれで良き、というものだ。


そんな平々凡々とした僕が、社会人1年目となった今、社内の野朗供から羨望の眼差しを向けられている。


それは、この人のせい。酒井ミソノ先輩のせいだ。

酒井先輩が入社1年目の僕の教育係となり、朝9時からその日の終わりまで、ボクの右1メートル以内の距離で、様々な表情を見せてくれるからなのだ。


酒井先輩は小柄で、透明感のある茶色く大きな瞳をしていて、椅子から届かない華奢な脚をプラプラさせている様はまるで幼い子どものようだ。考え事をしている時なんか、椅子をクルンと回転させてメトロノームのように孤を描き続けるので、より一層に小さな女の子だ。

話し声も柔らかな高めのトーンなので、不機嫌な取引先の相手も、先輩が対応すると魔法にかかったようになだめられてしまう。


ここまでなら、割とどこにでもいる可愛い女の人なのだろう。けど、先輩の絶大なる人気は、このためだけではない。


僕が入社した頃には既に、先輩の左手薬指にはピンクゴールドのリングがあった。

そして、時折チラッと見える先輩のスマホの画面には、やんちゃそうな顔をした小さな男の子が映っていた。


あどけない少女のような顔をしながら、先輩は人妻であり、母であった。


場によって使い分ける態度のオンオフや、期待されているタスクをきっちりこなす様も勿論のこと、時々うなじから垣間見える大人の女の色香が、見た目のギャップも相まって、社内の雄たちを虜にさせていた。


「いいなー、神林は。勤務中ずっと、酒井さんと一緒にいれて。」

食堂のかけうどんを箸で持ち上げながら、同期の麻生がつぶやく。

「ほんとによー。俺なんか、四六時中禿げ散らかしたオッサンと一緒に行動してるっつーのに。俺も人妻と一緒に社用車でドライブしたいわ。」

麻生に相槌を打ちながら、磯部もぼやく。そこから二人は、磯部の上司にあたる「禿げ散らかしたオッサン」の悪口大会で盛り上がり始めた。



けど、こいつらは知らない。


先輩は連中が思っているような、可愛らしい仔猫ちゃんでも、大人の色気漂う百合の花でも、決してない。



先輩の機嫌は、その日のホルモンバランスによって左右される。血圧が低い日は顔色が悪いので、すぐにわかる。

こんな日に面倒な仕事に巻き込まれようものなら、全身から針金オーラを放出させ、近寄る人達を突き刺しかねない。恐ろしい…


また、先輩には、女の恥じらいというものが皆無である。

社用車を運転中のこと。またしてもホルモンバランスの悪い日なのか、助手席に座る先輩は朝から辛そうだ。

「はぁ……腰が痛い。」

「大丈夫ですか?」

「うーん………生理がくるのかなぁ……」

「……………」

「……………ごめん。男の子に話す内容じゃないね。あは!」

まぁ、これは、単に僕が男扱いされていないせいもあるかもしれないが。

けれど、喉が痛いと言ってデスクの引き出しをゴソゴソと探り、いつからあるのかわからないのど飴の袋を開け、

「見て!ねっちゃねちゃ!!」

と言って僕に見せてくるのは、やはり女性らしさとはかけ離れていると言えるだろう。


こんな先輩の日常に、僕が初対面で抱いた美しい理想は呆気なく砕かれていったのである。



……けれど、これもこれで悪くない、とも思う。



外回り中に偶然、先日インスタで見たとかいうアイスクリーム店を見つけてはしゃぐ先輩。

いい大人の女性が、スプーンですくったアイスを口に入れたその瞬間、「おいひー…」と言って目を細めているのを見られるのは、きっと今、社内で僕一人だけ。

これは同期の麻生にも磯部にも、教えてやらない。僕だけの密かな楽しみにするのだ。

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